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“かつて、「21世紀」は素敵な未来だった。”  ・・・「過去カラ来タ未来」,「31世紀からふり返る未来の歴史」,「2050年の世界 - エコノミスト誌は予測する」,「シリコンバレーで起きている本当のこと」 最近読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2017-03-15 Wed 06:00:00
  • 書評
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 かつて、「21世紀」と言えば、素敵な夢の響きを持つ「未来」を指した。 
 少なくとも1960年代前半(昭和30年代)までは、そうだったように思う。

 空を越えて ラララ 星のかなた
 ゆくぞ アトム ジェットの限り
 こころやさし ラララ 科学の子
 十万馬力だ 鉄腕アトム      (谷川俊太郎作詞)

 小学生の子たちは、図画の時間に未来の生活や未来都市を思い思いに描いたりした。
 東海道新幹線(0系)開業を心待ちにして、子供も大人もマスコミも皆が「夢の超特急」と呼んでいた。 
 無邪気であった。もちろん、当時は東西冷戦の時代、核兵器による第三次世界大戦が、明日にも始まるかもしれぬ不安はあった。しかし同時に、平和ための科学技術の進歩も目を見張るものがあった。明日への夢は、まだ残されていた。

 それが、いつしか、我々は「未来を楽しめなく」なり、未来に不安を覚えはじめ、そして現在、我々は「未来の不安」を真剣に考えている。

 夢見るような楽しい未来予測。
 現在に不安を抱きながらも、今よりもずっと先に、良い未来があるかもしれない、という「夢先送り」の未来予測。
 そして21世紀が近づき、科学技術のこの先は、おおよそ予測可能と考えられ始め、逆に一層に見えないのは、(科学技術では解決できない)、世界や地域の経済に、民主主義と資本主義の関係。
 そうこうするうちに、暴走する資本主義を問題視しながらも傍観するしかなく、「時間かせぎの資本主義 - いつまで危機を先送りできるか」※のタイトルのように、今の世は未来に「危機を先送り」する世の中になってしまった。
 そんなことを思いながら、下の本を読んでみた。
 ※社会学者 ヴォルフガング・シュトレーク (著)  みすず書房 (2016)

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 「過去カラ来タ未来」は、19世紀末1899年にフランスのイラストレーターが描いたイラスト集。そして、その各イラストに、アイザック・アシモフがひねくったコメントをつけている。
 (本の表紙と右のイラストは、クリックすると拡大します)

 イラストの世界を覗き見ると、陸海空の輸送技術や通信技術(電信)の発達によって、移動の自由や、居ながらにして情報を得ることが、未来では可能となるだろう、と各イラストは言っている。
 それは、欧州鉄道網、大西洋太平洋貨客航路、そして航空機が発達する1920~30年代や、第一次世界大戦を遠望していた。そしてその先、20世紀後半に向けて、明るい未来が拡がると考えた。
 地面や地域に縛られていた人々の、無邪気な開放感を感じる。裏返せば、かのイラストレーターは19世紀の気分を背負っていた。
 ちなみに「百年前の二十世紀 - 明治大正の未来予測」(ちくまプリマーブックス86)も面白い。


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 「2000年から3000年まで - 31世紀からふり返る未来の歴史」は、1985年発行の本。
 これは大胆な本だ。21世紀の100年間ではなく、なんと1000年先を予測しようとする。
 著者の2人は共に、ノンフィクションやSF小説などの著作がある人。
 著者のひとりは言う。「先進国の産業社会は、いずれ危機の時代を迎えるだろうという議論がここ20年あまり(1960~1980年代)広くなされている。自らの開発によって生じる諸問題に対処しきれないであろうというわけだ。人口過剰、資源の枯渇、環境破壊...。
 危機が訪れた時に我々のとるべき道は二つしか無いのではあるまいか。つまり、エネルギーをそれほど必要としないようにテクノロジーのレベルを下げてしまうか、もしくは劇的な転換をもたらすテクノロジー革命を待つか、である。
 続けて著者は言う。こうした議論は、どちらかと言えば悲観的な見方が支配的であるが、本書は後者の考え方を基礎にしている。現在の発展がなおも続くような未来。本書はそうした未来を描いてみた。」(下記の目次参照)
 現在の発展がなおも続くような未来。1985年当時の延長線上には素敵な未来があるという。
 ただし苦難はある。この本は、その苦難は「技術が解決」してくれるという楽天的技術信仰であり、多難な時期を乗り越えれば、1000年先は明るい未来が待っているという。

 本書は、「過去カラ来タ未来」と同じく、科学の発展と、こういうあういう技術があったなら、という夢物語。つまり伝統的な未来予測本。SF小説を書くヒントには、なるかもしれない。
 ただし、右上の表に、2200年に関東大地震があり東京壊滅、日本の全人口は1/4になってしまう数字がある。(世界10各国とその主要都市の人口推移1950~3000) 表はクリックして拡大します。
 
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 「2050年の世界 - 英『エコノミスト』誌は予測する」は、2012年発行の本。
 本書は英『エコノミスト』誌編集部の人々が書いた本なので、おのずと世界的視野でかつ主に経済ビジネスの観点から書かれた、38年後の未来予測となっている。
 本書冒頭で編集長が次のように述べている。
 「2050年の世界を予測することは、一見、非常識なほど大きな野望に思われるかもしれない。「専門家の予測はサルにも劣る」という本があるが、人類の歴史には100パーセントでたらめな予言が散りばめられている。
 だが、(我々は真の専門家なので大きなトレンドを正しく把握しているので)、2050年を予測することは、来週や来年を予想することよりも容易い。今後40年間に起こる重大な変化の一部はかなりの高精度で予測可能だ。」(下記の目次参照)
 と言われてしまうと、なんだ、自分たちの情報収集力や分析力を誇示するための本なのね、ということに帰着する。

 これからのわが社は...と、社長が全社員へ語りかけるには、明るい話大きな話(+ちょっと苦しい話)で終始しても(身内の事だから)いいのかも知れない。よその会社は大変なこともあろうが、わが社はうまく行くよ、本書の論調はちょうどそんな感じがする。
 かつ、本書を眺めて思うのは未来予測と言いながら、実は結局、今(2012年)現在のことを言っているに過ぎない様に思う。例えば、中国は一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならないだろう。世界的な高齢化によって、年金と健康保険医療費の増大は国家財政にとって大きな負担になるだろう等々。
 ちなみに、EU問題や、本書発行4年後の欧州への難民流入のことは一切ない。想定外?

 最終章(20章)の「予言はなぜ当らないか」には次のように書かれている。
 「今から40年前になされた予言をみると、悲観的な予言ばかりで、しかもそれはことごとく外れている。
 なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由は二つある。ひとつは、良いニュースは目立たず、人々の記憶に残りにくいからだ。悪いニュースだけが記憶に残り、そのため人々は悲観的予言を受け入れてしまう。もうひとつは、人間が対策を講ずることを無視しているからだ。」 これは、一体何を言いたいのか...。

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 「シリコンバレーで起きている本当のこと」は、2016年発行の本。
 シリコンバレーで起きることは、遠からぬ先に、他の先進国でも起きる可能性があると著者は言う。
 本書によると、サンフランシスコやシリコンバレーを車で走って驚くのは、ガタガタの道路や壊れた道路標識らしい。
 地元に世界一、二位の時価総額の企業がありながら、自治体は財政難にあえぎ、インフラ整備にも十分なお金が回らない。IT企業の税金逃れに原因を求める声も上がっているらしい。
 シリコンバレーでは、激増するIT関係の富裕層と、低所得者層の間には埋めがたいほどの所得格差が生まれていて、極端な金持ちと貧困層に二極化した町となっていると言う。
 IT企業に勤める富裕層の流入で家賃が高騰し、昔からの住民が家を追われ、ホームレスとなるケースが続出しているらしい。そして、公的扶助が必要な世帯は3割、ホームレスの人口は全米3位。だが2015年の調査によると、シリコンバレーの平均世帯年収は約1280万円でこれは全米平均の約2倍。
 しかしシリコンバレーの企業は地元に対して何もしていない訳ではないらしい。自治体のプログラムに寄付している例は多い。納税をしないが寄付はする。
 フェイスブックCEOは次世代のために、保有する自社株の99%(5兆5千億円)を将来的に寄付すると発表しているが、寄付の受け皿になる新たに作った団体が問題になっていて、結局は寄付という名の新手の投資手法だという批判を受けているらしい。
 小さな政府、巨大な民間企業のロビー活動に左右される議会政治、放置される二極化する格差、弱まる民主主義...。 
 さて、日本の未来は、どこから見えるのだろうか。

【 目次 】

「過去カラ来タ未来」 アイザック アシモフ (著)、石ノ森 章太郎 (監修)  パーソナルメディア (1988)
原題:Futuredays: A Nineteenth Century Vision of the Year 2000


SOS!グライダー発進せよ!|ヘリコプターから偵察中|街角のエアー・ターミナル|飛行船の参戦 - ウィークポイントはガス袋|いたずらなエンジェル|密輸業者を追跡せよ|青き空、血色のしずく、弾け飛ぶ|飛行機野郎のごひいきカフェ|ハンティングはお好き?|みんな大好き、愉快なレース|のどかな光景 - 渋滞のない空の旅|未知の土地へ - 探検家の乗り物|羽を背負って、いざ仕事!!|旅の乗り物 - 海外旅行編|いなせなミスター・ポストマン|ある日の飛行機事故|深海にモンスター現る|海底ゲートボール大会?|サカサマ生活|ようこそ、潜水定期船へ|森のお散歩 - 海底編|鯨のバスと一人乗り海馬|ディナー・パーティーにはピルをどうぞ!|はいからなモデル・キッチン|ボタンを押せば、ハイ出来上り!!|教師より機械の声が響くとき|レディーの秘密 - プライベート・エステティックサロン|家事ロボット待望論|自動演奏交響楽団がやって来る|顕微鏡から怪物が!|ラジオでニュースを|ビジネスマンの必携アイテム|機械の織りなす農村風景|スピード・ヒヨコ・メーカー|あこがれの南極旅行|ユカイな高速ボート?|戦闘車はでくのぼう|"快適"移動住宅|"珍獣"!!!"馬"|平和のために|カードの由来|

「2000年から3000年まで - 31世紀からふり返る未来の歴史」 B・ステイブルフォード、D・ラングフォード (著)  パーソナルメディア (1987)
原題:The Third Millennium: A History of the World AD 2000-3000


◆第1章 2000年の世界
◆危機の時代:2000~2180
第2章 21世紀の戦争と平和|第3章 軍備拡張競争の終焉|第4章 東西の出合うところ|第5章 細菌戦争|第6章 「エネルギーの氷河時代」|第7章 核融合エネルギー時代の到来|第8章 エネルギー経済の改革|第9章 温室効果危機|第10章 新しい食品|第11章 失われた10億|第12章 海洋農業|第13章 都市革命|第14章 テレスクリーンの王国|第15章 雇用と再雇用|第16章 21~22世紀のレジャー|第17章 大減速|
◆復興の時代:2180~2400
第18章 エコトピアの創設者|第19章 苦しみの改善|第20章 人口の制御|第21章 世界送電網|第22章 産業のルネッサンス|第23章 世界経済の計画|第24章 月の開発|第25章 マイクロワールドの製作|第26章 宇宙産業と宇宙探検|第27章 バイオテクノロジーの新しい革命|第28章 生きた機械|第29章 人間の改造|
◆転換の時代:2400~2650
第30章 青春の泉|第31章 新しいライフスタイル|第32章 攻撃にさらされる都市と国家|第33章 人工のエコスフェア|第34章 太陽系の征服|第35章 恒星の地平線|第36章 人間の多様化|
◆新世界の創造:2650~3000
第37章 生と死の問題|第38章 長寿社会への適応|第39章 地球の相続|第40章 冒険的大事業|
◆エピローグ:進歩の終焉

「2050年の世界 - 英『エコノミスト』誌は予測する」 英 『エコノミスト』編集部 (著)  文藝春秋 (2012)
原題: Megachange: The World in 2050


第1部 人間とその相互関係
人口の配当を受ける成長地域はここだ|人間と病気の将来|経済成長がもたらす女性の機会|ソーシャル・ネットワークの可能性|言語と文化の未来|
第2部 環境、信仰、政府
宗教はゆっくりと後退する|地球は本当に温暖化するか|弱者が強者となる戦争の未来|おぼつかない自由の足取り|高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか|
第3部 経済とビジネス
新興市場の時代|グローバリゼーションとアジアの世紀|貧富の格差は収斂していく|現実となるシュンペーターの理論|バブルと景気循環のサイクル|
第4部 知識と科学
次なる科学|苦難を越え宇宙に進路を|情報技術はどこまで進歩するか|距離は死に、位置が重要になる|予言はなぜ当たらないのか|

「シリコンバレーで起きている本当のこと」 宮地ゆう (著) 朝日新聞出版 (2016)

第1章 「世界を変える」情報発信地|第2章 富を生み出す町の知られざる顔|第3章 新しい技術と既存社会との衝突|第4章 IT企業vs.国家、新たなる対立|第5章 それでも、フロンティアを求めて|

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“ アメリカを、ちゃんと知ろうとは思わなかった ” ・・・「超・格差社会アメリカの真実」 ・ 「パーク・アベニュー - 格差社会アメリカ」 ・ 「階級「断絶」社会アメリカ - 新上流と新下流の出現」 ・ 写真集「The Americans」 ・ 「繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ - 果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録 」 ・・・最近読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2017-01-29 Sun 06:00:00
  • 書評
101-5 mm
 戦前は、いやペリー来航以後も、日本はアメリカを、本気で知ろうとはしなかったのでは、と思う。
 1945年8月15日以後、これまでにない程のアメリカ人(進駐軍)が日本に押し寄せてきて、そして1952年に去って行った。
 その頃から、日本はアメリカの豊かさに憧れはじめた。
 豊かな食事、豊かな暮らし。冷蔵庫、テレビ、洗濯機、アメリカ車、アメリカ製ホームドラマ、ハリウッド映画、ディズニーアニメ。(物と映像でノックアウト)
 第二波は、ジーンズ、ロックンロール、カウンターカルチャー、ボブ・ディラン、ヒッピー。そしてアメリカの政治は、対ソ戦略(冷戦)、ベトナム戦争。国内は黒人差別に公民権運動に反戦運動にウーマン・リブ。
 加えて、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズ、シリコンバレー、IT技術にネット社会、ファストフード、アマゾン・・・。
 このように、日本は常にアメリカに熱い視線を送っていて、当然のように私たちはアメリカをよく知っているつもりでいた。
 日本の報道も書籍も知識人やアーティストも政治家も、「アメリカでは・・・」と言って、アメリカを語って来た。
 しかし、「アメリカの本当」を知る情報は、あまり無かったと思う。遅ればせながら、そんな気持ちでこんな本を読んでみた。 


0_20170122102558029.jpg 「超・格差社会アメリカの真実」は、(たぶん1980年前後から)アメリカに26年間住んだ著者の経験を基に、日本では「語られていない、語られて来なかった」アメリカ社会の構造を、分かりやすく解きほぐした本。
 著者は、経営コンサルタント、アナリスト、C.F.A.(米国の証券アナリスト資格)。
 アメリカについてのあれこれが、よく整理されまとめられているので、まずはの一冊としていい本です。
 どういう本かと私が混ぜっ返すより、章立てに沿って書き出してみた。
 第1章は、「特権階級」、「プロフェッショナル階級」、「貧困層」、「落ちこぼれ」、というアメリカのそれぞれ4つの現実、つまり階層化した社会と下流社会の問題が具体的に語られる。
 さて中産階級はどこへ行ったのか。庭に芝生がある郊外の一軒家に住む、国民の60~70%を占めたという中産階級はもうない。彼らは1970年代以降、徐々に二分化され、一部は専門スキルを持ち「プロフェッショナル階級」へステップアップし、片や製造業などで働く中産階級の大半は「貧困層」への道をたどっている
 第2章は、アメリカの富の偏在はなぜ起きたのか、について、「ウォール街を代理人とする特権階級が政権をコントロールする国」が示される。ウォール街は、アメリカの人口のうち最上位1%の超富豪をハッピーにしておけば、全米の金融資産の6割を押さえることができ、同じく上位から10%までの金持ちをハッピーにすれば、全米の金融資産のなんと9割を押さえられるのだ。
 第3章では、1980年代以降、つまり レーガン、クリントン、ブッシュ・ジュニア政権下で、富の偏在が加速した過程を知る。
 第4章は、アメリカの高成長を可能にした背景を読み解く。冨の偏在を当然視するアメリカの土壌、ウォール街の利益を代表するワシントンの金権政治の体質、および支配層が構築形成された経緯や移民のメンタリティを語る。
 第5章は、民主主義を掲げるアメリカがなぜこうした一部の人間による支配構造が維持されるのかを、その要因を職業教育とキリスト教に見い出す。
 第6章は、グローバリゼーションを進める外交戦略と、その背景にあるアメリカ国内のパワー構造・人脈を考察する。
 第7章では、しかし一方で、それでもなぜアメリカ社会は「心地よい」のか? について、著者のビジネスにおける実体験を基に、クリエイティビティが次々と事業化されてくる秘密を明かす。
キャプチャ図3 本書は、2006年の本だが、10年前にすでに以上の状況がはっきりしていたことが重要で、それを我々に示してくれている。

 なお、右の円グラフは、2001年におけるアメリカの富(世帯純資産)の分布。
  円グラフをクリックするとグラフが拡大します。
 グラフが示すことは、アメリカ全世帯の1%しか占めない超富豪に、同じく4%しか占めない次位の富豪層、この両者の合計、つまり上位5%の富豪世帯層が、アメリカ全世帯のすべての富の60%を握る。
 続いて、その次の富豪世帯層15%を加えた上位20%で、84%の富を握っていることを示している。
 かつ、40%を占める最下層世帯の富の合計は、円グラフに見えてこない。(本書掲載データより)

図 BS世界のドキュメンタリー「パーク・アベニュー - 格差社会アメリカ」は、NHK BS1で放映された映像。
 ニューヨークにある「パーク・アベニュー740番地」は、アメリカの大富豪が住むエリア。その北が今も貧困に喘ぐハーレムだ。
 ドキュメンタリーは、一部の人によるワシントンでのロビー活動によって、富裕層を優遇する税制が、この国でまかり通っていると指摘する。
 映像はロビー活動をする人々を追いながら、下院議員、上院議員をコントロールするために、その半数以上の議員に資金を流すコークという事業家の男を映し出す。このコークという人物(兄弟)は、ティーパーティーの台頭、債務上限引き上げへの抵抗、共和党内の路線対立、これらすべてを仕掛け、現実なものとした。
 (この部分は「アメリカの真の支配者 - コーク一族」という本に詳しい。コークは米国最大級の非上場企業オーナー、世界で6位の大富豪)
 
 とにかく、2010年には、アメリカ国内の最上位のわずか400人の億万長者が、最下位から数えて1億5000万人分の富みの合計以上を得ているという現実。  左上の図をクリックすると図が拡大します。
 その下の図は、重役の年収の急増を示している。1965年では重役の年収は一般労働者の年収の20人分、2011年では231人分に跳ね上がった。

2_2017012313282173b.png 「階級「断絶」社会アメリカ - 新上流と新下流の出現」は、2013年の本。
 著者は、アメリカがいかに分裂しつつあるか、それも人種や民族の問題によってではなく、階級によって分裂しつつあることに危機感を抱いている。
 この問題意識を基に、本書は1960年から2010年までの50年間の過程を、データを駆使して解明しようとしている。
 これは面白い本だ。現在、アメリカの金持ちとは、どんな人たちなのか、その顔が見えてくる。

 本書は前半で、アメリカの上流中産階級の中の一部として、新たに誕生した上流階級、「新上流」はどのように生まれたか、その原因を探っている。
 この「新上流」という小さな集団は、アメリカの文化・経済・政治に直接影響力を持つ地位に上り詰めた人々。その一部は政治権力を握り、別の一部は財界を動かし、ある一部はマスコミを動かす人々。
 それは、弁護士や裁判官、マスコミ上層部や著名なジャーナリスト、国内最大規模の企業・金融機関・財団・NPOの最高幹部、映画・TV番組制作プロデューサー等、一流大学・研究所の著名学者・研究者、そして高級官僚や政治家たちだ。このエリートは1万人程度かも知れないと言う。
 (彼らは、上記のドキュメンタリーに出てくる「重役」に該当し、「超・格差社会アメリカの真実」で述べられた「特権階級」と「プロフェッショナル階級」の間に位置すると思われる
 彼らは一様に、しかるべきエリートとして、人生の階段を歩んで就職していく。そして重要なことは、「新上流」は日常的に、同類の人々の中だけで生きる性向があり、同類が住む地域に好んで住み、同類が通う店で消費し生活しようとする、よって世間から、他の階級から孤立している。彼らは、育ち、感性、嗜好、文化について広く共有し、子供たちもその中で育って行く。そして普通の世間の実態を知らないこれらの人々がアメリカをコントロールしている、と言う。
 また、「新上流」の政治傾向については、「新上流」のコアの人々は圧倒的にリベラルで、コアからその周辺の人々を取り込むと、リベラル、保守が拮抗する。

 本書には、「新上流」としての度合いチェックテストがある。これが面白い。
 25問あるが、1問から6問まで。1問:隣り近所50世帯を考えた時に、大学教育を受けていない人が過半数を占めると思われる場所(米国内)で、1年以上暮らしたことがありますか? 2問:あなたが育ったのは、一家の中心となる稼ぎ手が経営管理職あるいは名声を伴う職業(弁護士、医師、歯科医、建築家、エンジニア、科学者、大学教授等)ではない家庭ですか? 3問:人口が5万人に満たず、かつ大都市圏にも属していない町(国内)で1年以上暮らしたことがありますか?(但し大学在学中を除く) 4問:貧困線に近いか、あるいはそれを下回る世帯所得の米国の家庭で1年以上暮らしたことがありますか? 5問:工場の中の作業現場に入ったことがありますか? 6問:一日の終わりに身体のどこかが痛くなるような(仕事をしたことがありますか?
 7問以降には、レストランチェーン店での食事回数経験やTVドラマの嗜好も聞いている。
 なるほど、「新上流」の顔が見えてくる気がする。

 さて、著者は著名なリバタリアンだが、そう言うと色メガネを用意する向きもあろうが、その前に、以上までの内容はメガネなしで読んでほしい。
 さて、今までになかった新下層階級「新下流」とは労働者階級の中にいると言う、どんな人々か。(上記の「超・格差社会アメリカの真実」の「落ちこぼれ」の群に点在する一定の人々か) たぶん、映画「パリ、テキサス」の主人公はこれに該当すると思う。(この映画の記事は下線部をクリックしてお読みください)
 ここから以降は、そろそろ色メガネをかけた方がいいかもしれない。著者は先んじて言う。社会民主主義者なら富の再配分が必要と思うだろうし、社会的保守主義者は結婚・信仰といった伝統的な価値観を守る政策がまずは必要だと思うだろうと。
 総じて、今のアメリカを知ることができる本。買わずに図書館で借りよう。

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 「The Americans」は、現代を代表するアメリカの写真家・ロバート・フランク(1924年 - )によって1958年に発表された著名な写真集。 
 ロバート・フランクはスイス生まれで、1947年にアメリカに移住した。
 この写真集は、1955年にグッゲンハイム財団の奨学金を得て、2年間に渡ってアメリカ国内を巡り撮影し編集したもの。
 異国生まれの眼で、客観的につぶさにアメリカを眺め、鋭く撮っている。

 上記の本で述べられるアメリカの1960年代を読んで、あらためてこの写真集を眺めると、今までとは違う視点でこの写真集を見ることができるようになった。 


4_20170124113256f30.jpg 「繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ - 果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録」は、著者と写真家によるルポルタージュ。
 1980年から30年かけて全米各地を巡り数百人に取材している。かつ、取材後、時が経って再度取材する追跡もしている。

4-0_20170124121324777.jpg 取材対象はどんな人々か。
 例えば、自営の店が不景気でつぶれ破産し家族に捨てられ仕事を探してひとり放浪中の人、製鉄会社が海外移転して失職し生計を失い困窮する人、リストラされ家が差し押さえられ妻子とテント生活の人、難病の子を抱え医療費がかさみ勤めてはいるが他の仕事を掛け持ちしても生活はとても苦しい人、かつて豊かな暮らしをしていたが破産し生活保護を受けている人、ハリケーンの被害で生活が奪われ日雇いをして廃屋住まいの人。・・・・・・・
 (上記の本「超・格差社会アメリカの真実」に出てくる「貧困層」、「落ちこぼれ」に該当)

 この本の冒頭の「本書に寄せて」で、ロック歌手のブルース・スプリングスティーンは以下、次のように書いている。
 本書は1980年代から30年以上続いているアメリカの変化を浮き彫りにしている。それは崩壊の物語だ。それを経験した人たちの生の声で本書は綴られている。
 脱工業化時代のこの国では、もっとも忠実な人々がおざなりにされ、利用されてきた。彼らは、建物やハイウェイやその他様々なものを作り、仕事とごく普通の暮らし以外は、何も求めなかった人びとだ。彼らの血と大切なものと精神を犠牲にした結果がこれなのだ。
 このような荒波をせき止められなかったのは、政治家の失敗だ。地道に働く人々の多くが得するような方向に経済を動かさず、エリート層に捧げる社会にしてしまったのだから。
 (続けて彼は言う。)読者は、本書から、アメリカンドリームの目的と姿と意味が大きく崩壊したことを感じるだろう。人びとがどれほど犠牲を払おうとお構いなしに、最後まで絞り取ろうとする金権政治にアメリカンドリームは吸い取られてしまった。
 けれどもこれは、敗北の物語ではない。本書は、登場する人々をあふれる優しさで描き、彼らのユーモア、いらだち、怒り、忍耐、愛をいきいきと表現している。ニュースでは分からないことを理解させてくれる。
 本書はアメリカ人として、再びあの素晴らしい時代に戻れるかもしれないという希望を与えてくれる。本書に登場する人たちが教えてくれるように、前に進む道は、それしかないのだから。(ブルース・スプリングスティーン)

 歴史社会学者の小熊英二は言う。「社会の分断が政治への不満を生み、政治を変革したいという願望が結果的に差別的な権威主義を呼び込み、さらに社会の分断を強化してしまう。悪循環だ。(2017.1.26.朝日朝刊)

<目次>
「超・格差社会アメリカの真実」  小林 由美 (著)  日経BP社 (2006)
第1章 超・階層社会アメリカの現実 - 「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層」「落ちこぼれ」
第2章 アメリカの富の偏在はなぜ起きたのか - ウォール街を代理人とする特権階級が政権をコントロールする国
第3章 レーガン、クリントン、ブッシュ・ジュニア政権下の富の移動
第4章 アメリカン・ドリームと金権体質の歴史 - 自由の国アメリカはいかにして階級社会国家となったのか?
第5章 アメリカの教育が抱える問題 - なぜアメリカの基礎教育は先進国で最低水準となったのか?
第6章 アメリカの政策目標作成のメカニズムとグローバリゼーションの関係 - シンクタンクのエリートたちがつくり、政治家たちが国民に説明するカラクリについて
第7章 それでもなぜアメリカ社会は「心地よい」のか? - クリエイティビティが次々と事業化されてくる秘密
第8章 アメリカ社会の本質とその行方 - アメリカ型の資本主義市場経済が広がると、世界はどうなるのか?

BS世界のドキュメンタリー「パーク・アベニュー - 格差社会アメリカ」  (NHK BS1)
原題:Park Avenue: Money,Power and the American Dream
制作:国際共同制作 NHK / Jigsaw Productions / Steps International (アメリカ/南アフリカ 2012年)

「階級「断絶」社会アメリカ - 新上流と新下流の出現」  チャールズ・マレー (著)  草思社 (2013)
原題:Coming Apart The State of White America, 1960 - 2010
第Ⅰ部 新上流階級の形成
第1章 わたしたちのような人々|第2章 新上流階級形成の基盤|第3章 新種の居住地分離|ほか
第Ⅱ部 新下層階級の形成
第6章 建国の美徳|第7章 ベルモントとフィッシュタウン|第8章 結婚|第9章 勤勉|第10章 正直|ほか
第Ⅲ部 それがなぜ問題なのか
第14章 アメリカ社会の選択的崩壊|第15章 建国の美徳と人生の本質|第16章 分かつことのできない一つの国|ほか

「The Americans」  Robert Frank (写真)  Scalo Publishers (1958 初版)

「繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ - 果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録」
原題:Someplace Like America
デ-ル・マハリッジ (著), マイケル・ウィリアムソン (写真)  ダイヤモンド社 (2013)
ブルース・スプリングスティーンによる序文|プロローグ 2009年の旅のスナップ|Part1 先の見えない30年の旅に出たアメリカ - 1980年代|(写真集Ⅰ)|Part2 アメリカの旅は続く - 1990年代|Part3 飢えは静かに広がっていく - 2000年代|Part4 彼らのその後を追ってく - 2000年代後半|(写真集Ⅱ)|Part5 屋根が吹き飛んだアメリカの暗部 - 2000年代後半|(写真集Ⅲ)|Part6 再生と、新しい未来への旅|

“ ひとつに括れない国、日本 ” ・・・「天ぷらにソースをかけますか? - ニッポン食文化の境界線 」、「くらべる東西」、「全国アホ・バカ分布考 - はるかなる言葉の旅路」・・・ 最近、読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2017-01-23 Mon 06:00:00
  • 書評
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 私のように、関西から東京に出て来た者にとって、東西の物事の違いは気になるところです。
 東西くらべの本はたくさん出ていて、それなりに面白いのですが、例えば蕎麦・うどんなど、引き合いに出され過ぎのモノは、もうさすがにつまらない。
 さらには、物事は関東関西の違いだけじゃなく南北もあり、さらには違いはもっと複雑に入り組んで存在する。
 ひとつに括れない国、日本。確かにそうだが、一方で均一化が急激に進んでいる。
 コンビニはおでんに地域色を持たせているが、基本、全国的な大手の商売は効率化を求め均一化に向かうし、宣伝が人々を均一化へと向かわせる。


★図書館くらべる東西2016 「くらべる東西」は、様々なものの東西比較を写真集にした本。
 例えば表紙の写真は、銭湯の東西比較だ。湯船が浴室の奥にある東の銭湯、湯船が浴室の中央にある西の銭湯、を表わしている。
 たしかに私が小学校6年まで、よく通った(大阪府堺市)堺東の銭湯、大小路湯と天神湯の2軒はともに、こうだった。
 この東西の違いをどう思うかだが、西の銭湯は、ゆっくり楽しむ「温泉」を真似た「娯楽施設」に近いのだと思う。つまり湯が主役。だから、主役が中央にデンとある。(左の表紙写真をクリックすると拡大して見えます)

 考えれば、ボイラーのたき口と浴槽が壁越しに隣接直結しているのが普通で、浴室の中央に浴槽があるのは、相当に無理がある構造だ。これを押してわざわざ、中央に湯船をかまえるのは、やはり西の銭湯は、「温泉を真似た娯楽施設」を目指して来たのだろう。
 そう思うと、西に比べ東の銭湯は、どちらかというと身体を洗うことを主眼にしている風に思える。

 ただし京都伏見では、小さな銭湯で浴室が狭い所では、もともと湯船が浴室の中央にない。さらにはたぶん、大きな銭湯でも、浅い浴槽深い浴槽以外に、薬湯や電気風呂やサウナ室や水風呂や人間洗濯機などの浴槽を増築すれば、おのずと中央の湯船は無くなって行く。
 街の銭湯が衰退するなかで、自らが知恵を出し合った結果、かつスーパー銭湯が追い打ちをかけて、湯船が中央にある古風な西の銭湯は姿を消しつつあるようだ。

 著者が言う通り、銭湯に限らずおしなべて、東と西の違いは無くなりつつある。
 続いて著者は、田中優子の次の言を引用している。
 「伝統とは意志である。その時代の人々が、残したいと思ったものだけが残る。」
 確かに、この一言は光ります。

 この本は、下記目次にあるように、銭湯以外に様々なものを引き合いに出している。
 その中の七味唐辛子の項で思い出すのは、京都の錦市場商店街にある七味唐辛子屋さん。この店は客の目の前で、亰都風の各種香辛料を客の好みに応じて調合してくれる。
 さて、その調合具合の味見だが、小さな椀にいれた「京風の出汁」に七味を入れて味わせてくれるのだ。
 こうしないと味見にならないでしょ、と店の女性は言う。なるほど!
 何でもないようだが、これはやはり、伝統を重んじて「残したいもの」なんだろう。

 この本で、残念なのは、取りあげるモノの選択の力が弱いこと。写真集だから「形」から入ったからだろうか、あるいは本つくりを急いだのかな。取りあげるアイテムをもう少し吟味してほしかった。アイデアは良いのに惜しい。


★これ2 「天ぷらにソースをかけますか? ~ ニッポン食文化の境界線」、この書名は、ちょいと気になるキャッチコピーですな。
 たこ焼き・お好み鉄板系の粉モンは脇に置いといて、この天ぷら、カレーライス、肉まんor 豚まん(あるいは中華まん)、それに加えてシュウマイやチャンポンに、ウスターソースをかける人々が、この世に様々な分布で、いますね。

 本書の天ぷらの項によると、「天ぷらにソース」は、とにかく和歌山県が群を抜き、ついで沖縄、高知、福井、鳥取、鹿児島、愛媛、奈良、徳島の人の半数以上が「ソースで天ぷら」的人生を送っているらしい。
 反対に、「天ぷらにソースはかけない」傾向が強い反ソース派は、福島、岩手、山形、山梨。
 この本は、これらの強弱傾向分布を5段階にして日本地図で見せてくれる。
 「天ぷらにソース」分布図を眺めると、日本の真中を南北に走る境界線がくっきりと浮かび上がる。
 (この他、本書が取り上げるほかの食べ物でも分布地図が掲載されています。)

 「カレーライスと生卵」の項では、ソース以外に、カレーライスに卵は、生卵か、ゆで卵か、半熟か、が書かれている。
 また、上記の「肉まんor 豚まん」と「ソース」というややこしい問題は、辛子や酢醤油と絡んで「中華まんを考える」の項で、かつ西の牛肉好き・東の豚肉好きを解きほぐす「牛対豚の「肉」談戦」の項でも述べられている。
 著者が辛いもの嫌いなので、「「殺意」を秘めた辛いもの」という題名になっているこの項では、上記の「くらべる東西」にも出て来た唐辛子について書かれている。ここでは、唐辛子を「南蛮」あるいは「こしょう」と呼ぶ人々がいることが分かる。言われてみれば、例の柚子胡椒という調味料の原料は、ユズと唐辛子だ。

 なお、本書とは別に、著者(日本経済新聞社編集局編集委員)が日経ネットに書いた連載記事があります。
 その「食べ物新日本奇行 第1回 ソースでてんぷら(その1)」は下記から読めます。
 (これは外部リンクですので、今後リンク切れの可能性があります)
 http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAh3003003072009


★これ使う 「全国アホ・バカ分布考 ~ はるかなる言葉の旅路」は、まじめな本です。
 はるかなる言葉の旅路、古語は辺境に残る。
 むかし、京の都でひとつの魅力的な表現(言葉)が流行すると、やがてそれは地方に向けてじわじわと広がって行った。つまり、言葉は旅をした。そして、次にまた新しい表現が亰で流行ると、これもまた、先の表現の後を追って地方に旅立つ。
 まるで水面の波紋の様に、言葉は同心円の輪を広げながら次々と遠くへと伝わって行く。結果、古い表現、言葉は亰から遠い所に残った。

 バカは古い言葉で、アホは新しい言葉。これがこの本でわかる。
 そのほか、この本はアホバカの部類の言葉を全国的に集め整理している。(下記の本書目次を見て下さい)
 著者はTV放送局の人で学者ではないが、学会発表までしている。(上記の「天ぷらにソース」の著者は新聞社の人。放送メディアを駆使して調査情報の収集が出来た二人であった)
 また、アホバカの研究が、学者のプライドという壁で、まったく手つかずであったことが、一番面白い。

<アホバカ関連の言葉分布図>
 右の地図をクリックすると、大きくなります。(但し、関西を中心とした部分地図)図2

<本書の「アホ・バカ方言全国語彙一覧」から抜粋>
 【京都府】 
 (府下で広く使われている言葉)
 アホ系・・・アホ・アホウ・アホー・アホンダラ・アホタレ・ドアホ・アホケ・アホチン・アッポー・アハー・アハータレ・ハータレ
 ボケ・ホウケ(惚け)系・・・ホウケモン・ホウケサラシ
 (府下の一部地域の言葉)
 バカモン・バカモノ・バカタレ・バカ・スカタン・マヌケ・ヌケ・ヌケサク・フヌケ

 例えば・・・・新潟県では
 【新潟県】 
 (県下で広く使われている言葉)
 バカ系・・・バカ・バカタレ・バガ・ウ(ッ)スラバガ・ウスバガ・ハンバガ・バガメラ・バガヤロ・バガメロ・バガガキ・バガメ・バガタレ・バガクサイ・ドスバカ・ブアカジャネー・バッケヤロー
 (県下の一部地域の言葉)
 ウスラ系・タラズ(足らず)系・アホ系・ダボ系・フヌケ系・アッタカサ系・タワケ系・グダ系・ほか多種

 例えば・・・・宮崎県では
 【宮崎県】 
 (県下で広く使われている言葉)
 バカ系・・・バカ・バカタン・バカタレ・クソバカ・ヤサシバカ・コヤサシバカ・バカスッカン・バカスカタン・バカドンタ
 (県下の一部地域の言葉)
 ホンジナシ(本地なし)系・ほか多種:ダラ・タラン・ダロ・ゲドー(外道)・ハンチュー・アンポン・アンポンタンなどなど

 例えば・・・・神奈川県では
 【神奈川県】 
 (県下で広く使われている言葉) 
 バカ系・・・バカ・バカヤロウ・バカスカシ・バカッタレ・ウスラバカ
 (県下の一部地域の言葉)
 クソッタレー・マヌケ・ヌケサク・アホ・アンポンタン・オタンコナス・ボケナス・オタンチン・スッポーダツ・ノータリン・ボンクラ・クルクルパー・タワケなどなど 

<目次>
「くらべる東西」  おかべ たかし (著)、 山出 高士 (写真)  東京書籍 (2016)
1 あ行か行:いなり寿司、おでん、カクテル、かるた、環状線、金封、建築家、独楽|2 さ行た行:桜餅、座布団、七味唐辛子、実業家、消防紋章、縄文土器、関、線香花火、ぜんざい、扇子、銭湯、タクシー、たまごサンド、玉子焼き器、だるま、ちらし寿司|3 な行は行ま行や行ら行:ねぎ、ネコ、のれん、ひなあられ、ひな人形、火鉢、骨抜き、名山、屋根、落語家|

「天ぷらにソースをかけますか? - ニッポン食文化の境界線」  野瀬 泰申 (著)  新潮社-新潮文庫 (2008)
天ぷらにソースをかけますか? ニッポン食文化の境界線|キノコについて|「ばら」か「ちらし」か|ぜんざいVS.お汁粉|「殺意」を秘めた辛いもの|中華まんを考える|たこ焼き・お好み鉄板系|メロンパンとサンライズ|牛対豚の「肉」談戦|お豆について|冷やし中華にマヨネーズ|日本の甘味処|味噌と味噌汁|漬物をどうぞ|カレーライスと生卵|東海道における食文化の境界|

「全国アホ・バカ分布考 - はるかなる言葉の旅路」   松本 修 (著)  新潮社-新潮文庫 (1996)
第一章:「アホ」と「バカ」の境界線 全国アホ・バカ分布図に向けて|第二章:「バカ」は古く「アホ」はいちばん新しい 恐るべき多重の同心円 古典に潜むアホ・バカ表現|第三章:「フリムン」は琉球の愛の言葉 「ホンジナシ」は、本地忘れず|第四章:「アヤカリ」たいほどの果報者 「ハンカクサイ」は船に乗った 言葉遊びの玉手箱 分布図が語る「話し言葉」の変遷史|第五章:「バカ」は「バカ」のみにて「バカ」にあらず 新村出と柳田国男の「ヲコ」語源論争 周圏分布の成立 学会で発表する|第六章:「アホンダラ」と近世上方 江戸っ子の「バカ」と「ベラボウ」 「アホウ」と「バカ」の一騎打ち|第七章:君見ずや「バカ」の宅 「アハウ」の謎 「阿呆」と「馬家」の来た道|エピローグ:方言と民俗のゆくえ|アホ・バカ方言全国語彙一覧|

“ ジャズはどこから来たのか ” ・・・「上海オーケストラ物語」、「日本のジャズ史 - 戦前戦後」、「スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」、「昭和のバンスキングたち - ジャズ・港・放蕩」・・・最近、読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2016-12-22 Thu 06:00:00
  • 書評
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 ジャズって、一体どこから日本にやって来たんだろうか?
 それは、ペリーの黒船が西の海からやって来たように、実はジャズは上海からやって来た。
 
06.png 「上海オーケストラ物語 - 西洋人音楽家たちの夢」を読むと、かつて上海はヨーロッパ人の街だったことが分かる。イギリス人やフランス人は、ヨーロッパのライフスタイルのすべてを上海租界に持ち込んで、祖国にいるのと同様の暮らしを求めた。
 だから、ベートーヴェンやモーツァルトのソナタを演奏するオーケストラ楽団を欲しい。しかし、プロの演奏者を祖国から招くには金がかかる。
 そこで目を着けたのがフィリピン。フィリピンは、1571年から300年以上もスペインの統治が続き、西洋音階が民衆レベルまで浸透していた。西欧楽器の得意な人材が豊富だった。(日本は鎖国していた) 
 よって、オケ要員として、多くのフィリピン人演奏者が上海にやって来た。(本書はクラシック演奏の動向を中心とした話。詳細は下記目次参照)
 ですが、ここで注目なのは、1898年(明治31年)からフィリピンは、アメリカが統治し始める。そうすると、1890年(明治23年)ころアメリカ(ニューオリンズ)で発祥したジャズが急速にフィリピン国内で普及し出す。(もしアメリカがフィリピン統治をしなかったら、ジャズが東アジアに来るのはもっと遅れたでしょう)
 だから、フィリピン人演奏者の中には、クラシックもジャズも演奏できる人材がいた。そして上海租界では、娯楽の選択肢はクラシック演奏会だけではなくなって行った。
 オーケストラによるティー・コンサートでは、ポピュラーミュージックが演奏されたあと、一部のオケ団員によるジャズバンドが登場し、会場はダンスパーティーと化した。さらには、ダンスホールやキャバレーではジャズが演奏されていた。また、フィリピン人に加えて、ロシア革命を逃れたロシア人の中からロシア人ジャズバンドが現れ、フィリピン人バンドと競合するようになる。
 20世紀前半、大型客船が寄港する都市では、どこもフィリピン人音楽家がいて、ジャズは、彼らによってマニラから上海、香港、神戸、横浜へと広がった。


03.png 「日本のジャズ史 - 戦前戦後」によると、ジャズの起源は、『「1890年(明治23年)ころ、ニューオリンズの遊郭街に現れた黒人ブラスバンドが演奏した演奏スタイルが、1916年(大正5年)ころから、シカゴで流行し、いつしか、それをジャズと呼ぶようになった」と言われている』、とある。(ちょうどアメリカがフィリピンを統治し始めたころだ。)
 上海租界地のクラブでは、アメリカの一流ジャズメンが大勢来て、本場のジャズが店内に響き渡っていたらしい。フィリピンや日本のジャズメンは、技術と感覚を学び取ろうと、そんなクラブに潜り込んだ。上海のクラブで何かしらの仕事が出来た者は、「上海帰りの誰それ」と言われ、日本のジャズ仲間では一段とハクがついた。(それ以前の日本のジャズについて(日本のジャズの原点)は、第一章の「ジャズを運んだ北米航路(1912年出航)」に詳しいが、その形態は船上のバンドで、譜面・楽器の入手程度であった。)
 初めて上海に渡った日本人ジャズメン・斉藤の話(大正10年(1921))。斉藤はトランペット奏者で、上海に着いて入った楽団メンバーは、黒人、フィリピン人、白系ロシア人。また斉藤はフランス人楽士からトランペットの手ほどきを受けている。人種のるつぼ。
 上海へ行った連中はジャズの勉強のためが多かったらしいが一方、満洲へ出稼ぎに行った連中は徹底的に金儲けのためだった。その満洲での昭和10年(1935年)ごろの話。満洲・奉天市のバンドのひとつには、キニーというハワイ人ピアニストがいてアメリカ軍のスパイだったらしいという逸話も面白い。(太平洋戦争前の話) その後、日本は戦争に突入し、ジャズは敵性音楽として追放される。

 しかし、その頃から敵国アメリカのニューヨーク(ハーレム)では、ビ・バップが盛んに演奏されるようになっていた。
 そして戦後すぐの頃。本国から進駐してきた新兵たち(特に黒人兵)は、米軍クラブで演奏している日本人ジャズメンに対し、「ビ・バップをやれ」とさかんに注文をつけたらしい。当時、WVTR(占領軍向けラジオ放送)から連日流れてくるビ・バップを、日本人ジャズメン達はさっぱり理解できず、ただ不思議そうに聴いていたらしい。この間、戦争という鎖国で、日本はビ・バップを知らずにいたわけだ。
 南里文雄とホットペッパーズというジャズバンドが昭和22年に吹き込んだレコードの話。著者がいま聴くと、リフは一応ビ・バップになっているが、バンドメンバーが戦前派ベテラン揃いであるがために、ソロになるとディキシー(ランド・ジャズ)になってしまっていると言う。とは言え、この演奏の一部がビ・バップになっているのは、実はGHQ所属のひとりの米軍兵のお蔭であった。(それは下記の本に書かれています)
 新しいジャズ(ビ・バップ)は、今度は東から進駐軍とともにやって来た。
 モダン・ジャズの起源はこの「ビ・バップ」にある。

 
05.png 「スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」の帯に、焦土の中、日本のジャズメンから、『「神様」と称えられた日系二世』 とある。
 上記の南里が当時、ビ・バップという新しいジャズに悩み、どうしたらモダンな感じが出せるか、ジミー荒木に相談し、ジミーは譜面を起こし、アドリブ・フレーズまで書いてあげたらしい。
 ジミーを慕って接した日本人ジャズマンは、渡辺貞夫、北村栄治、ジョージ川口、南里文雄、宮間利之、フランキー堺、評論家・油井正一などなど多数にのぼる。
 ジミーがジャズを覚えたのは、日系アメリカ人強制収容所の中だった。そこはパールハーバー以降、敵性国人の烙印を押された日系人を隔離する場所。
 そして彼は、軍務を退役したのち、人生の後半からは日本文学の研究者となるのです。
 ジミーの人生は、日系二世(米国国籍)、排日運動、強制収容、米国陸軍兵、敵国日本へGHQ所属のひとりとして来日、日本文学への憧れ、というように、日/米が幾重にも捻じれる中の人生であった。
 (本書は、ジャズだけではなく、総じてアメリカ国内の日系アメリカ人の戦前戦後を紹介する本です。目次は下記)
 
 ジャズは、各国の帝国主義、侵略戦争といった世界的な大きな波に乗って各地に拡がっていきました。



10_201612161241369d0.png 「昭和のバンスキングたち - ジャズ・港・放蕩」、ああ、この本をすっかり忘れていた。
 昭和初期、ジャズは神戸と横浜に始まる。秩父丸、龍田丸といった船内にダンスホールを持った豪華客船が、ロスアンジェルスやサンフランシスコから1カ月遅れの「本場」の楽譜を運んできた。(中略) 
 こうして手にした楽譜を、勉強なんか嫌いな港町のやさぐれたちが、我流で演奏し始めた。一見、無味乾燥な楽譜から、なんと自由で人間を駄目にしてしまいそうな音楽が飛び出して来るのだろう。(中略) やがて、彼らは資産家の物好きなおやじの蓄音機で、「本場」の演奏に出会うことになる。(中略) そして、港町のやさぐれたちは打ちのめされる。
 同じ楽譜で、海のかなたの人間たちは、天上の音楽を奏でている! 「こいつは駄目だ。手取り足取り教えてもらわない限り、この音楽の神髄にふれられそうもない。」
 だが、セントルイスはあまりに遠い。埠頭にたたずみ落ち込んで海の彼方を眺めるやさぐれたちに、耳寄りな話が、舞い込んだ。
 「上海のフランス租界や英米租界に『本場』のミュージシャンが出稼ぎに来ているぞ。」 こいつは素敵だ。上海なら長崎から一昼夜、バイトの金で行ける。
 昭和初年、港町のやさぐれたちは、次から次へと上海に渡った。(以上本書10ページから引用)

 著者は劇作家。1980年、串田和美が演出した「上海バンスキング」は長く再演を繰り返し、その後、串田、吉田日出子のオンシアター自由劇場に脚本を提供した。(映画はつまらなかったです)
 著者は、「上海バンスキング」の脚本を書くため多くの戦前ジャズメンに取材した。本書は、その取材をもとにして書かれている。
 この本、内容が濃く、今後何時か、他のテーマ枠でも取り上げたい、と思います。
 

「上海オーケストラ物語 - 西洋人音楽家たちの夢」  榎本 泰子 (著) 春秋社 (2006)
第1章:上海に生まれた「西洋」 (1845年~)|第2章:パブリックバンドの誕生(1879年~)|第3章:ドイツ人音楽家の運命(1906年~)|第4章:名指揮者の登場(1919年~)|第5章:多国籍都市のシンフォニー(1929年~)|エピローグ:日本人と「上海交響楽団」(1942~45年)|

「日本のジャズ史 - 戦前戦後」  内田 晃一 (著) スイング・ジャーナル社 (1976)
第一章 日本のジャズ草創期(大正元年[1912年] ~)|第二章 大坂から東京へ(大正~昭和初期)|第三章 大陸雄飛・レコード流行歌(大正~昭和初期)|第四章 ダンス・ホールの時代(昭和2~15年)|第五章 戦時下のジャズ(昭和16~20年)|第六章 戦後ジャズの開幕(昭和20年~)|第七章 空前のジャズ・ブーム(昭和26年~)|第八章 渡辺貞夫と日本のジャズ(~昭和45年)|第九章 世界に飛躍する日本のジャズ|第十章 ミュージシャンズ・ユニオン|

「スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」  秋尾 沙戸子 (著) 新潮社 (2012)
第1章 鉄柵の中の「日本人村」|第2章 ハリウッドへの道|第3章 米陸軍日本語学校|第4章 オキュパイド・ジャパン|第5章 ジャズと軍務と文学と|第6章 うずき始めた傷口|

「昭和のバンスキングたち - ジャズ・港・放蕩」  斎藤 憐 (著) ミュージック・マガジン (1983)
1)上海ブルーバードはもうない 大川幸一:アルト・サックス 魔都へ渡った不良たち、銃剣とクラリネット|2)女だますもフォービート ジミー原田:ドラムス|3)ジャズと世界のダイナたち ディック・ミネ:ギター、ボーカル 遊びも過ぎれば芸になり、世界の町に女あり、黒船・鬼畜・ハンバーグ|4)港町に混血児は生まれる レイモンド・コンデ:アルト・サックス ジャズは船に乗って、日本を愛した三兄弟|5)世界は日の出を待っていた フランシスコ・キーコ:ピアノ|6)コチラ・ラヂオ・トキオ 森山久:トランペット、ボーカル 音楽は国境線を越えるか、ラジオが武器であった日々|7)国境を越えたバンスクイーン ベティ稲田:ボーカル ロスで育って満洲で泣いた、It's a story of my life|8)友のペットは俺のもの 東松二郎:クラリネット アイム・フォロウィング・ユー|9)夕日とトロンボーン 周東勇:トロンボーン ひろめ屋からジャズマンへ、退廃と革命が同居した町|

最近、読んだ本。「わすれかけの街」、「モダン心斎橋コレクション」、「明治の迷宮都市 東京・大阪の遊楽空間」、「花街 異空間の都市史」

  • Posted by: やまなか
  • 2016-11-10 Thu 06:00:00
  • 書評
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 味のある街には蓄積された過去がある。それは例えば私鉄沿線の郊外駅駅前には求めようがない。
 しかし、新地というように、街は隣接する土地を巻き込み増殖するし、街中の中心街の新陳代謝も激しい。
 つまり書き込まれ続けた過去の蓄積と、一方で容赦なく消去されていく過去がある。
 街に育った私は、繁華街が好きだ。クラスには商店の子が一定数いたし、アーケードの下を自転車で走り抜けて遊ぶこともよくあった。
 だからか今も、商店街と言える商店街がない街は少々住みづらく楽しくない。



1-2.png 「わすれかけの街 まつやま戦前」 は、1973~74年にかけて愛媛新聞に連載された記事からなる本。
 空襲で焼け野原になる以前の、戦前(1939年ごろ)の街並みを、古老の証言を集めて、通りの一軒一軒の店名や路地までをも、丹念に手書き地図にして、58の章に分けて再現しています。古い写真も多く掲載されています。 
 松山に行ったことのない私ですが、この本をながめる度に、時空を超えて幻の迷路に分け入るようでとても魅力的です。
 地図に描かれた各種店舗を見て行くだけでも、当時の生活が垣間見れる。また芝居小屋、映画館、政治家が使う料亭、花街に遊郭、鉄道、22連隊、県庁、師範学校、銀行、病院、捕虜収容所などなど。
 発行が1975年ですから、さらにもう40年経っている。街に刻まれたはずの記憶は、猛スピードで消えていくのでしょうか。
 戦後編を追加して新版が2002年に出ているようです。



2-80_201611042115292e8.png 「モダン心斎橋コレクション メトロポリスの時代と記憶」 は、大阪の心斎橋筋の近辺で1958年に生まれ育った方がまとめあげた本。
 明治から昭和までの心斎橋筋の賑わいと、時代時代の流行最先端の繁華街の様子を、数多くの当時の写真や広告パンフレットで鮮やかに描くビジュアル主体の本です。
 この本でも、当時の街並みが丁寧に再現されています。特に大丸とそごうにはページを割いています。
 私は幼い頃、大阪府堺市に住んでいて、近くにアーケード商店街が三つあって、そこには映画館が数軒、通りを脇に入ると芝居小屋やストリップ小屋がまだありました。しかし、年に数回 親に連れて行ってもらえる心斎橋筋は、段違いに華やかでした。
 難波の高島屋と心斎橋筋の大丸の、おもちゃコーナーや大食堂と屋上遊園、そして心斎橋筋にある不二家レストラン。特にクリスマスソングが流れる頃は心が踊ります。
 ある時から、心斎橋筋アーケードの路面が波のうねりを模したタイル舗装になったことも新鮮でした。心斎橋はちゃうなぁと。
 上の「わすれかけの街」によると、松山の商人は、大阪の街に仕入れに行ったようで、大阪の最先端を、例えば喫茶店、カフェ、デパートといった新しい営業形態を、松山の街に持ち帰ったようです。
 ある日、心斎橋筋の人混みを親と歩いていると、向こうから白い背広の男が脇に若いのを引き連れて歩いてくる。周りの通行人は彼らを避けている。その白い背広は私が住んでいるアパートの上の階のおじさんで、優しい言葉を投げかけてきたことが、今となっては懐かしい出来事。


4-80_20161104211819001.png 「明治の迷宮都市 東京・大阪の遊楽空間」 は、大阪の街を主に、東京の街も含めながら書かれています。
  近世と近代の狭間で揺れ動く難波新地・千日前あたりから始まる近代都市と見世物小屋の成り立ち・発展、都市部の墓地の変遷、その他パノラマ館や博覧会などについてが書かれています。
 特に、世俗の塔の誕生、つまり浅草の十二階や富士塚をはじめ、料理屋の三階桟敷や大阪の凌雲閣(北の九階)など高塔ブームが面白い。
 上の「わすれかけの街」でも、通り添いの店が三階建てであったり、明治末ごろ九層楼というヤグラ状の塔が建っていて海の向こうに島が見えて人気だったらしいことが出てくる。「街」は大いに人を誘います。


3-80_20161104211818cc3.png 「花街 異空間の都市史」 は、全国に600カ所もあったという花街を、都市の空間的共通項としてとらえ、近代の市街地形成の力学と、地元政治力学の観点から精査した学術的な本。全国各地を実地調査する精力ある著者は1972年生まれ。
 なお、本書の花街とは、下図が示す狭義の花街を言っている。
 もちろん本書は興味本位の本ではないし性差別を云々するものでもない。また、地元自治体の生々しい政治が臭う章もある。
 1933年ごろ、東京には9941人の技芸がいて、技芸屋・料理屋・貸席・待合茶屋が合計7235軒、大阪では4723人で1276軒、京都は1731人で1060軒。ちなみに松山は183人で102軒。このように、本書掲載の「市制都市の遊郭と花街(1933年)」のリストで113の街を眺めると、軍都に花街が栄えていたことも読み取れる。
 上の「わすれかけの街」に、武家屋敷とその庭がそのまま料亭に使えたという記述がある。時代が明治に入り、城郭を中心としたあるじ無き武家地は、政府の管理下に置かれて新たな用途を待っていた。この例は都市再開発から生まれる花街の例のうち、特殊だと書かれているが、松山はまさしくこれだったようだ。
無題3 永井荷風の小説を引き合いに出して、花街と遊郭が重なる領域もあったことを本書は示しているが、これで思い出すのが、今年尾道で泊まった古い格式ある旅館。廊下の端にある部屋の隅に小さな隠し戸があって、這ってやっと潜り抜けられる位の隣りへの出口。仲居さんがそっと、その存在を教えてくれました。
 瀬戸内の十字路・尾道の街を歩きましたが、街は寂れ過去は容赦なく消去されて行くようでした。
 その一方で、去年行った金沢では、花街が観光客相手に商品化されていました。
 ところで、松山に行ってみたいかって? そうですね・・・、躊躇しますね。



「わすれかけの街 まつやま戦前」  愛媛新聞社 1975年
大街道一丁目|大街道二丁目|大街道三丁目|東雲町|西一万|六角堂周辺|一番町|二番町|花街|三番町|千舟町|正安寺町|玉川町・御宝町|北京町・南京町|唐人町三丁目|・・・

「モダン心斎橋コレクション メトロポリスの時代と記憶」 橋爪 節也 (著)  国書刊行会  2005年
都市の標本箱を開く試み|プロローグ プレ・モダン|第1章 ハイカラ心斎橋|第2章 石橋心斎橋と「暖簾の王国」|第3章 Flaneursモダン回廊周遊|第4章 モダニズムの宮殿 - 豪華百貨店世界|第5章 氾濫するGoods - モダン心ブラストリート|第6章 食べ尽くす心斎橋 - 心ブラ途中で少し休憩|第7章 丹平ハウスと、をぐらやビルディング - 美術と文芸の拠点|第8章 アートづくし心斎橋 - 美術・デザイン・写真・音楽・文芸

「明治の迷宮都市 東京・大阪の遊楽空間」 橋爪 紳也 (著) 平凡社 1990年
1 都市と見世物小屋の近代|2 死者たちのユートピア|3 世俗の塔の誕生|4 迷路のなかの快楽|5 パノラマ館考|6 博覧会という体験|付録 大坂名所 東京名所

「花街 異空間の都市史」 加藤 政洋 (著) 朝日新聞社(朝日選書785) 2005年
序章 花街のイメージ|第1章 花街 - 立地・制度・構成|第2章 都市再開発から生まれる花街|第3章 街のインキュベーター|第4章 慣例地から開発地へ - 東京の近代花街史|第5章 遊蕩のミナト - 神戸の近代花街史|第6章 遊所から新地へ - 大阪の近代花街史|第7章 謎の赤線を追って - 鹿児島近郊の近代史|終章 なぜ、花街か?

最近読んだ本。 「二大政党制 批判論」、「日本人の境界」

  • Posted by: やまなか
  • 2016-07-10 Sun 06:00:00
  • 書評
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 アメリカ、イギリスなど欧米諸国や日本の政治を見ていて、一体どうなってんだと歯がゆく思う。
 そもそも「政党って何よ?」 そう思いながら「二大政党制批判論」を読んだ。
 歯がゆく思う、その理由が少し分かった気がした。

 また一方、沖縄が抱える問題をちゃんと勉強したいと思う。
 でも、沖縄についての言論は多々あるが、論ずる視野が狭いせいか、その論点は理解できても、「でも、そもそも沖縄問題って何?」という問いに対しては、しっくり来ない。まさしく靴底から足の裏を掻く、感じ。
 そこで、小熊 英二の「日本人の境界」を読んだ。分厚い本だが、はっきり筋道が通っていて実に明快! ウーンこれは名著。


「二大政党制批判論  もうひとつのデモクラシーへ」    吉田 徹 (著)  光文社新書

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 本書は二大政党制への批判の書であるが、政党と政党政治の果たしている役割が、世界的にみて低下しているという認識のもとに、政党は何のためにあるのか、その果たすべき役割とは何なのか、を明らかにしている。
 二大政党化と二極化の進展は、社会の両端と底辺に位置する有権者を置き去りにする。極右やポピュリズム政党の台頭についての記述もある。
 また、欧米の政党政治の実情とともに、日本の政党政治や選挙制度のこれまでの流れにも言及している。2009年発行の書だが、今でも読める。投票するにあたってのノウハウを教わるよりも、まずは本書のような基本を理解したい。
  
【目次】
第1章 政党はどのような存在なのか
    【要旨】 政治においてそもそも、なぜ、政党という存在が必要とされることになったのか、国家の中での政党政治がどのような意味を持つのか。
第2章 政治改革論と「政治工学」の始まり
    【要旨】 二大政党制論が90年代の政治改革の流れの中で、どのように浮上したのかを当時の政党政治の変遷とともに回顧する。(本書で言う「政治工学」とは人為的に制度をいじって、それだけで政治が良くなるという発想方法)
第3章 二大政党制の誤謬
    【要旨】 二大政党制は多くのデモクラシーのひとつに過ぎないことを、様々な理論や各国の事例から論証する。敵対的な二大政党制は新自由主義と親和的である側面を指摘する。
第4章 歴史の中の政党政治 ― なぜ社会に根付かないのか
    【要旨】 政党政治や政党制が、どのように形成され実践されているかを欧米諸国の経験や実情を素材に、日本の明治大正期の政党政治の流れも視野に入れ論じる。
第5章 もうひとつのデモクラシーへ
    【要旨】 以上のように二大政党制の弊害を確認したうえで、新たなモデルはあるのかを現代民主主義理論を軸に考える。



「 「日本人」の境界  沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮   植民地支配から復帰運動まで」  小熊 英二 (著)  新曜社

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 「日本人」とは、どこまでの範囲の人びとを指す言葉であったのか。これが本書の第一の問いである。
 その「日本人」の境界は、どのような要因によって設定されてきたのか。これが本書の第二の問いである。
 近代日本の境界地域、すなわち沖縄、アイヌ、台湾、朝鮮などに対する政策論を以上の視点から検証し、「日本人」および「日本」という概念を再検討すること。これが本書の主題である。(序章の冒頭から引用)

 著者は、770ページほどの紙面のほとんどを使い、綿密に一次資料にあたり丁寧に検証している。(下記の目次参照) これを読む過程で、読者は江戸期以来の近代日本の支配地域拡張の政策を学び、そのなかで、それぞれの地域での「日本人」の「境界」が揺れ動くことを知る。

 戦前、朝鮮人や台湾人も、沖縄やアイヌの人々と同様に日本国籍を持っていて、法的には「日本人」であった。しかし同時に、日本国籍を持つ朝鮮人、台湾人、沖縄やアイヌの人々が、平等に「日本人」として遇されたわけではない。法制面以外での一般における差別が激しかったことは言うまでもなく、制度的にも一般的にも差別される「日本人」、つまり「日本人」であって「日本人」ではない存在の人々がいた。つまり「日本人」の境界に位置する人々だ。

 第18章「境界上の島々 ~外国になった沖縄」の冒頭で著者は、本書の主題である領土変更に伴う「日本人」の境界の問題として、とりわけ「日本からの分断と復帰という経過をとった沖縄が、もっとも大きな(主題の)対象だ」と述べている。
 沖縄は米軍の軍事目的のための暫定的占領であった。米軍にとっては、沖縄を併合してアメリカ領土にすれば、沖縄住民に「アメリカ人」としての人権を与えなければならない。信託統治をするとすれば、中ソの反対で実現困難であるだけでなく、国連の規定に縛られる。日本に返還すれば、米軍の軍政は行えない。結局、暫定措置というかたちで軍政を継続し、<アメリカであってアメリカでない土地>としてこそ、米軍のフリーハンドが獲得できた。(サンフランシスコ講和条約) ここからも、また始まる、「日本人」であって「日本人」ではない占領下の沖縄の問題も、丁寧に検証される。

 ちなみに、近代日本において、支配地域拡張の政策担当者や論者たちが、先行する欧米に比べて日本の帝国主義の後発性を強烈に意識していたことが、境界地域に対する政策に大きな影響を与えていたことを知ることができる。例えば、支配にかかる経済コストの軽視、地域からの収益よりも国防重視の姿勢、原住者の絶対的な忠誠心の確保などの大日本帝国の支配地域に対する政策の特徴を、欧米の植民地経営と比較している。
 著者の多面的な探究の姿勢や、その他の膨大な検証内容につては、下の目次をたどるだけでも理解できると思う。
 沖縄だけではなく、アイヌ、台湾、朝鮮に関する問題に突き当たった時も、その都度、また読み返したい本だ。

【目次】
序章   「日本人」の境界変動/「日本」と「植民地」、そして「欧米」/「包摂」と「排除」/
      「政治の言葉」と「表現されえないもの」

(Ⅰ)
第1章 琉球処分  「日本人」への編入
      「国内の人類」への統合と排除/外国人顧問の提言/「日本人」としての琉球人/歴史をめぐる争い
第2章 沖縄教育と「日本人」化  同化教育の論理
      旧慣維持と忠誠心育成/「文明化」と「日本化」/歴史観の改造
第3章 「帝国の北門」の人びと  アイヌ教育と北海道旧土人保護法
      国境紛争から「日本人」へ/〈日本人の住む土地〉/宣教師の脅威/「漸化」という論理/
      北海道旧土人保護法の成立

第4章 台湾領有  同化教育をめぐる葛藤
      台湾統治の混迷/外国人顧問の同化反対論/「殖民地」か「非殖民地」か/国防重視論と対欧米意識/
      「日本人」化教育の開始/巻き返す非同化論/「漸進」という折衷形態

第5章 総督府王国の誕生  台湾「六三法問題」と旧慣調査
      〈事実上の立法権〉/〈台湾自治王国〉構想/折衷としての「法律でない法律」/議会側の反発/
      「日本人」の意味/後藤新平の台湾王国化/根拠不明の独裁支配

第6章 韓国人たりし日本人  日韓併合と「新日本人」の戸籍
      踏襲された折衷案/「漸進主義」の教育/国籍における排除と包摂/同化言説の完成
(Ⅱ)
第7章 差別即平等  植民地政策学と人種主義
      フランス同化主義と啓蒙思想/ル・ボンと同化主義批判の台頭/「生物学の原則」/「自治」と「離隔」/
      「自主」のジレンマ/二つの差別の間

第8章 「民権」と「一視同仁」  植民地と通婚問題
      「一視同仁」の高唱/「植民者民権」の出現/通婚と「日本人」
第9章 柳は翠、花は紅  日系移民問題と朝鮮統治論
      錯綜する論壇の統治批判/デモクラットの文明的同化主義/大アジア主義者の分化多元主義/
      自由主義者の分離主義/「民族問題」隘路

第10章 内地延長主義  原敬と台湾
      文明化としての「日本人」/「日本」編入のモデル/総督府の抵抗と「漸進」/頓挫した統治改革
第11章 統治改革の挫折  朝鮮参政権問題
      総督府による統治改革/自治か参政権か/〈総督府の自治〉の浮上
(Ⅲ)
第12章 沖縄ナショナリズムの創造  伊波晋猷と沖縄学
      沖縄にとっての同化/二重のマイノリティ/防壁としての同祖論/沖縄ナショナリズムと同祖/
      排除と同かの連鎖/啓蒙知識人として/挫折した沖縄ナショナリズム

第13章 「異身同体」の夢  台湾自治議会設置請願運動
      権利獲得としての「同化」/多様性への願望/植民政策学の読み換え/キリスト教徒とアジア主義者/
      多元的な日本、多元的な台湾/「憲法違反」の限界/引き裂かれた請願運動

第14章 「朝鮮生まれの日本人」  唯一の朝鮮人衆議院議員・朴春琴
      「日本人」としての権利/内地在住朝鮮人の参政権/「我等の国家」への屈折/「一視同仁」の壁/
      虚像の「日本人」

第15章 オリエンタリズムの屈折  柳宗悦と沖縄言語論争
      オリエンタリズムとしての「民芸」/沖縄側の猛反発/「西洋人」としての方言擁護/「日本人」の強調/
      沖縄同化の最終段階

第16章 皇民化と「日本人」  総力戦体制と「民族」
      「朝鮮」の否定/民族概念の相対化/平等と近代化の期待
第17章 最後の改革 ― 敗戦直前の参政権付与
      境界を揺るがす三要因/遺跡問題の浮上/超えられなかった臨界/「日本人」という牢獄
(Ⅳ)
第18章 境界上の島々  「外国」になった沖縄
      「少数民族」としての沖縄人/「琉球総督府」の誕生/「アメリカ人」からの排除/
      「日本人」であって「日本人」でない存在

第19章 独立論から復帰論へ  敗戦直後の沖縄帰属論争
      沖縄独立論とアメリカ観/保守系運動としての復帰/帰属論議の急浮上/揺らぎの中の帰属論
第20章 「祖国日本」の意味  1950年代の復帰運動
      人権の代名詞としての「日本人」/親米反共を掲げた復帰運動/日本ナショナリズムの言葉
第21章 革新ナショナリズムの思想  戦後知識人の「日本人」像と沖縄
      「アジアの植民地」としての日本/「健全なナショナリズムの臨界」/単一民族史観の台頭/
      「植民地支配」から「民族統一」へ/民族統一としての琉球処分/非難用語となった「琉球独立論」

第22章 1960年代の方言札  戦後沖縄教育と復帰運動
      復興活動としての復帰/方言札の復活/「日の丸」「君が代」の奨励/憧れと拒絶の同居/
      「祖国は日本か」/政治変動と転換と

第23章 反復帰  1972年復帰と反復帰論
      琉球独立論の系譜/復帰の現実化/「仮面」への嫌悪/独立論との距離/「否」の思想

結論   後発帝国主義としての特徴/国民国家における包摂/公定ナショナリズム/「脱亜」と「興亜」/
      分類外の曖昧さ/被支配者の反応/有色の帝国


あとがき

最近読んだ本。「闇に消える美術品」・「美術品はなぜ盗まれるのか」

  • Posted by: やまなか
  • 2016-02-04 Thu 06:00:00
  • 書評
『闇に消える美術品 ~ 国際的窃盗団・文化財荒らし・ブラックマーケット』
エマニュエル・ド・ルー、ロラン=ピエール・パランゴー (著)  東京書籍 (2003年)

 我々一般が、うかがい知れない美術マーケットの裏側を教えてくれる本。筆者はフランス「ル・モンド」紙の記者。
 大手オークションハウスの強力な販売方針で、美術品は富裕層の投機的な商品となった。もちろん、大手美術館も個人コレクターも収集に意欲的だ。
 だから、美術品を金儲けの手段としか考えない人々が大勢、マーケットに群がる。窃盗、盗掘、海底からの引上げ、隠匿、密輸、密売、仲買。しばしば、麻薬シンジケートのルートにも乗る。アルカイダによる遺跡・博物館の破壊、強奪。美術品市場を汚染する犯罪は後を絶たない。
 国家間の法律の不一致のすき間をすり抜け、盗難美術品は世界をめぐる。闇から闇へ、時に浮上して昼の世界へ。各国の警察・税関、保険会社、画廊、美術商、競売会社を経て、美術館、個人コレクターに至る。

 一般的に、美術作品の真贋は確認されるが、その「出所」は必ずしも明らかになるとは限らないらしい。これには驚く。
 アート・ロス・レジスターという10万件以上におよぶ紛失美術品のデータベースがある。その内容は例えば、ピカソの盗難点数320点、ミロ264点、シャガール230点、ダリ148点、アンディ・ウォホール109点、・・・・。

 バブルの最中、日本にも多くの美術品が闇ルートで入って来た。
 1996年、日本のある大手銀行から、金庫に保管している1000点の絵画についての調査依頼が、アート・ロス・レジスターに入った。調査の結果は、金庫目録上では総額数十億ドルを上回っているが、調べでは14億ドルのものだった。このように、美術品が闇から昼の世界に浮上する前に、大勢のペテン師は闇市場で大金を素早く稼ぐ。

 かつて、現地の人々を動かせて、アフリカ・アジア・南米から、ほぼ勝手な発掘で持ち出した美術品。
 美術館には辣腕の弁護士がついている。トルコ政府が自国の文化遺産を取り戻すため、「これはモラルの問題だ」と裁判に訴えたが、メトロポリタン美術館の弁護士は言う。「美術館にあるものは全てこちらのものだ。」 こういう姿勢だ。
 などなど、マーケットの広範なシーンを俯瞰できる。

1-80_2016012910462770f.jpg【目次】
序説:(スーラの)「辻馬車の馭者」はどこへ消えた
1 盗品隠匿人たちの大舞踏会  フランス・オランダ・ベルギー
2 ルーヴルのミステリー  フランス
3 シャトーに伸びる黒い手  フランス
4 アマチュアの失敗  ローマ・ニース・パリ
5 「将軍」の死  アイルランド
6 密売人、悔恨の告白  キプロス
7 アフリカの巨大マーケット  マリ・トーゴ・ニジェール・ナイジェリア
8 ワルテルとワッケロス  ペルー
9 香港、この巨大な倉庫  中国
10 南シナ海の宝探し  フィリピン
11 カブール博物館の死  アフガニスタン
12 石造神の虐殺  カンボジア
13 メトロポリタン美術館の地下倉庫  トルコ・アメリカ
14 コンピュータ探偵  イギリス
15 ユニドロワの戦い  スイス


欧米の美術館は、競うあうようにして、高価な美術を収集し続けている。だから、そこから盗み出す。
  だが、それを、探偵小説を読むように面白がっていてはいけないと、『美術品はなぜ盗まれるのか』 の著者は言う。(下記)

『美術品はなぜ盗まれるのか ~ ターナーを取り戻した学芸員の静かな闘い』
サンディ ネアン (著)  白水社 (2013年)

 1994年、テート・ギャラリーが所有する、ターナーの著名な作品2点が、貸し出し中のフランクフルトのシルン美術館から盗まれた。本書は、この事件の顛末を振り返る本。絵画が再び戻ってくるまでに8年半の歳月がかかった。
 著者は、当時テイトの学芸員で、シルン美術館へ貸し出しの責任者であった。事件の内容が詳細に書かれていて、美術品の盗難事件とは、一体どういうことなのかが分かる。
 盗まれた著名な美術品は、一般的には売却が困難なため、犯人は保険会社や美術館、コレクターに「身代金」を要求してくる。しかし、身代金は犯罪組織に多額の資金を与えることになり厳格に禁止されている。一方で、情報提供者に対する謝金は高額化している。テートは情報提供者に5億円(当時)を支払っている。しかし事件は、支払って終りというような事では全くなかった。
 捜査に当たっては、英国ドイツ両国の、それぞれ複数の組織が関係し事が複雑になっている。文化メディアスポーツ省、ロンドン警視庁(捜査員)、財務弁護局、チャリティ委員会(判事)、ドイツ側はフランクフルト警察・検察局、同局検事長・副検事・検事3人、ドイツ連邦刑事局、バイエルン警察。加えて、盗難作品をコントロールしている二つのグループ。(本書のカバー裏に登場する主な人物一覧がある。探偵小説のようだ。) 

 売却が困難にもかかわらず、著名な美術品の盗難は後を絶たない。カンヴァス1枚が何十億もの価値があり、よって美術品は、闇の世界の麻薬や武器の違法取引時に、札束の代わりとして、あるいは担保となっている。テート事件で最終的に絵画を所持していた者は、バルカン地域の地下組織と推測されている。

 (本書第7章から) 盗難美術品のおよそ90%は、二度と発見されないらしい。
 (本書第6章から) 「過去50年間の著名な高額美実品の価格と現代相当金額」の表から (金額は2009年時点円換算)
 高額な順位でみていくと・・・・
 (1位)638億円 1962年ルーブル美術館「モナ・リザ」、(2位)155億円 2008年サザビーズにてダミアン・ハーストの現代美術作品、(3位)134億円 2006年ジャクソン・ポロックの現代美術作品、(4位)122億円 クリスティーズにてゴッホ「医師ガシェの肖像」   

 テイト(テート・ギャラリー)
   英国政府が持つ英国美術コレクションや近現代美術コレクションを所蔵・管理する組織。
 
2-80_201601291051163a5.jpg【目次】
(第一部)
第一章 ターナー二点、フランクフルトで盗まれる(1994年)
第二章 迷走する捜査、保険会社との折衝(1994~2000年)
第三章 《影と闇》を取り戻す(2000~2001年)
第四章 ターナーをテートの壁に(2002~2003年)
(第二部)
第五章 美術館の倫理観
第六章 美術品をめぐる価値
第七章 動機から見た美術品盗難事件の歴史
第八章 小説・映画に描かれる美術品泥棒と探偵たち
第九章 美術品盗難をどう防ぐか







“1970年代の日本のロック、フォークを振り返る”をテーマにして読んだ本。「70年代シティ・ポップ・クロニクル」「ライブハウス「ロフト」青春記」「ライブハウス文化論」

  • Posted by: やまなか
  • 2015-10-05 Mon 06:00:00
  • 書評
上
 1970年代初頭に大きく台頭してきた、エポックメーキングな「’70年代の日本のロック、フォーク」。
 思うに、あれは一種の祭りであった。あの祭りは、演奏者と熱心な観客とが一体化できた「場」であり、かつ暗黙のうちに、何らかの共同作業をした場であった。幻想だったろうか? 
 振り返ると、1970年代のロック・フォークは、あのバブルの頂点(峠)の向こう側。そして、1960年代からの政治の波が、足元で引いて行く浜辺にあった。

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「70年代シティ・ポップ・クロニクル」  
  萩原健太 (著)  (ele-king books) Pヴァイン 2015年


 クロニクルとは年代記のこと。つまり、1970年代の日本のロック、フォークを語る本。名盤としてイチオシのアルバム15枚(下記目次)を紹介しながら、著者は当時を語る。
 かつ、各アルバムごとに、関連するミュージシャンのアルバムが数枚紹介されていて、結果、15枚+86枚の合計101枚のアルバムで1970年代の日本語ロックとフォークを、おおよそ総覧できる。
 当時を懐かしむも良し、新たな発見をするも良し。良質な音楽であったことに間違いはない!

【目次】
まえがき|「風街ろまん」前史|風街ろまん・・はっぴいえんど|大瀧詠一・・大瀧詠一|摩天楼のヒロイン・・南佳孝|扉の冬・・吉田美奈子|Barbecue・・ブレッド&バター|久保田麻琴Ⅱ~サンセット・ギャング・・久保田麻琴|MISSLIM・・荒井由実|黒船・・サディスティック・ミカ・バンド|HORO・・小坂忠|SONGS・・シュガーベイブ|バンドワゴン・・鈴木茂|センチメンタル・シティ・ロマンス・・センチメンタル・シティ・ロマンス|火の玉ボーイ・・鈴木慶一とムーンライダーズ|泰安洋行・・細野晴臣|熱い胸さわぎ・・サザン・オールスターズ|あとがき|

20.png10_20150930231426cd7.png◆「70年代シティ・ポップ・クロニクル」が紹介する中から、好きなバンド2つ。
<はっぴいえんど>   
 1stアルバム「はっぴいえんど」(1970年URC)と、2ndアルバム「風街ろまん」 (1971年URC)は、道を教えてくれました。右はURCレコードによるレコードリストです。はっぴいえんどの当時の立ち位置が分かります。クリックして拡大できます→
 加えて、細野晴臣の「HOSONO HOUSE」(1973年)と、大瀧詠一の1stソロ・アルバム「大瀧詠一」(1972年)が強烈であった。
 1973年の解散コンサートは行きました。あっという間に、はっぴいえんどというバンドは、なくなりました。
<はちみつぱい>
 鈴木慶一とムーンライダーズの前身のバンドです。
中 1973年に、初めて彼らの音を聴いた時、突如ライブハウスのステージ空間が歪み出し、妖しい異空間に遭遇、ワクワクしました。渋谷百軒店のロック喫茶BYGの地下から、時折、彼らの練習が聴こえていました。そして、近くのロック喫茶ギャルソンで、彼らがリクエストするレコードを密かにチェックしてました。今も深く思い入れがあるバンドです。
 2013年のあがた森魚コンサートに、ムーンライダーズ一派と、元はっぴいえんどの鈴木茂が参加してました。このコンサート記事は、こちらからご覧ください。
 右は、1stアルバム「センチメンタル通り」(1973年ベルウッドレコード)


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「ライブハウス「ロフト」青春記」
  平野 悠 (著)  講談社 2012年


 筆者は1971年に「ロフト」を立ち上げ、その後40年以上に渡り今もライブハウスを経営する人。
 上記の「70年代シティ・ポップ・クロニクル」にある1970年代から、80年代半ば頃までのロック、フォーク、ジャズのライブ現場を回顧する本であり、かつライブハウス経営の当事者の視点でライブハウスという場の変遷を語る本。
 内容は、下の目次を見てください。日本の音楽シーン全体が、プロフェッショナルなアマチュアから脱皮して、職業人としてビジネスに乗って行く変遷を追う、貴重なドキュメンタリーでもあります。
 
【目次】
プロローグ
第一章 開宴(失業、そしてジャズ喫茶を開店)
ジャズ喫茶・烏山ロフトの誕生(1971年春)|開店資金は140万円|店のレコード枚数が少ない事を武器に|烏山ロフトの論客たち・坂本龍一ほか|吉祥寺・ぐゎらん堂の衝撃|ライブハウスへの目覚め|ほか
第二章 飛躍(西荻窪ロフト編)
西荻窪ロフト、1973年オープン|ライブはいつも大赤字|チャージ全額バック制に移行|春二番コンサート・イン・西荻窪ロフト|店をいっぱいにしたスターたち・高田渡、友部正人、大塚まさじ(ディランⅡ)と西岡恭蔵、中山ラビ、河島英五|都会派の南佳孝と浜田省吾|歌う哲学者・斉藤哲夫と天才・加川良|ほか
第三章 追撃(荻窪ロフト編)
日本のロックの躍進が始まった|西荻窪ロフトの限界は広さ|シンガー・ソングライターの誕生|手作りで荻窪ロフトを開店|プロのブッカ―の投入|山下洋輔トリオは荻窪ロフトの楽屋で解散|情報誌「ぴあ」と「シティロード」|ロフトから私の愛するジャズライブは消えた|ニュー・ミュージックの躍進|「日本語ロック」で悪いですか?|ティン・パン・アレーと一夜で解散した伝説のバンブー|ほか
第四章 革命(下北沢ロフト編)
ライブハウスの時代が始まった|下北沢ロフト、オープン|中島みゆきが出演|サザンオールスターズと下北沢ロフトの物語|ほか
第五章 天下御免(新宿ロフト編vol.1)
下北沢ロフトの成功から新宿へ|70年代後半、ニュー・ミュージックの時代|歌謡曲と日本型ポップスの衰退|日本一巨大なスピーカーを装備|かくして新宿ロフトはオープンした|ライブハウスの原点が崩壊していく!|ポスト・パンク=テクノの時代へ|ほか
第六章 爛熟(新宿ロフト編vol..2)
ライブハウスの大型化と大手商業資本の参入|先鋭化するパンク・シーン|朋友、今はなき「渋谷屋根裏」と「ルイード」に栄光あれ|ロフトのロックに対する歴史的な役目は終わった|悶々とした日々|ロフト解散宣言|日本を捨て無期限の世界放浪の旅に出る(1984-92)|ほか
エピローグ
日本のロックはどこに行くのだろうか?|ほか

◆「ライブハウス「ロフト」青春記」を読んで、西荻窪ロフトを思い出す。
 隣りが八百屋、向かいは魚屋という古びた市場の中にあった西荻ロフトでは、ロックバンドがガンガンに音を出していた。
中2 例えば、大塚まさじ率いるオリジナル・ザ・ディラン。エレクトリックギターを抱える石田長生やフェンダーローズ(エレクトリックピアノ)の佐藤博、ドラムの林敏明、エレクトリックベースの田中章弘。みんな凄くかっこ良かった。
 西荻ロフトの店内にはトイレが無かった。市場にある小さな共同便所を利用した。だから、ライブの休憩タイム時は、すぐに混みあった。よって男性は、人目のない近所の暗がりで用を足していた。そんな訳で、ミュージシャンも客も、連れションしながらいろいろ話ができた。例えば、「演奏中に、なんでチョコレートを、かじってるんですか?」佐藤博さん曰く、「カフェイン中毒なんだよ、ほんとに(笑)」
 右はオリジナル・ザ・ディランのアルバム「悲しみの街」1974年キングベルウッドレコード


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「ライブハウス文化論」
  宮入 恭平 (著)   (青弓社ライブラリー 53)  青弓社 2008年


 1968年生まれの著者は、80年代末ごろから、フリーのミュージシャンとして東京のライブハウスで活動してきた人。
 だから1970年代を客観的に歴史として整理しながら、同時に、現在のポップス音楽シーンを、ミュージシャン側から見たライブハウスの現場、という切り口から批評する本。1980年代を転換期に音楽シーンは産業化が進み、高度に商業化システム化して行く。
 現在のシステム化されたライブハウスの経営は、ミュージシャンに課せられるノルマやチャージによって支えられている。
 ミュージシャンの、「プロ」と「プロフェッショナル」と「アマチュア」の区分の日米比較が面白い。また、ライブハウスとカラオケの関係も述べていてこれも面白い。
 この点については、上記の本「ライブハウス「ロフト」青春記」のエピローグにも関連の記述がある。
 長らく海外にいて92年に帰国したばかりの著者でロフト・オーナー平野 悠が、ライブハウスのノルマ制度が一般化しているのに驚いて、・・・
 「えっ、客が入らない(入りが悪い)と、ライブハウスは表現者から罰金を取るのか?」
 スタッフ曰く、「はい、出演料です」
 「出演料って、店側が払うものじゃないの?カラオケと勘違いしてない?」
 スタッフ曰く、「アマチュア・ミュージシャンを相手にしたカラオケの豪華版です」 

【目次】
第1章 ライブハウスの全貌
ライブハウスのイメージ|現状|変遷|
第2章 ライブハウスとミュージシャン
ロック系ミュージシャン|ライブハウスのミュージシャン|
第3章 ライブハウスと音楽空間
演奏者と観客の固定的関係~コンサートホール|演奏者と観客の流動的関係~ストリート、ロック・イベント|ライブハウスでの演奏者と観客の関係|
第4章 ライブハウスとノスタルジア
団塊世代と音楽|団塊世代の音楽消費|ノスタルジアとしての音楽~懐かしいの商品化、後ろめたさ|
第5章 ライブハウスとミュージック・クラブ
ライブハウスとミュージック・クラブ|音楽ブームと音楽シーン|天国のアーティストと地下鉄のミュージシャン|カラオケとKARAOKE
第6章 ライブハウスのゆくえ
存在意義|ゆくえ|


◆音楽評論家の小沼純一が言っている。
 「“ある音楽が通じる”共同体がある。その共同体とは、その音楽が響いている その持続の中でしか存在しない、その響きの中でしかありえない想像的なものだ。」
 「音楽はそれだけで成り立つわけはない。視覚的要素や空気、つまり「場」というものと切り離しがたいものとして、音楽はあるはず。」
 「音楽と人の生活は、時代を追うごとに結びつきが希薄になって来た。音楽を奏でる人と聴く人が分離し、聴く人は聞く人になり、聞き方は散漫になった。」
(「サウンド・エシックス これからの音楽文化論入門」より)
0_20151003175902e40.jpg◆私が好きだった、そのほかのバンド。
<センチメンタル・シティ・ロマンス>
 彼らを初めて聴いたのは、やはりどこかのライブハウスでした。はちみつぱいのステージの後に、トリで登場し、両バンドの色の違いを鮮明にした。アルバムを聴く分にはカラッと洗練された完成度高いサウンドだが、メンバーは一様に見た目、むさ苦しくダサかった。だから泥臭いサウンドに見えた。今回、恐るおそる聴いてみたが素晴らしい。1975年、1stアルバムを出したあとだったか?ドラムの人が替わった。こうして、どのバンドも技量のアップが求められて行った。
<その他、キリがない・・・>
 葡萄畑は、私にとって身近な先輩たちのバンドでした。そして、ソー・バッド・レビュー、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、小坂忠(1stアルバム「ありがとう」1971年)、布谷文夫(ニューオリンズR&Bのドクター・ジョンをやった)、伊藤銀次(「ごまのはえ」や「ココナツ・バンク」)、斉藤哲夫、ダッチャ(「26号線」1973年)、ブレイク・ダウン、憂歌団、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、空飛ぶドーナツなどなど・・・・・・。
 1980年代が近づくにつれて、日本の音楽がどんどんオシャレに上手くなってビジネスになり、その結果、70年代初めのピュアなマインドが希薄になるに従って、私の関心は徐々に、ソウルやR&Bやファンク、そしてサルサ・南米音楽・沖縄島唄など民族音楽へと傾倒して行った。ミュージシャンにも生活があったし、音楽産業も企業として成長したかった。そして時代はバブルに向かって行った。

◆1970年代、ロック、フォークの周辺。
<ライブハウス>
 もちろん、ロフト系以外のライブハウスにも通った。高円寺のジロキチなど、京都に帰れば拾得、磔磔。三ノ輪の「モンド」も印象に残ってます。
<大型コンサート>
 いろいろ行きましたが、どれが一番強烈だったか?それは春一番コンサート(大阪の天王寺公園野外音楽堂)。
 あと、もうひとつ。革マルが主催で四谷会館で催された友部正人コンサート。たくさんの折り畳みイスが並べられていましたが、観衆はわたし1人。3メートルの距離をおいて、友部正人と私。対峙して聴きました。
<よく通ったロック・フォーク系の音楽喫茶店(兼・呑み屋)> 
 金も無いのに、どの店もよく通いました。いろんなレコード聴きました。渋谷百軒店の「BYG」と、すぐ近くの「ギャルソン」に「ブラックホーク」。吉祥寺は、なんといっても「ぐゎらん堂」。下北沢は、カントリーブルース系の「Zem」と、ブルース・ソウルの「STOMP」。それと、ライブが無くても、ライブハウスで飲みました。
<レコード屋>
 とにかく、週に一度はどこかのレコード屋に行って、たとえ無一文でも、輸入盤レコードを探してました。だから、もっぱら中古レコード専門のハンターやディスクユニオン。
 当時のある日、西荻窪駅近くにあった、あの時代によくあったアンティーク何でも屋の店先に、中古レコードが2、30枚ほど置いてあった。欲しいレコードが安い金額で出ていた。その中から4枚買おうとしたら、後ろから声がかかった。「それ、俺が出したレコードだよ」振り向いたら、にっこり笑う久保田麻琴が立っていた。「いいセンス」と褒められた。(笑)
 就職してからは民族音楽など濃いレコードは専門店も回った。水道橋の「ティア・ホアナ」、高円寺の「ビスケット・タイム」とか。東横線都立大学駅だったか、ソウルの中古専門店があったな。
<練習スタジオ>
 軽音楽同好会の地下練習部屋以外では、渋谷のエピキュラスでスタジオ借りて、バンドの練習をしていた。(こりゃもう告白だな)
 エピキュラス内の各スタジオの、防音ドアの窓越しに中をソットのぞくと、たまにプロがいた。ユーミンがひとり、グランドピアノを弾いてるシーンが印象に残ってる。
 以上ここまで、お付き合い頂き、ありがとうございます。筆が滑りました。


「東アジアと日本」をテーマに、東アジアの現在をちょっと俯瞰する。・・・最近読んだ本。「越える文化、交錯する境界」「アジア 力の世紀」「われ日本海の橋とならん」「アジアインフラ争奪」「日本と出会った難民たち」

  • Posted by: やまなか
  • 2015-09-19 Sat 06:00:00
  • 書評
上22


 「東アジアと日本」をテーマに、その現在を俯瞰してみようと試みました。
 選べた本の内容は、各国の国境を勢いよく越境する大衆文化、中国・アメリカ両国の強力で巧みな外交戦略と日本、日中韓による東アジアのインフラ建設受注競争、最後に、内なるアジアとして日本国内のアジア難民の現状、以上の計5冊。(Kindle版含む)

 
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「越える文化、交錯する境界 - トランス・アジアを翔るメディア文化」  (アジア理解講座)
  岩渕 功一 (編集) 山川出版社 2004年

 東アジアの国々において、テレビ、CD・DVD、インターネットなどのメディアの普及や雑誌流通の発達で、日本・韓国・香港・台湾が製作したドラマや漫画やポップミュージック等が、国境を越えて広範に、それぞれの国民の人気を集めている。その実態と背景を知ることができる本。(下記目次参照)
 視聴率上位10番組に占めるドラマ・映画などフィクションの比率が、印象に残ることのひとつ。その比率は、北米10%、ヨーロッパ27%、アジア75.7%、とりわけ中国香港台湾韓国の4国では80%と、アジアにおいて、ドラマへの集中度は圧倒的に高い。(EURODATA TV 2001年 本書P.88)
 なお、本書発行が2004年と古いので、四方田犬彦・編著の「アジアの文化は越境する ~映画・文学・美術」(弦書房・2011年)も読んだが、本書が述べる延長線上に現在はあるようだ。



【目次】
序章 方法としての「トランス・アジア」
Ⅰ越えるつながり、越えない文化
   ・「日本偶像劇」と錯綜するアイデンティティ ~台湾における日本製テレビドラマの消費
   ・犬はあなたで、犬はわたし ~アニメ『フランダースの犬』の旅をめぐって
   ・タイの歌はきこえてくるか? ~ポピュラー音楽流通の非対称性をめぐって
Ⅱナショナル化されるトランスナショナル
   ・東アジア・テレビ交通のなかの中国 ~韓国と台湾の番組を中心に
   ・「韓国マンガ」という戦略 ~グローバリゼーション・「反日」・儒教文化
Ⅲ 内なる「越境アジア」
   ・円環の外へ ~映像にみるアジア・沖縄へのまなざし
   ・「在日音楽」という想像力 ~コリアン・ジャパニーズ・ミュージックの(不)可能性から、音楽が「在日」することへ
   ・ベトナム系住民とディアスポリック・メディア消費 ~越僑社会の文化交通とポピュラー音楽


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「アジア 力の世紀 - どう生き抜くのか」  (岩波新書)
  進藤 榮一 (著) 岩波書店 2013年
  
 中国含めアジア諸国との相互依存と連携、共生の持続が、いかに重要かは言うまでもないだろう。
 中国脅威論の立場に立つ限り日本は、「アジア 力の世紀」を生き抜くことはできないと著者は主張する。
 冷戦後、アメリカは自国にとって三種類の国があると定義したと言う。敵対国、同盟国、進貢国。進貢国に対しては、従順でアメリカの保護を受ける状態を維持することが、アメリカの地整戦略で極めて重要。(カーター大統領政権時の国家安全保障問題担当大統領補佐官ブレジンスキーが定義) 著者は言う、日本は自らその定義を実証して来たと。(P.112)
 一方、あるEU対外活動庁高官が著者に言ったそうだ。「問題はむしろ、歴史問題ひとつ解決できず、アジア統合を進められない日本外交の稚拙さですよ。」 
 混迷する日本外交のガラパゴス化の現状を直視し、同時にこれまでの歴史を資料(公開文書)に基づき振り返り、アメリカ・中国両国の巧みな外交の力と日本、アメリカのグローバリズム戦略、中国の軍拡とグローバルな通商経済大国となった中国の現実などの実態と真実を、2国間だけの狭い視野で語らず、日本のマスコミが語らない世界的視野・複眼の視野で解き明かす。
 ただし、一度読んだだけじゃ、なかなか頭に入らない。

【目次】
第1章 衰退する帝国、興隆するアジア  ・・(帝国とはアメリカを指す)
  二つのアジア|崩壊するヘゲモニー|脱亜入欧論を越えて
第2章 情報革命がつくるアジア力
  情報革命が変える産業の仕組み|地軸は東方へ|アジア経済一体化へ
第3章 TPPから人間安全保障共同体へ
  アメリカン・グローバリズムの外交戦略|TPPの罠、農業大国ニッポンのウソ
  アジア人間安全保障共同体への道
第4章 中国という存在
  脅威論という「いつか来た道」|中国の軍拡をどう読み解くのか
  グローバル化の海の中で|多国間主義外交へ
第5章 相互補完するアジア
  小国主導の開かれた地域主義|胎動するアジア通商共同体
  アジア金融共同体~ドル依存体制からの脱却へ
  開発共同体としてのアジア地域統合
第6章 欧州危機から見えるもの
  二つの戦後|百年に一度という神話
  欧州債務危機から再生ヨーロッパへ
第7章 日本の生きる道 - いま何をなすべきか
  一つのヨーロッパへ|ありうる三つのシナリオ|第三の敗戦を超える


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「われ日本海の橋とならん - 内から見た中国、外から見た日本、そして世界」
  加藤 嘉一 (著) ダイヤモンド社  2011年

 若くて、新しく柔軟な視点を持つ著者の本を探した。こんな人がいた。
 著者は現在、中国で最も有名な日本人、らしい(1984年生まれで北京在住)。中国版ツィッターで、著者のフォロワー数65万人、英フィナンシャルタイムズ中国版コラムニスト、北京大学研究員、香港フェニックスTVコメンテーター。
 中国共産党上層部にも愛読者たちがいる。彼らは、外から見た新しい視点が欲しいらしい。そんな著者が内から見た中国、外から見た日本についての言論は、まったくおっしゃる通りの直球正論だ。
 中国に在住しながら、どうして言論の自由を得ているかの、彼の視座が、明日の日本を示唆している。
 読後、中国が近くに見えてくる。
 手垢のまみれていない視点で相手の国を知ることの大切さを知る。(目次参照)



【目次】
第1章 中国をめぐる7つの疑問
  中国に自由はあるのか?|共産党の一党独裁は絶対なのか?
  人々は民主化を求めているのか?|ジャーナリズムは存在するのか?
  本当に覇権主義国家なのか?|途上国なのか超大国なのか?
  反日感情はどの程度なのか?    
第2章 僕が中国を選んだ理由
  環境は人をつくり、時代は人を変える|世界で勝負するには英語が必要!
  ほか、著者のこれまで。
第3章 日中関係をよくするために知ってほしいこと
  日本だけが抱えるチャイナリスク|地下鉄で胸ぐらを掴まれる
  中国が切って来たカードの意味|現代中国が抱える意外なリスクとは?
  反日デモとは反・自分デモである|チャイナリスクとジャパンリスクの関係
  日中が乗り越えるべき2つの壁
第4章 中国の民意はクラウドと公園にある
  インターネット人口5億人の衝撃|街に溶け込むインターネット
  検閲の壁をチャンスに変える中国人|ネット時代の万里の長城とは?
  なぜインターネットが脅威なのか?|「暇人」のエレガントな生活
  お金より大切な面子とは?|ほか
第5章 ポスト「2011」時代の日本人へ
  「自分にできること」はなにか|日本に寄せられた共感と敬意|ほか


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「アジアインフラ争奪」  (週刊エコノミストebooks)  [Kindle版]
  週刊エコノミスト編集部  毎日新聞出版  2015年

 アジアではインフラ特需らしい。道路・橋・鉄道・空港・港湾・発電・水事業。
 受注に向けての日系企業の取り組みと、アジア・インフラ投資銀行(A I I B)を使っての中国の対外戦略を主に解説している。
 経済成長著しいアジア新興国では、国内のインフラ整備が追い付かない。都市の道路は大渋滞、電気・水道の普及率が低い。しかし、自国の資金や技術で整備できない。よって海外に頼らざるを得ない状況。
 中国は経済成長が鈍化し始め鉄鋼・セメントの供給が過剰気味。あわせて国内市場が小さい韓国。ともに国を挙げてアジアのインフラ輸出に力を入れる。A I I Bが融資するインフラ事業では出資国企業を優遇することは十分あり得る。日本はこの激戦を生き抜かねばならない。また、日本は世銀やADB(アジア開発銀行)同様に、このA I I Bと協力するしかない。
 A I I Bを使った中国の狙いは、中東を含む西アジアへの進出らしい。オバマ政権による西太平洋から中東地域へのアジア回帰戦略「西進」に対抗する、中国の「西進」は中国地政戦略「21世紀・海のシルクロード」。一方、太平洋からバルト海に至る基幹道路の整備や人民元と各国通貨の直接交換取引の拡大を図る「シルクロード経済ベルト」と合わせて、これら2つの戦略を中国では「一帯一路」と言うらしい。
 
【目次】
・はじめに
・900兆円市場。インフラ獲得の熾烈な戦い
   資材・労務費の急上昇|土地収用の遅れ
   人材不足|言語・文化・地質の違い|契約リスク
・アジアインフラ投資銀行(AIIB) ~中国の対外戦略を担う。初代総裁候補・金立群に高い評価
・インフラ投資の仕組み ~ファンドを通じて分散投資
・道路・橋 ~東西・南部経済回廊で物流改善。ミャンマーの整備がカギ
・鉄道 ~高速鉄道、都市鉄道に多くの計画。受注めぐり中国とツバぜり合い
・鉄道受注獲得の戦い ~鉄道輸出に弾みをつけるJR参加
・空港 ~進む大規模化と民間開放。韓国勢らと激しい競争
・港湾 ~コンテナ急増に対応。運営にも続々参入
・発電プラント ~爆発的に伸びる電力需要。原発、石炭火力、地熱で食い込む
・水事業 ~水道輸出の突破口はノウハウ提供。日本企業は海外勢との協力が鍵


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「日本と出会った難民たち - 生き抜くチカラ、支えるチカラ」
  根本かおる (著) 英治出版 2013年

 欧州を揺らす難民流入の波。だが、日本に難民申請する人々も、近年急激に増えている。2014年は5000人、出身国73ヶ国。しかし、認定された数は、たったの11人。日本には来たが長年にわたり、認定されず難民にもなれない人々が大勢、年々累積してこの国にいる。そういう実態を本書は、わかりやすく明かす。
 通称、難民条約は1951年に国連で採択、日本は1981年に国会で承認、翌年発効。入国管理局が申請に基づいて審査する。保護を申請して審査を受けている段階の人々を「難民申請者」と呼ぶ。
 問題は・・と著者は言う。難民にあたるかどうかを審査する機関が、独立した審査機関ではなく、「入国管理」を主な目的とする入国管理局の一部局が審査する。自ずと「難民を守る」という視点よりも「入国管理」というゲートキーパー的なものの見方が色濃くなる。こういった点が弁護士・支援NPO等から指摘されている。
 下記の目次Part 1で書かれている、そもそも「難民とは誰か」という定義である難民条約(世界共通の定義)、難民と移民の違いを押さえておきたい。加えて、日本特有の「人道配慮」と呼ばれる制度(在留特別許可)、「ウシク」と難民申請者らから呼ばれる刑務所のような、強制送還されるまでを待つ収容施設も知っておきたい。また、著者は英国にある同様な施設がとても人道的であり、犯罪者あつかいされる日本との大きな違いを述べている。
 難民支援協会や支援NPO等が提案している新難民法の三つの柱。当たり前のことが法制化されていない。
 1.適正な難民認定が行われる仕組みを作る。
 2.審査を待つ間の法的地位を確立し、最低限の生活を保障する。
 3.認定を受けたあとの日本社会への適応を支援する。
 申請して何年経っても認定されない、生活困窮でホームレスになる人々も出現している。
 著者は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の元職員。 

【目次】
はじめに  ~ネットカフェ難民ではない、あなたの隣の「本当の難民」
Part 1 ニッポン国内の難民事情
  01 難民をめぐる定義・制度・歴史
  02 「ウシク」で見た景色 ~長期収容という問題  ・・「ウシク」とは東日本入国管理センター(収容施設)
Part 2 彼女が「難民」になるまで
  03 2Kのアパートが彼女の世界のすべて
  04 彼女の額には傷がある
  05 家族をめぐる問題
Part 3 難民同士、そして日本人がつながる
  06 女性を主役にするアクセサリーと料理の力
  07 難民同士の支え合い
  08 支援する日本人の広がり
Part 4 新しい難民受け入れのかたち
  09 新しい難民受け入れのかたちをつくる
  10 私と難民のこれまで、そしてこれから
おわりに ~みんなで支える時代へ



「人はなぜ逃げおくれるのか-災害の心理学」・「ニッポンの個人情報」・「紋切型社会-言葉で固まる現代を解きほぐす」  ・・・最近読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2015-07-10 Fri 06:00:00
  • 書評
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  最近読んだ本から3冊、とりあげてみました。

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「人はなぜ逃げおくれるのか-災害の心理学」 
                広瀬 弘忠 (著) 集英社新書
  地震・洪水・土砂崩れ・噴火といった自然災害に加えて、火災・テロ・MERSやエボラ・原発事故・船の転覆など、世の中、危険は増すばかりだ。
  ところが、我々の心は、予期せぬ異常や危険に対して、ある程度、鈍感に出来ているらしい。なぜなら、外界の変化に常に反応していたら、神経が磨り減ってしまうからである。このある程度の鈍感さを 『正常性バイアス』 という。つまり、少々のことなら正常だと自分自身にバイアスをかける。本能メカニズム。しかし困ったことに、この正常性バイアスが、身に迫る危険を危険として捉える事を妨げ、危険回避のタイミングを奪ってしまうのだ。
  例えばこの事例。小さな洪水が起こり警報が出されたが危険はなかった。次に洪水警報が発令されるも、今度も小さいだろうと高をくくっていたら、そこへ大洪水が襲う事態に。
  加えて、日ごろの安全に慣れ切って、危険に鈍感な現代人は、危機に直面しても、それを「感知」し素早く行動する能力が劣ってしまった。
  よって以上のことから、避難の指示や命令が発令されても、避難する人の割合は50%を超えることはほとんどないらしい。筆者は、冒頭に例としてあげているのは、死者200人近くの犠牲をもたらした2003年の韓国地下鉄火災だ。今なら、セウォル号のフェリー転覆事故を例とするかもしれない。
  もうひとつ重要な問題は、施設管理側が客のパニックを恐れるあまり、「ボヤです。建物の反対側からの火事ですから、危険はありませんが、避難してください。火が消えましたら、またショーを続けます。」といった風に、客に対して騒ぎをソフトランディングさせたい意識と曖昧な指示だ。この指示を聞き流す客、ゆっくり避難し出す客。そこへ突如、黒煙が室内に噴きこんでくる惨事。危険は実際よりも過小評価される。そして第4章にある、指示出し側のパニックに対する警戒意識だ。
  この本は新書だが、その内容は多岐に渡って書かれている。日本では、多くの死者をだした災害や事故の被災者被害者は、生き残ったことを恥じる申し訳ない気持ちが他国よりも強いらしい。生きのびた人を喜ばしく誇らしく意味する、英語のサバイバーに該当する日本語がない、という指摘が第5章にある。また、どんな人が生きのびるのか、などの考察も読んでおきたい。
【目次】                            
(プロローグ) 古い「災害観」からの脱却を目指して
第1章 災害と人間 
第2章 災害被害を左右するもの
第3章 危険の予知と災害被害の相関
第4章 「パニック」という神話
第5章 生きのびるための条件
第6章 災害現場で働く善意の力
第7章 復活への道筋
(エピローグ) 「天」と「人為」の挟間に生きる人間として

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「ニッポンの個人情報  
    ~個人を特定する情報が個人情報である と信じているすべての方へ」
                 鈴木 正朝 、高木 浩光、山本 一郎 (共著・鼎談) 翔泳社
  個人情報ってなんだっけ。・・・・・・・・・・・・・・・・
  例えば、氏名・生年月日・連絡先は、特定の個人を識別するために用いられる情報とは言えるが、これだけが個人情報というわけではない。
  個人情報とは、特定の個人を識別可能とする情報と、当該個人の属性情報からなる「ひとまとまり」の情報の集合物である。(下記※1)
  つまり個人情報とは、特定の個人を識別可能とする情報(氏名、生年月日、連絡先など)だけではなく、当該個人の属性情報(出身大学名、勤務経歴、ビデオをレンタルしたそのタイトル名、図書館で借りた書籍名など)、これらも「個人情報」だと、個人情報保護法は定義している。(下記※2)
  だから、個人を特定する情報=個人情報ではない。
  さらには、自分の属性情報のうち、何を知られたくないかは人によって違うので、立法の趣旨としては、その属性情報全部が個人情報と言わざるを得ないのだ。
  だが、Yahoo!JAPANのトップページ画面の一番下にあるプライバシーポリシー(下記※3)では、プライバシー情報を、「個人情報」と「履歴情報および特性情報」に分けて、あたかも「履歴情報および特性情報」は個人情報ではないと言いたいようだと、この本は言っている。また、下記※2にある個人情報保護法の条文が、間違った解釈を誘いがちな文になっていることも本書は指摘する。
  次に、匿名化の話。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  さて、じゃ、個人を特定する情報+その属性情報からなる個人情報から、氏名、生年月日、連絡先などの個人を特定する情報を分離し匿名化すれば、それは個人情報ではなくなるのか?
  例えば、週3日以上ワインを飲んでいるか、の記名アンケート結果集計があったとしよう。佐藤一郎・飲む、鈴木和子・飲まない、高橋次郎・飲む・・という膨大なデータだが、氏名を記号に置き換えてこのデータを匿名化すると、これは個人情報ではなくなるのか?
  答えはNOだ。氏名と記号が一対一で対応できる表を手元に持っていれば、匿名化したデータであっても、それは個人情報だ。(2004年消費庁見解)
  なぜなら、個人情報とは何かという個人情報保護法の定義条文に、このことを指す記述があるからだ。(※2の条文最後のカッコ部分)  
  もちろん、対応表を捨ててしまえば、何も問題はない。ただ、それを捨てたか否かは、我々には知らされない。
  漏えいの問題。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  人がやることにミスや失敗は必ずある。だから、個人情報の漏えいは、無くならない。
  だが一番の問題は、悪意ある個人情報取集者が、漏えいした情報、あるいは漏えいさせた情報を、コツコツ蓄積していること。
  さまざまなところで漏えいした情報は、その内容はてんでバラバラだが、集積し名寄せでつなぎ合わせると、実に精緻な情報となっていく。とりわけ旅券番号など信頼性の高い情報が加われば、雑多な個人情報がさらに価値の高い情報に変わる。(第5章) 

  個人情報にかかわる問題は、とても複雑で面倒だ。我々は、ビッグデータをどう考えればいいのか。個人の属性情報には、カルテや健康診断結果やDNA情報など医療情報もある。個人情報が、法にのっとって厳格に運用され、かつ我々にとって適切に運用され、我々も利用できれば、今までになく便利なことではある。
  以上のように、個人情報にかかわる問題は、我々自身に直接関わる大事な問題だ。誰もが、そう感じながらも、今は、ただながめているだけなのかもしれない。筆者たちは、問題を明白にし無自覚な我々に警鐘を鳴らすと同時に、個人情報の活用にも言及している。そして筆者たちは、山積する諸問題と活用の間で苦悩している。
  
 ※1:「行政機関等個人情報保護法の解説」の16ページ(総務省行政管理局監修 株式会社ぎょうせい 2005年発行)
    下記の個人情報保護法が言う「個人情報とは何か?」を解説している。

 ※2:個人情報保護法の「個人情報」の定義・・・(個人情報の保護に関する法律 第一章総則)
   定義・第二条より、条文そのままを、以下転載。
   『この法律において 「個人情報」とは生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により 特定の個人を識別することができるもの (他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。』
   多くは、下線部だけを読み取っているがために間違った解釈をする。
   「その他の記述等」とは、連絡先など個人を特定する情報以外に、当該個人の属性情報も含まれているのだ。
   条文は、あくまで例を記しているだけ。この部分が、実に読み取り難く誤解を生んでいる。

 ※3:Yahoo!JAPANのプライバシーポリシー(第2章 プライバシーポリシーより転載)
   『プライバシー情報のうち「個人情報」とは、個人情報保護法にいう「個人情報」を指すものとし、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日、住所、電話番号、連絡先その他の記述等により特定の個人を識別できる情報を指します。
   プライバシー情報のうち「履歴情報および特性情報」とは、上記に定める「個人情報」以外のものをいい、ご利用いただいたサービスやご購入いただいた商品、ご覧になったページや広告の履歴、お客様が検索された検索キーワード、ご利用日時、ご利用の方法、ご利用環境、郵便番号や性別、職業、年齢、お客様のIPアドレス、クッキー情報、位置情報、端末の個体識別情報などを指します。』
【目次】                                           
第1章 「個人を特定する情報が個人情報である」と信じているすべての方へ
第2章 Suica履歴は個人データでした
第3章 そんな大綱で大丈夫か?
第4章 だまし討ち、ダメ。ゼッタイ。
第5章 漏洩が問題なのではない、名寄せが問題なのである
第6章 見えないと、不安。

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「紋切型社会-言葉で固まる現代を解きほぐす」
                        武田 砂鉄 (著) 朝日出版社
  面白い本。ロックミュージックで言えば、シンガー&ソングライターの1st.アルバムのような、ビビッドな良さを感じる。筆者が繰り出す勢いある啖呵の連発が楽しめます。
  言葉に鋭敏な著者は、最近、世の中で頻繁に使われるパターン化した言い回し、受け売り的な言葉の使われ方を列挙しながら、その裏に隠された実態を解きほぐし、言葉の使い手と受けて側との間で生じる硬直化した関係性の危うさや力関係を暴き出す。
  取りあげる事象は多岐に渡る。政権や行政府が語る言葉使い、ニュースリリースの文言を単に組み替えるだけでメディアが発信する横並び情報と、批評という異物の排除、就活面接での空しいやりとり、アイドルグループの仕掛けが繰るもの、SNS上のやりとり、東大卒の権威的話法、ジャイアンとスネ夫の関係性、WINとWINの排他性、検索され続ける怖さからネットメディア自らが言動を自重する風潮、などなど。
  筆者は言う。「自らの想いを表わすのに、言葉ほど便利なものはない。しかし、便利だからといって既存の言葉に仮託しすぎてはいけない。どこまでも自由であるべき言葉を紋切型で拘束する害毒をほじくり出してみたかった。」
  日ごろ、ニュースを見聞きして、何かしらの違和感を感じている方が本書を読むと、その違和感の出所の実態を、解像度を上げ鮮明に見せてくれる。
  本書で述べられる世の症状と通底することを、ことジャーナリズム業界に絞って書かれた本に、「ジャーナリズム崩壊」(上杉隆・著)や「報道の脳死」(烏賀陽弘道・著)があった。この記事はこちらからご覧ください。  
  ちなみに、日ごろ映画評を見ていても、本書で書かれていることを感じます。  
【目次】                                        
(はじめに)
「乙武君」………障害は最適化して伝えられる
「育ててくれてありがとう」………親は子を育てないこともある
「ニッポンには夢の力が必要だ」………カタカナは何をほぐすのか
「禿同。良記事。」………検索予測なんて超えられる
「若い人は、本当の貧しさを知らない」………老害論客を丁寧に捌く方法
「全米が泣いた」………〈絶賛〉の言語学
「あなたにとって、演じるとは?」………「情熱大陸」化する日本
「顔に出していいよ」………セックスの「ニュートラル」
「国益を損なうことになる」………オールでワンを高めるパラドックス
「なるほど。わかりやすいです。」………認め合う「ほぼ日」的言葉遣い
「会うといい人だよ」………未知と既知のジレンマ
「カントによれば」………引用の印鑑的信頼
「うちの会社としては」………なぜ一度社に持ち帰るのか
「ずっと好きだったんだぜ」………語尾はコスプレである
「“泣ける”と話題のバラード」………プレスリリース化する社会
「誤解を恐れずに言えば」………東大話法と成城大話法
「逆にこちらが励まされました」………批評を遠ざける「仲良しこよし」
「そうは言っても男は」………国全体がブラック企業化する
「もうユニクロで構わない」………ファッションを彩らない言葉
「誰がハッピーになるのですか?」………大雑把なつながり
(おわりに)

「環りの海 - 竹島と尖閣 国境地域からの問い」 「ハモの旅、メンタイの夢 - 日韓さかな交流史」 「海路としての〈尖閣諸島〉 - 航海技術史上の洋上風景」  ・・・最近読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2015-05-07 Thu 06:00:00
  • 書評
上
  最近読んだ本から、竹島と尖閣の問題についての3冊をピックアップしてみました。
  こういう問題は、ネットで情報をチェックする、他人の意見の切れ端を拾い読みする、といったことでは到底掴み取れるものではないし、早急に反応すべきものでもない。ことは多面的でかつ、問題のすそ野は思うより広い。

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「環りの海 ― 竹島と尖閣、国境地域からの問い」  
   琉球新報 (著)、山陰中央新報 (著)  発行:岩波書店

  竹島と尖閣の問題を、島根県沖縄県の両県の地方紙2紙が、共同企画し連載したルポルタージュ。
  漁業の当事者として、現実や歴史を、地域や漁場からの目線で、かつ国を越えた大きな視野で、冷静に見つめている。その勇気を称えたい。
  ややもすると、領土問題についての好戦的な姿勢に対し、早急に Yes か No かを問いがちな世の中。あるいは、Yes と No を並列して見せるしかない大手マスコミ。
  そんな中、足元からモノを言うこの本は、一読に値する。
  まずは、下記の目次をご覧いただきたい。
  さらには、第3章の中の、「戦後から冷戦へ ― 米国が残した曖昧さ」、この指摘も重要だ。
  とにかく、竹島と尖閣の問題を語る場合、この本のように、少なくとも200ページは費やす、とても多面的な問題なのだ。  
  
1章 翻弄される国境の民                   
第1章 不穏な漁場 ― 苦悩する漁業者たち               
      竹島 ― 乱獲と密漁                       
      尖閣 ― 「国有化」がもたらしたもの              
第2章 対岸のまなざし ― 中国・台湾・韓国の人々の思い      
      中国 ― 「反日」感情への距離           
      台湾 ― 領有権より漁業権
      韓国 ― 歴史の相克、変化の胎動
第3章 絡み合う歴史 ― 「対立」の背景を探る
      領土編入以前 ― 航路漁場で利活用
      領土編入期 ― 実業家主導で領土に
      戦後から冷戦へ ― 米国が残した曖昧さ
      国交回復期 ― 苦肉の外交と先送り
      国連海洋法条約以後 ― 境界めぐり衝突
第4章 世界のアプローチに学ぶ ― 対立を乗り越えるために
      南沙諸島 ― 「紛争回避」を目指して
      ペドラ・ブランカ島 ― 第三者による解決
      オーランド諸島 ― 住民自治を基礎に
      アルザス・ロレーヌ地方 ― 争いの火種を共同管理
第5章 踏み出す一歩 ― 人・地域をつなぐ試み

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「ハモの旅、メンタイの夢 ― 日韓さかな交流史」
   竹国 友康 (著)  発行:岩波書店

  日韓の漁業とその交流史を、下関と釜山の港を起点に語る本。
  領土・領海の政治問題の文脈とは別に、日本、韓国、および中国、ロシアの4か国間では、その不足を補う魚の輸出入は相互依存の関係になっている。
  例えば、すけとうたら(明太)と、ぐち。乱獲と自然環境の変化で、近年、漁獲量が大幅に減少している。韓国は、日本海、東海、オホーツク海のすけとうたらを、ロシア・日本から輸入。黄海、西海のぐちは中国から輸入している。
  そして、京都の夏の風物詩、ハモ(鱧)。わけても、その高級品は韓国から輸入されている。
  書名はファンタスティックだが、中身は韓国現代史でもあり地味な内容。しかし、日韓関係を下関と釜山を起点に、じんわり理解できる。
 
第1章 日韓「さかな」交流のいま ― 水産物の取引現場を歩く
第2章 コムジャンオクイの生活文化史 ― その「起源」をたずねて
第3章 臨時首都釜山避難民の生活誌 ― 朝鮮戦争のなかで
第4章 ミョンテとプゴ ― 朝鮮在来の水産業の過去と現在
第5章 植民地と学問 ― 魚類学者・鄭文基と内田恵太郎
第6章 日本の植民地統治は何をもたらしたのか ― ミョンテ漁をめぐって
第7章 ハモの旅 ― 韓国南海から京都へ
おわりに 海峡を渡る風に吹かれて 下関から釜山へ


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「海路としての〈尖閣諸島〉 ― 航海技術史上の洋上風景」
   山田 慶兒(著)  発行:編集グループSURE

  中国・福建と琉球を結ぶ、明・清の時代にあった航路。その航路上に尖閣諸島はある。羅針盤が未発達な当時、尖閣諸島は航路の目印であった。
  「指南広義」という古い航海指針書を見出した著者は、本書で航海技術史を語っている。
  その上で著者は言う。この海域の島嶼はかつて、どの国の領土でもなく国境線もなかった。1880年代以降、帝国主義の時代になってから、領土・国境の概念がこの海域に持ち込まれた。
  固有の領土とは何だろう。いつからどのような形態で領有すれば、それは固有の領土と呼べるのか。
  さらに著者は言う。歴史問題はすぐに解決するは難しい。しかし、資源開発は経済問題だ。経済問題は、冷静になれば、その解決は難しくないのではないかと。
  
第1章 この文章を書きはじめるまで
第2章 「福建ー琉球航路と釣魚嶼 ─ 中国と琉球国の無名の遠洋航海者たちを讃えて」
第3章  これをめぐっての討議


「色で読む中世ヨーロッパ」 「二つの戦後・ドイツと日本」 「戦後の「タブー」を清算するドイツ」  ・・・最近読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2015-03-28 Sat 06:00:00
  • 書評
上

  最近読んだ本から、三冊ピックアップしてみました。


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色で読む中世ヨーロッパ  (講談社選書メチエ)  徳井 淑子(著)

  12世紀から15世紀ごろの、中世ヨーロッパの人々のこころを知ることができる本。
  色彩に関する関心は12世紀になって一挙に強まったらしい。白、黒、赤、青、緑、黄。それぞれの色に意味と思いを込めた。
  映画「マスク」のマスクがなぜ緑なのかも、理解できる。また、ユダヤ人のしるしとして、なぜ黄色を選んだかも分かる。この本を読んだのちに、美術館に行くと見る目が変わるかもしれない。その色を選んだ画家の意図が理解できるので、作品解釈の幅が広がるだろう。
  第6章の子供と芸人に関する記述もおもしろい。
  

<目 次> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1章 色彩文明の中世     第5章 忌み嫌われた黄
第1章 中世の色彩体系     第6章 子どもと芸人のミ・パルティと縞
第2章 権威と護符の赤      第7章 紋章とミ・パルティの政治性
第3章 王から庶民までの青   第8章 色の価値の転換
第4章 自然感情と緑       終1章 中世人の心性


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二つの戦後・ドイツと日本  (NHKブックス)   大嶽 秀夫(著)

  戦争が終わるまでのことは、終戦記念日だけに限らずよく語られ耳にするが、その後のことについては、あまり語られない。歴史に関心があることと、現代の政治に関心があることの、不連続、切れ目、断層なのか。
  ナチスドイツにいての終戦時の国際環境をまず知る。および連合軍のドイツと日本に対する占領政策は違ったことを、次に知る。加えて、ヨーロッパと東アジアにおいての東西冷戦の構造の違いを知る。これらの状況のなか、吉田茂、西ドイツ初代首相のアデナウアーふたりが持つ政治思想およびその政策と対応の違いを知る。そして、「戦後のドイツ」の安全保障と再軍備とその道筋を知る。
  まずは、こういうことをしっかり頭に入れておきたい。
  210ページほどの本だが、一回読んだだけでは全部を理解できないほどに、その内容は多い。
  だからこそ、しっかり頭に入れておきたい。議論や政治信条の選択は、それからでも遅くはない。一足飛びはいけない。


<目 次> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第1章 ドイツの降伏と占領        第5章 冷戦と日独の経済復興      
第2章 日本の降伏と占領         第6章 ドイツの講和と安全保障
第3章 占領改革の日独比較       第7章 日本の講和と安全保障    
第4章 二つの憲法・二つの政治思想  終1章 世界の中のドイツと日本


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戦後の「タブー」を清算するドイツ  三好 範英(著)  亜紀書房

  上記の「二つの戦後・ドイツと日本」で基本を押さえたつもりだが、その内容は1960年までの経緯だ。だから、その後の「戦後のドイツ」が分からない。分かる本がなかなか見当たらない。やっと見つけたこの本。著者は読売新聞の記者で中道右派な方。セカンドオピニオンのつもりで読んだ。だが、東西ドイツの各方面の人々への取材からなる、戦後ドイツの状況(東西分断から統一後までの国内外の状況)はよく理解できる。そして、再軍備を著者は語る。しかし、この本も2004年発行なので著述もそこまでである。「戦後ドイツ」の実情を知ることはなかなか難しい。
  

<目 次> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1章 「戦後」の終焉             第3章 ドイツ統一の「負の遺産」     
第1章 移民政策の隘路            第4章 「人道介入」するドイツ軍
第2章 「過去の呪縛」から解き放たれて  終1章 「普通化」の次に来るもの     



「ルンタ」・「私の中の自由な美術」・「フェアな未来へ」 およびドキュメンタリー映像 「ラベルの裏側 ~ グローバル企業の生産現場」  ・・・最近読んだ本から、ピックアップ。

  • Posted by: やまなか
  • 2015-02-22 Sun 06:00:00
  • 書評
三冊
  最近読んだ本から、三冊ピックアップしてみました。


ルタン70
「ルンタ」  山下 澄人(著)  講談社

  なかなか面白い小説。
  繰り言のような語り口にリズムがあって丸く滑らか。そう思った途端に作者の術中にはまる。
  気が付くと、主人公の「わたし」が語るその手元の仔細、それ以外が見えなくなる。読者は、まるで真っ白な濃霧にいるような物語世界を体験する。
  周りが見えないなかで、登場人物や動物が、死んだ者が、そして現在が過去が時間を前後して、濃霧の中から不意に現れては、霧の中に消えていく。
  そのうち主人公の「わたし」の魂が浮遊しだす。物語の視点も走馬灯のように、はかなげに移りゆく。それでいながら、物語はしっかりと大きなスパイラルを描く。
  この小説は会話文が多い。すべて関西弁だ。突飛な思いだが、本作を新作落語に仕立てると面白いかも。もちろん、滑稽噺にはならないが。


私の中の70
「私の中の自由な美術  ~ 鑑賞教育で育む力」  上野 行一(著)  光村図書出版

  美術鑑賞とは、要するに視覚の冒険であり頭の体操である。
  例えばピカソの「ゲルニカ」は、スペイン内戦時に起こったフランコ政権の残虐行為に対するレジスタンスの表われであり・・・といった作品の成立背景や作家にまつわるエピソードや美術史に関する知識がないと鑑賞できない、ものではない。同様に、音楽で言えば、マーラーの交響曲第五番は、楽曲の背景にあるマーラーの恋愛エピソードを知らなければ真に理解できない、ものではない。と著者は言う。
  なぜ、多くの人は「作品鑑賞」と、作品知識についての(作品解説や音声ガイドによる)吸収とを、短絡的に結び付けてしまうのだろう。わからない不安からか。わかった気になるからか。
  学芸員ら美術専門家の中には、美術館来館者が「自由に見る」鑑賞法を疑問視する。学術的研究による作品解釈は厳然と存在し、素人が自由に語るのは勝手だがそれは世間話に過ぎないと考えているらしい。
  そもそも、作品についての知識を得ることの意味と、作品を見て味わうことの楽しみとは次元が異なる。
  その楽しみ体験は極、個人的なもの。同じものを見ても、私とあなたとでは、作品のどこを見るかも、感じ取り方も解釈の仕方も違うはず。それを語り合う楽しさもある。作品の解釈は無数にありえる。学術的な解釈だけが正解ではない。
  作品は、何にもとらわれず自由に見て考えて楽しむべきだ。作品と向き合いインタープレイを楽しむ気持ちが大切。
  美術も音楽そして映画も同じだと私は思う。 ただ、「鑑賞」という言葉がどうしても好きになれない。
<目次>
序章 アートはあなたの心を映す鏡     4章 見る人がいなければアートは存在しない
1章 私たちの絵の見方             5章 絵の中に入ってみよう
2章 なぜ私たちは見る力がないのか    6章 注意深く見ると見えてくるもの
3章 子どもの絵の見方            終章 私たちにとって美術鑑賞とは何か


フェア 70
「フェアな未来へ  ~ 誰もが予想しながら誰も自分に責任があるとは考えない問題に私たちはどう向き合っていくべきか」
  ヴォルフガング・ザックス、 ティルマン・サンタリウス(共著)  新評論

  どのようなグローバリゼーションなら持続可能なのか。
  私たちの時代の重要課題に、「エコロジー(生態学)と公正(フェア)」があり、このふたつの課題が、いかに関連し合い、不可分であるかを本書は示したと言う。世界各地の気候変動や貧困や資源争奪を、自分達には手に負えない大きな問題だとして、誰もが予想しながら誰も自分に責任があるとは考えない問題。本書はこれを浮き彫りにしている。

  ◆第1章 現実主義者にとっての公正 ・・・・・・・・・・
  (相互に結びつく世界/分断された世界/限りある自然/限りある時代における公正)
  産業近代化が作り上げた豊かさモデルを検証すべき時期。先進工業国の消費レベルがこのまま続く限り、世界は現状を超えた公正を手にできない。経済開発レベルをこのまま持続させれば増え続ける世界人口が西洋の生活水準をもたらすかもしれないが、生態学的に破たんする。また、新興工業国の近代化への急発進は、貧しい国・地域をさらに周辺化させ、グローバルなアパルトヘイトを引き起こす可能性がある。
  公正を実現するにはエコロジーを犠牲にせざるを得ないのか。エコロジカルな社会を実現するには公正を犠牲にせざるを得ないのか。この対立を避ける方法は。
  ◆第2章 環境をめぐる不公正 ・・・・・・・・・・
  (資源の地理的分布・南北間の配分・被害の分散/貿易が生み出すエコロジカルな不平等/新興経済の資源要求)
  限られた環境空間を誰がどのくらい買い占めているかを検証。天然資源は先進工業国へ向かうが、新興工業国や発展途上国が自国の取り分を増やそうとしている。
  ◆第3章 専有を競う競技場 ・・・・・・・・・・
  (地政学 石油資源を奪い取れ/国際貿易 領土の占有/投資 水資源の独占化/国際法 植物資源をめぐる特許)
  分配の不平等(=不均衡)自体は非難されるべきものではない。問題は、それがいつどういう局面で不公正に変わるのだろうか。地政学、貿易の歪み、投資力、政府間協定等の権力の道具によって偏った分配がいかに引き起こされたかを見る。
  ◆第4章 フェアな資源配分モデル ・・・・・・・・・・
  (倫理と距離/認知と配分/確固たる生存権/資源需要の削減/フェアな交換関係の創造/不利益に対する補償)
  地球社会における公正の問題とは何か。国際的な資源公正へ導く四つの基本理念。人権、公正な配分、フェアトレード(公正な貿易)、受けた被害への補償。
  ◆第5章 フェアな豊かさ ・・・・・・・・・・
  (収縮と収斂/過剰消費を削減する/エコロジカルな跳躍)
  省資源型の繁栄が、北半球の諸国、南半球の諸国に、より大きな公正をもたらす。
  ◆第6章 公正とエコロジーのための取り決め ・・・・・・・・・・
  (温暖化政策における平等/公正と多様性/自由貿易に替えてフェアトレードを/企業にも市民としての責任を)
  全地球的な協力体制の仕組みが、あらゆる生産・消費モデルで必要とされている。持続可能なグローバリゼーションを実現するには、国際市場における政治的再編が欠かせない。多国籍企業の企業活動に法的枠組みをかけて、経済成長の理念が、人権、公正、環境保全の理念に優先してはならないことを常に確認していく必要がある。
  ◆第7章 ヨーロッパの存在価値とは ・・・・・・・・・・
  ヨーロッパはコスモポリタンとしての使命がある。南の諸国と協力し、世界の競技場における合法性、協同性、公益性の代弁者として働く。

  フェアな未来について、広範囲に掘り下げて論じた、まとまったこういう本を読むのも悪くない。
   市場原理主義や新自由主義を批判する 「ショック・ドクトリン」 と合わせて読むといい。「ショック・ドクトリン」 については、以前掲載したこちらの記事をご覧ください。


「ラベルの裏側 ~ グローバル企業の生産現場」  フランス 2012年制作 (NHK-BS 世界のドキュメンタリー)


組00  ファッショナブルで低価格が売りのファスト・ファッション縫製現場の話。
  ドキュメンタリーに出て来るブランドは、ZARA、H&M、 Bout'Chou(フランスの子供服ブランド:ブーシュー)。
  バングラデシュでは、輸出総額の80%が衣料品だ。 中国に次いで、世界第2位の衣料品輸出国となっていて、バングラデシュ国内360万人の女性が多数の縫製工場で働いている。

  しかし、その生産現場では、14歳以下の児童労働や未成年者の長時間労働と、明らかな労働法違反がまかり通っている。彼女たちは、週6日出勤、72時間/週 以上働いて、月給45ドル。かつ、就労者は勤務中に自由に工場を出入りできない。
  さらには、これらの工場には、下請け工場が数多く存在し、その労働条件はさらに悪い。
  国民の半数が、一日1ドル50セント以下で生活しているバングラデシュは、世界の最貧国のひとつになっている。   
  ドキュメンタリーは言う。
  「ファスト・ファッションを買う時、着る時に、自身の倫理観と向き合うことになりませんか?」 と。

  (原題:Underhand Tactics: Toxic Lable  制作:Premieres Lignes Television  NHKオンデマンド期間終了)





最近読んだ本から、ピックアップ。 「江戸の音」   「ナツコ  沖縄密貿易の女王」   「ハウス・オブ・ヤマナカ  東洋の至宝を欧米に売った美術商」

  • Posted by: やまなか
  • 2014-08-11 Mon 06:00:00
  • 書評
カット0
  最近読んだ本から、三冊ピックアップしてみました。


「江戸の音」  田中優子・著  河出文庫:1997年発行 (単行本:河出書房新社 1988年発行)

  冒頭からパンチを食らった。雅楽のヨーロッパ公演の時、演奏が始まっているのに、西欧の観客はそれに気づかず、ざわついている。「音」と「音楽」の区分が、少なくとも西欧人には、はっきりしないのが雅楽であり江戸の音曲だ、という。
  著者と武満徹との対談の中で、武満が言う。「日本の音楽で、他国にない音楽の享受の仕方がある。誰とも知れぬ人の三味線の爪弾きや口ずさむ唄が遠くから聴こえてくる、その遠音(とおね)を楽しむ、遠音が一番きれいだという考え方がある。」
  ことほど左様に、この本は、いたるところで音や音楽に対する感性をくすぐる素晴らしい本だ。以下の目次を見ると、この本の方向性が読み取れるでしょう。
  そして、時空を超えて一気に物事を見抜き、掌握する著者の感性と直観力に感嘆する。なるほど!と、胸がすく思いを与えてくれる人だ。私、ファンです。著者は、2014年4月、法政大学総長に就任。
  
<目次 >
・はじめに
・第1章 三味線と越境するモダニズム
  音楽と音の境界/緋色と三味の音が空間をつくりかえる/音と所作のシンボリズム/音が登場人物もかねる/物語をいろどる音/深層の流れを音楽が支配する/女性を通して三味線は俗の楽器になった/音色に重心のある音楽/状況から切り離すことができない音/雑音性の豊かな音楽/尺八のサワリは竹を通る風の音/日本人の音の受容/

・第2章 歌舞伎または夢の群舞
0中  江戸の絵に響く祭の音/土俗の踊りが舞台に上がるまで/歌舞伎踊の発生/夢のような群舞の登場/三味線と歌舞伎の結合/淫なるものが三味線の基本となる/色と音と香りの交感/三味線のエロティシズム/三味線のもつ遊びと日常性/北京の街に京劇の音が流れる/胡弓とヴァイオリン/京劇と歌舞伎/芝居もサーカスも超えた演劇/音楽とそれを聴く状況/刻々と変化する音楽/流れと変化の日本論/西洋音楽の理論ではとらえられないもの/流体の変化のように特異な構成/

・第3章 「対論 = 武満徹」江戸音曲の広がり
  日本の楽器は意図的に不自由にできている/驚きべき多様な変化/領界を確定できない江戸の文化/文化全般に広がるひとつの発想/江戸文化の開放系/崩れと緊張の拮抗状態/ネットワークとしての「連」の性格/自己がないことを前提とした関係/反創造性の文化/アジアと日本/サワリにみる独自の雑音志向/雑音性を排除するのが文化の趨勢/中国の楽器は西洋に近い/破格の力が働くための機構/三者それぞれのイニシアティブ/俳諧の方法、座の力/変化、動きが風雅の種/「間」のダイナミズム/仏教伝来の時間観/遠音を楽しむ/始めも終わりもない形式/音階にこだわらない音楽/邦楽に固有の合理化/音階ではなく音色/日本的なるものとは何か/日本を媒介にしてヨーロッパを相対化する/関係を解く学問/「日本」を説明することを拒否する/

・第4章 伝播と涵養、花開く技法
  演歌は半島から渡ってきた?/東アジアを見据える目/江戸音曲は日常から追放された/文化が熟成するための時間/日常を峻拒する座敷の音色/明澄な絶望感を歌う/”ずらし””きしみ”のアクチュアリティ/言葉で言えぬことを音に託す/光源氏の音楽論/無音の状況を音で表す/盲人の音楽/「ニジリ」の技法/「音遣い」による進行/耳でとらえられぬ音の高さ/錯覚を利用した技法/音の単位とは何か/ジャンルごとにつくりかえられた楽器/不思議な声と三味線の関係/変化に富んだ感情表現の決まり/酒酔い、泣きの三味線---実写の技法/江戸三百年が涵養したもの/演歌と三味線音楽/三味線音楽は楽器とともに入って来たものではない/なぜ、蛇が猫になったか/今も残る三味線音楽の用語/琵琶法師がつくった二つの流れ/最初に詞があった/音曲と文芸の関係/「ますらをぶり」にみる人間の理想像/「調べ」にこめられたもの/熱狂的に迎えられた浄瑠璃の世界/理を超えた情感を音にゆだねる/底知れぬ東アジアの音楽/
・文庫版に寄せて
  この本に出てくる河鍋暁斎の絵に添えられた一句。
  「命ひとつの この世の憂い いずれそれさえ 無いあの世」

「ナツコ ― 沖縄密貿易の女王」  奥野修司 ・著  文春文庫:2007年発行 (単行本:文藝春秋 2005年発行)

  当時、ウチナンチュウの誰からも「女親分」と呼ばれた沖縄密貿易の女王、金城夏子(1915-1954)の、才覚と度胸の生きざまを追い、12年かけて取材した、ボーダーレスな女のノンフィクション。 労作!! 沖縄の中でさえ埋もれゆく事実を発掘した。
  導入部では、糸満出身の夏子の、戦前の生活を語る。結婚してフィリピンで生活し、後に糸満に戻り石垣島へ転居。疎開で台湾へ。夫の戦死後、石垣島に戻る。子供は娘二人。
  以降は、小さな中古漁船を手に入れて終戦直後から始めた密貿易を語る。沖縄の島々を拠点に、台湾、香港など東アジア各地と神戸、大阪、博多、和歌山の港を駆け巡る様を丹念に追う。夏子の鋭い機転と大胆な実行力が、商いの規模を確実に拡大していく。合わせて、めったに会えない娘達への愛情も語られる。38歳で他界。
ナツコ 70  夏子の時代背景は、戦禍を抜け出し戦後を生きようとする1946年から1951年の6年間。この6年間を当時のウチナンチュウは、「ケーキ(景気)時代」と呼ぶそうな。それは、砂浜にある無数の薬きょうや、米軍倉庫からのあらゆる盗品資材(ドラム缶のガソリン、食料、医薬品)を元手に、人々がこぞって密貿易に関わった時代。
  なにしろ、ワイルドで、すごい。こんな女性がいたことを知っておきたい。

<目次>
章 五十年目の追憶
第1章 黄金の海に浮かぶ島○○        第7章 本部十人組の頭領
第2章 ヤマトへ○○○○○○○○○○○○○○○○○○  第8章 夏子逮捕
第3章 小さな商人○○○○○○○○○○○○○○○○  第9章 破船
第4章 華僑のパートナー○○○○○○○○○○○○○第10章 夢の途上
第5章 八重山の「母」 ○○○○○○○○○○○○○○11章 娘の回想
第6章 香港商売

  夏子が言った。
  「あんたの目の前にあるのはなんだ? ただの海じゃないよ。
   海の向こうには黄金があるさ。さあ、黄金の海を渡りなさい。」
「ハウス・オブ・ヤマナカ ― 東洋の至宝を欧米に売った美術商」  朽木ゆり子・著  新潮社:2011年発行

表4  ずっと以前、ニューヨークのメトロポリタン美術館に初めて足を踏み入れた折に感じたことは、シーンと静かな館内に建ち並ぶ 人の背丈よりずっと大きな仏像や観音像や、絵画の数々。それらは、どう見ても、大きな寺院の本堂にあってしかるべきものだ。日本の重要な美術品が、なぜ海外にあるのか、廃仏毀釈はこれほどのものであったのか であった。
  この本は、江戸末期の19世紀後半~20世紀半ばまでの、日米関係や東アジア政治情勢に大きく揺さぶられた美術貿易商・ヤマナカ商会の飛躍と衰退のノンフィクション。決定的だったのは、敗戦時アメリカによる資産没収だった。
  第二次世界大戦前までに、東アジア美術コレクションを築いた、ロックフェラーはじめとする欧米の個人コレクターと数々の美術館。その皆が、ヤマナカ商会の客であった。
  世界のヤマナカとして欧米では有名でありアメリカやヨーロッパに幾つもの店を出していたが、その活動のほとんどが海外であるために、日本では一般的には知られていなかった。
  日本の美術や東アジアの美術が、どう西欧に買い取られていったか、またその世界的時代背景が浮かび上がる。

<目次 >
・序章 琳派屏風の謎
・第1部 古美術商、大阪から世界へ
  「世界の山中」はなぜ消えたか/アメリカの美術ブームと日本美術品/ニューヨーク進出/ニューヨークからボストンへ/

・第2部 「世界の山中」の繁栄
  ロンドン支店開設へ/フリーアと美術商たち/日本美術から中国美術へ/ロックフェラー家と五番街進出/華やかな二〇年代、そして世界恐慌へ/戦争直前の文化外交と定次郎の死/

・第3部 山中商会の「解体」
  関税法違反捜査とロンドン支店の閉鎖/日米開戦直前の決定/開戦、財務省ライセンス下の営業/敵国資産管理人局による清算作業/閉店と最後の競売/第二次世界大戦の山中商会/
・終 章 如来座像頭部

最近読んだ本から、ピックアップ。 「ジャーナリズム崩壊」   「報道の脳死」   「ショック・ドクトリン」

  • Posted by: やまなか
  • 2014-07-14 Mon 06:00:00
  • 書評
 ◆ 最近読んだ本から、3冊をピックアップしました。

「ジャーナリズム崩壊」  上杉隆・著     幻冬舎新書089 2008年発行
「報道の脳死」       烏賀陽弘道・著  新潮新書467  2012年発行

  以前から既にそうかもしれないが、こと3.11以降や第2次安倍内閣になってからの、新聞・テレビの報道に、大いなる違和感を感じている方々にお勧めです。
  なんだか日本のマスコミは、やばいと薄々感じていたが、この本を読んで、「報道のウラで、報道人が何をやっているのか」 が、ハッキリして来て、すごく憤りを覚えます。
  上杉隆氏が本の冒頭で言う、ジャーナリズムとワイヤーサービスの違いや、日本と海外マスコミの記者の仕事の違いをまず知ってから、この2冊を読むといいです。また、烏賀陽弘道氏の本を読んで、マスコミ各社の横並びの記事内容、政府お膳立てセレモニー記事、ニュースリリースのリライト記事など、記者の問題意識はどこに行ったんだろうか、と思います。
  なお、上杉隆氏はNHK、ニューヨークタイムズ東京支局を経験、烏賀陽弘道氏は朝日新聞を経験した記者であり、現在はともにフリー。上

<目次>
「ジャーナリズム崩壊」
第1章 日本にジャーナリズムは存在するか?
第2章 お笑い記者クラブ
第3章 ジャーナリストの誇りと責任
第4章 記者クラブとは何か
第5章 健全なジャーナリズムとは

「報道の脳死」 
第1章 新聞の記事はなぜ陳腐なのか
第2章 「断片化」が脳死状態を生んだ
第3章 記者会見は誰のためのものか
第4章 これからの報道の話をしよう
第5章 蘇生の可能性とは
「ショック・ドクトリン  惨事便乗型 資本主義の正体を暴く」  ナオミ・クライン・著  岩波書店:2011年発行  原著:2007年発行

  市場原理主義や新自由主義という手法は、どういうものなのか、何ゆえに批判されるのかを知る本。
  著者が批判するのは、シカゴ大学の経済学者フリードマン率いるシカゴ学派が、1970年から30年以上にわたって世界各国で行って来た反革命運動。社会福祉政策を重視し、政府の介入を是認する「ケインズ主義」に反対し、いっさいの規制や介入を排して、自由市場のメカニズムに任せれば、自ずから均衡状態が生まれるという考えに基づく改革運動。著者はこの手法をショック・ドクトリンと呼ぶ。
  シカゴ学派の経済学者は、ある社会が政変や自然災害などの危機に見舞われた時、人々がショック状態に陥って、なんの抵抗も出来なくなった時こそ、「市場原理主義」に基づく経済政策を一気に導入する最大のチャンスと捉え、この手法をこれまで世界各地で実践してきた。
  フリードマンのこの過激な自由市場経済は、市場原理主義、新自由主義と呼ばれている。軍事までも含めた徹底した民営化と規制撤廃、自由貿易、福祉と医療などの社会支出の削減を柱とする。この経済政策は、大企業や多国籍企業、投資家の利害と密接に連携するものであって、貧富の格差拡大やテロ攻撃等の社会的緊張増大につながる悪しきイデオロギーだと著者は言っている。
  ショック・ドクトリンの実際の適用事例として、チリのクーデターをはじめとする70年代のラテンアメリカ諸国、サッチャー政権時、ポーランドの連帯後、鄧小平の自由主義経済導入と天安門事件、アパルトヘイト後の南アフリカ、ソ連崩壊時、アジア経済危機、9.11後の米国とイラク戦争、スマトラ沖津波後、米国南部を襲ったハリケーン・カトリーナ後など、種々の例をあげて、ここ30年の現代史に沿って各ケースを検証する。
  自由と民主主義の美名のもとに語られてきた、復興・改革・グローバリゼーションの裏に、暴力的破壊的ショック・ドクトリンが存在したことを暴いている。
  ぜひ、読んでいただきたい。目からうろことは、このことだ。今の政治や経済がはっきりと見えてきた。

<目次>
上巻目次                            ◆下巻目次
序 章 ブランク・イズ・ビューティフル               第五部 ショックの時代――惨事便乗型資本主義複合体の台頭
第一部 ふたりのショック博士―研究と開発              第14章 米国内版ショック療法
  第1章 ショック博士の拷問実験室                  第15章 コーポラティズム国
  第2章 もう一人のショック博士                 第六部 暴力への回帰―イラクへのショック攻撃
第二部 最初の実験―産みの苦しみ                  第16章 イラク抹消
  第3章 ショック状態に投げ込まれた国々              第17章 因果応報
  第4章 徹底的な浄化                         第18章 吹き飛んだ楽観論
  第5章 「まったく無関係」                    第七部 増殖するグリーンゾーン―バッファーゾーンと防御壁
第三部 民主主義を生き延びる―法律で作られた爆弾        第19章 一掃された海辺
  第6章 戦争に救われた鉄の女                    第20章 災害アパルトヘイト
  第7章 新しいショック博士                       第21章 二の次にされる和平
  第8章 危機こそ絶好のチャンス                終 章 ショックからの覚醒
第四部 ロスト・イン・トランジション―移行期の混乱に乗じて
  第9章 「歴史は終わった」のか?
  第10章 鎖につながれた民主主義の誕生
  第11章 燃え尽きた幼き民主主義の火  第12章 資本主義への猛進
  第13章 拱手傍観
上巻目次     
  第13章 拱手傍観


最近読んだ本から、ピックアップ。 「京都庶民生活史 1~3」   「海の道、川の道」   「ブリューゲルの子供の遊戯」

  • Posted by: やまなか
  • 2014-04-19 Sat 06:00:29
  • 書評
本3
  読んだ本からピックアップしてみました。
  林屋辰三郎+加藤秀俊+CD I 編  講談社現代新書 1975年発行 
  「京都庶民生活史 1 京童から町衆へ」
  「京都庶民生活史 2 町人から市民へ」
  「京都庶民生活史 3 古都の近代百年」
  
  古本です。
  私は一応、京都を故郷と思う人間ですが、住んだ土地に関する史実が通史として読めることが嬉しい本。京都通史の内容に、こんなにも様々な分野のことが豊富にあるのに改めて驚いている。日本史通史とほぼイコールじゃない。やっぱり京都は素晴らしいし奥が深い。
  都になる以前、葛野川、高野川、旧賀茂川が流れる、全くの氾濫原であった頃から始まって、明治維新・遷都、近代化までを一気に見渡すことができます。今の目で読むと、本書は当時の左寄りの視座ですが、そんなに違和感はないと思います。
  溝口健二監督の「祇園の姉妹」(1936年)のレビューを書いた際に、あげた本。(2012.6掲載)
  学研ビジュアル新書の「京都今昔 歩く地図帖~彩色絵はがき、古写真、古地図でくらべる」
  斎藤義之  日本史リブレット 山川出版社 2003年発行
  「海の道、川の道」

  以前から、こういうテーマに興味があります。
  本書は、例えば日本海、瀬戸内海、利根川など沿岸の海運について、フィールドワークを踏まえて取り上げています。おおよそ知っていたことを、より一歩踏み込んで知ることができました。
  瀬戸内の港町・鞆の浦を舞台にした映画は、千葉泰樹監督の「今宵ひと夜を」(主演:八千草薫)であった。(2012.6掲載)
  また、淀川を上って入る巨椋池の伏見湊の船宿を舞台にした、五所平之助監督の「蛍火」(主演:淡島千景、伴淳三郎)は、京都の幕末を描く映画であった。(2010.9掲載)
  森 洋子  未来社 1989年発行  装丁:戸田ツトム
  「ブリューゲルの子供の遊戯」

img_0.jpg  なにしろ、なぜか、ブリューゲルって好きです。 
  1560年に制作された、この絵の中に91種類の子供の遊戯が描かれている。それらをひとつひとつ取り上げる中で、当時のヨーロッパが見えてくる、そんな仕掛けの本。たまには、硬い本読まないとね。

  ベルギー王立図書館所蔵「ブリューゲル 版画の世界」
  2010年にBunkamura ザ・ミュージアムにて公開(2010.7掲載)の記事はこちらから どうぞ。

「おいしいハンバーガーのこわい話」  草思社 /  「 食品の裏側 みんな大好きな食品添加物」   東洋経済新報社

  • Posted by: やまなか
  • 2013-02-28 Thu 05:59:52
  • 書評
上

   毎日食ってる食い物について、じっくり考える余裕なんて、我々には無い!
   そこんところを狙われてしまった。
   食う事を粗末に扱い過ぎたわけだ。
   食う事の大切さよりも、食う事の怖さを先に知らねばならない時代。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  「おいしいハンバーガーのこわい話」
  エリック・シュローサー/チャールズ・ウィルソン共著  草思社

  「第1章 ハンバーガーはこうして生まれた」の後半にある、マクドナルドのチェーン誕生や、他店があいついでマックをまねて、ファストフード業界が誕生していく経緯が興味をひく。また「第4章 フライドポテトの秘密」において、多数な店のどの店でもいつも均一な味を維持するために、フライドポテトのオートメーション工場化、これによる個人農家の崩壊と、「昧は試験管で作られる」以降が冴えている。米国が狙うグローバル化がどういうものか、よく分かる。その結果、米国の食品と医薬品の巨大企業が世界を牛耳っていく。
   第4章の中身
      いつも、どこでも、おいしいポテトを
      じゃがいも長者と、じゃがいも貧乏
      巨大フライドポテト工場
      昧は試験管で作られる
      おいしい記憶は時を超える
      いちごのいらないストロベリーシェイク
      食品は白いカンバス 昧を決める子どもたち

  本書は高校生以下の子供たち向けに書かれており、その意図を汲みとっておきたい。


<目次>
  はじめに みんなに考えてほしいこと
  第1章 ハンバーガーはこうして生まれた 
  第2章 子どもは大事なお客さま
  第3章 マックジョブってなんのこと?
  第4章 フライドポテトの秘密
  第5章 スカッとしない清涼飲料の話
  第6章 牛や鶏はどんな目にあってる?
  第7章 ファストフード中毒
  第8章 きみたちにできること



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下00   食品の裏側 みんな大好きな食品添加物」 
  安部 司・著  東洋経済新報社

  「昧は試験管で作られる」について、それって何?を追求したい向きにお薦めの本がこれ。
   白い粉だけで、とんこつスープが作られる、その白い粉とは・・・。

<目次>
  序章 「食品添加物の神様」と言われるまで
  第1章 食品添加物が大量に使われている加工食品
  第2章 食卓の調味料が「ニセモノ」にすりかわっている!?
  第3章 私たちに見えない、知りようのない食品添加物がこんなにある
  第4章 今日あなたが口にした食品添加物
  第5章 食品添加物で子どもたちの舌が壊れていく!
  第6章 未来をどう生きるか

「きつねのはなし」  森見 登美彦・著

  • Posted by: やまなか
  • 2013-02-22 Fri 05:59:03
  • 書評
上

京都の街を舞台に、しっとり静かに怖い本です。
何かが潜んでいることができる、深い闇がある街。
それは京に住んださまざまな人々が、長い時間かけて紡いできたもの。
京都が好きな人、どうぞ。

<冒頭から引用>
天城さんは鷺森神社の近くに住んでいた。
長い坂の上にある古い屋敷で、裏手には常暗い竹林があり、葉の擦れる音が絶えず聞こえていた。芳蓮堂の使いで初めて天城さんの屋敷を訪ねたのは初秋の風が強い日で、夕闇に沈み始めた竹林が生き物のように蠢いていたのを思い出す。・・・・<終>

目次
  きつねのはなし
  果実の中の龍
  魔
  水神


お面我が家に、紙製のきつねのお面がある。
40年以上前に、伏見稲荷大社の境内で手に入れたものらしい。いつか譲り受けた。
壁にこうしてかけてあるが、時々じっと見られている気がする。





「鏡花・百物語集」 文豪怪談傑作選~特別編  ちくま文庫

  • Posted by: やまなか
  • 2012-08-23 Thu 05:06:35
  • 書評
本
  夏のある夜、寂しい屋敷や吉原などで、「怪談会」がその昔よく催された。(明治から大正年間)
  招待されて集まってくるのは、名だたる文豪や画家、芸者や政治家、新聞記者といった一癖ある連中だった。幹事はいつも泉鏡花、無類のの怪談好き小説家だ。
  それぞれが持ち寄った選りすぐりの怪談話を、夜を徹して披露しあうのである。話す、聞くだけではなく、怖い仕掛けも用意されていた。準備には、例えば、本物の古い卒塔婆(そとば)を苦心して手に入れたり。そういう会の裏表の実況中継が記されたの本書です。怖いです。 さらりと読めます。(当時発行されていた芸能紙「都新聞」連載)
  また泉鏡花の作品「浮舟」「露萩」なども収められている。

  怪談会常連客:泉鏡花、久保田万太郎、芥川龍之介、菊池寛、柳田國男、里見弴、などなど 

  ちくま文庫 2009年発行 東雅夫編

<目次>
  怪談精霊祭
  恋物語(抄)
  浮舟    (小説:泉鏡花・著)
  怪談の会と人
  向島の怪談祭
  友人一家の死(小説:松崎天民・著)
  怪談会点景
  怪談聞書
  露萩    (小説:泉鏡花・著)
  怪談    (小説:平山蘆江・著)
  怪談会
  幽霊と怪談の座談会

小説「謎のヴァイオリン 」 クリスティアン・ ミュラー著

  • Posted by: やまなか
  • 2012-04-23 Mon 06:43:28
  • 書評
本 表紙mage_0


  ヴァイオリンに贋作(がんさく)があることを教えてくれた本。
  名器ストラディバリウス以外に、グアルネリウスという名器があることも教えてくれた小説。
  元捜査官でヴァイオリン鑑定家という都合が良すぎる主人公が、このグアルネリウスにまつわる贋作?について依頼を受け国際的に調査が始まる。
  話は面白く展開し、その中でヴァイオリンのうんちくが披露される。ヴァイオリンは簡単に分解できて、例えば一挺の破損した名器から、二挺の名器が生まれる。当然不足のパーツは古楽器から調達する。鑑定の目は、響き、音色、デザイン様式や素材や木目に鋭く迫る。ソ連からロシアになる端境期に博物館から著名なヴァイオリンが複数流出し、その後行方不明だった。まるで名画と同じようだ。

ヴァイオリン

  ストラディバリが製作したヴァイオリンは、1200挺あるといわれ、今600挺が存在しているらしい。
  一方、主人公のグアルネリウスは、制作された挺数は200程度で現存する挺数ははっきりしていない、ところが面白い。うろ覚えだが、当時、ストラディバリはパトロンがいる著名なヴァイオリニストがユーザーで、よって当時も高価。その上、工房形式で生産されたので生産本数が多い。グアルネリウスは個人で製作、ユーザーは街の演奏家だったらしい。

  (←)グアルネリウスとは・・・ウィキペディアはここから

小説「ふしぎな山からの香り」  ロバート・O・バトラー著

  • Posted by: やまなか
  • 2011-12-02 Fri 06:29:53
  • 書評
ふしぎな山からの香り  アメリカの白人が書いた短編小説集だが、小説の登場人物はみなベトナム人たち。それもアメリカに移住したベトナム人たちが主人公。
  よってそれぞれの話は、ベトナムでの生活、移住後のアメリカでの生活が描かれている。
  ベトナムですでに成功していた人、アメリカに来て成功した人、ベトナムで米国駐留軍と商売していた人、米兵相手のクラブで働いていたが米兵とアメリカに渡った来た女など、さまざま。
  ベトナムが少しわかる本。
  著者はまるでベトナム人のように、ベトナムの心を知っている。

  


 

「食う。 百姓のエコロジー」 田中 佳宏 著

  • Posted by: やまなか
  • 2011-11-20 Sun 07:35:18
  • 書評
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1996年の本だが、古くなっていない。思考が深い。
著者は農業を営みながら歌人。農業について科学的にも良く学んでいらっしゃる。
意見が異なる部分も多いが、共鳴できるところも多い。
次に書き出した目次の行間を読んで欲しい。か、本を読んで。

目次
まえがき
第一章 食うことで生きものは世界を作る
         食うことで生き物は何をしているか
         土の中のもうひとつの自然  
         植物は、生き物の生産者
         自然の豊かさにも限界がある     
     
第二章 食うことで別の自然を作る
         強者、弱者を許さない自然界

第三章 食うことの平等が文明社会を作った
         エサはいくらあっても胃袋はひとつ
         食うことの平等は都市と文明をつくった
         人間、文明社会の特異な姿
         生き物の平等と再生
         がっついて食うのが礼儀
図説53
第四章 食うことのもとは今も昔も山村である
         自然、半自然、都会
         自然があって人は平地に住める
         米を食うために自然を作った
         自然が漁業も工業も作る
         自然があれば農地は再生する
 
第五章 稲が作った日本の国土・文化
         稲が変えた日本人の住み場所
         日本の国土と菜食、牧畜
         表の稲作、裏の畑作

第六章 食うことにおいて都市とはどういうものか
         国際化とムラ化、都市と農村の性格
         都市には凶作がない
         都市は農耕に責任を持たない
       
第七章 食いものを作るのは仕事にあらず
         食い物を作ることは職業か
       
第八章 食いもの、何を自給すべきか
         食糧自給100%が自然
         食い物に対する考え方の変化
         農家は食い物ヲ作らない
         伝統食くらいは自給すべき

第九章 食いもの食いながら地球を潰す
         自然界での食のルール
         ルールのない食は地球を壊す
         商品化される食い物の問題
         エサをとることをしない人間の問題
         トラック一台分の土も、ともに食う
       
第十章 飽食と飢餓、食いもの不平等
         とんでもない不公平が進行
         飽食と飢餓は同居する
         人類最期の飽食

第十一章 それでも農耕で食うしかない
         農業には発展がない
         食糧問題は解決しない
         農耕の思想によっていき続ける

第十二章 農耕は人間の義務であり権利である
         別な目で見直そう
         食うこと、食い物を作ること
         食い物の消費者を越える
         農村と都市の対立
あとがき
参考文献
出版社:現代教養文庫

●田中 佳宏(たなか よしひろ)
 1943年、埼玉県生まれ。
 放射線技師を経て、1978年から埼玉県妻沼で農業。
 歌人。現代歌人協会会員。歌誌「牙」会員。環境問題、大量消費社会への、農業者からの鋭い発言で知られる。

「うくしすつてとのへ」って何よ?

  • Posted by: やまなか
  • 2011-11-18 Fri 07:28:01
  • 書評
何だと思います?

答え : 1人でできる、「人」文字。・・・・・・どうやれる?

人の体で、ひらがなの50音を全部作ってみました、という絵本です。若干は小道具を使います。
「うくしすつてとのへ」 以外の文字は、2人以上じゃないと、できない。そりゃ、そうだ。
大人がまじめに取り組みました。

日本は、「北斎漫画」があった国です。
そして、さっきまで知りませんでしたが、「北斎漫画制作キット」というのがあるらしい。
flashで作成された北斎漫画制作ツール。今は使えなくなってるらしいが。面白そうです。
映画「北斎漫画」は観てません。

ひともじえほんi73
  「ひともじえほん」

  こどものとも11月号
   こんどう りょうへい 作
   かきのきはら まさひろ 構成
   やまもと なおあき 写真
  福音館書店 本体390円




映画「ブック・オブ・デイズ」と「中世ヨーロッパの都市の生活」と。

  • Posted by: やまなか
  • 2011-11-17 Thu 06:28:03
  • 書評
放浪芸人jcdtbfaba映画 ブック・オブ・デイズ 
監督:メレディス・モンク

  14世紀らしい。ここはフランスの中部にある中世の城壁都市。
  キリスト教徒はみな白装束。この都市ではユダヤ教徒は少数派であり、キリスト教徒に管理監督されている。  服装は黒装束で左肩には丸印をつける事、農業や交易の職には就けない、金細工、皮なめし、ガラス工など、また金貸し・両替商を営むこと、などが書かれた掲示が街の壁に貼られている。この棲み分けルールによって両教徒は同じ都市で平和に住んでいた。


  
ユダヤ親娘Days 1  ある年、ペストがこの都市を襲う。多くの人々が死亡する。キリスト教徒の中から、この災いはユダヤ教徒が原因だという声があがりユダヤ弾圧が始まる。  
  エヴァというユダヤの少女がいた。彼女は不思議なものが見えるようになる。不思議なものとは、それは現代の様子。銀色の飛行機、自動車、無数の人々とニューヨーク、カメラで写真を撮る人の様子など。幻覚なんだろう、他の人間には何も見えない。彼女はこの不安を祖父に相談する。祖父は祖父なりに聖書に沿うような説明するが、途中で説明し切れなくなると同時に、そんな孫を心配し苦悩する。
  娘は自分の理解者を求め狂女と出会い、当時誰も持たない卓越した思想を学び、自己の不安から解放される。
  シーンは現代にスイッチ。彼女が住んだ石造りの家は今もあって廃墟になっていたが、壁には、ある絵が残っていた。娘エヴァが自宅の壁に自身が見た不思議なものを描いていたのだった。

  この映画を初めて観た時は、「抽象的で意味がまったく分からない、あの手の映画」だった。セリフもめっぽう少ない。
  しかし「中世ヨーロッパの都市の生活」という本を最近読んで、改めてこの映画を観たら、素直な表現でいい映画だと気がついた次第。舞台演劇的手法だが嫌味にならない。映像がきれいだ。衣装デザインもいい。音楽は監督の本業なので悪いわけがない。
キリスト  教徒ehoods  ●メレディス・モンク
  アメリカの作曲家、パフォーマー、演出家、ヴォーカリスト、映画製作者、振付家。音楽、演劇、舞踏にわたりトータルな作品を世に送り出しCDも多い。
....................................................................................................................................................................
監督:メレディス・モンク|アメリカ|1988年|74分|
原題:Book of Days
脚本:Tone Blevins|撮影:ジェリー・パンツァー|音楽:メレディス・モンク|美術:Yoshio Yabara|
出演:Toby Newman (少女)|Pablo Vela (祖父)|Lanny Harrison (母)|Daniel Ira Sverdlik (父)|Andrea Goodman (叔母)|Joshua Sippen (叔父)|Karen Levitas (年長の娘)|Hannah Pearl Walcott (年少の娘)|Gail Turner (農婦)|Mieke Van Hoek (商人)|Robert Een (兵士)|Lucas Hoving (医者)|Gerd Wameling (旅の語り部)|Greger Hansen (旅の修道士)|Wayne Hankin (旅芸人)|Ruth Fuglistaller (伝染病患者)|Rob McBrien (商人(死のダンサー))|メレディス・モンク (狂女)
街なみ123 Days 1  孫ord5
ユダヤ人街の家々             エヴァは祖父に、幻覚を説明している (カメラ撮影を説明しているようだ)



-----------------------------
本7760中世ヨーロッパの都市の生活 
J.ギース、F.ギース共著 (講談社学術文庫)
地図-troyes

  1250年、フランスの中世都市トロワ(Troyes)が舞台。
  著者は学者じゃないから、おもしろく物語れる。
  1250年、人々が行き来する街並、映画を観ているように、その様子が読者の目の前に現れる。人の家の中にも入っていく。教会の鐘も聞こえる。リアルな記述が続く。もちろん推測からイメージを膨らませた部分もある。

  下の地図の右上、点線で囲まれている所はローマ時代の城壁。この中に、この街のシンボル、サン・ピエール大聖堂があり、かつユダヤ人地区がある。外国人居留地のような存在。シナゴーグもある。
  街には教会や修道院がたくさん建っている。あちこちから鐘が聞こえただろう。
  ぜひ読んでみて。

  
トロワIMG  トロワは人口1万人。
  パリが5万人、ロンドンは2.5万人、トロワは北ヨーロッパで上位5番目ほど、豊かだった都市。もっとも南ヨーロッパの方が豊か。ヴェネチアは10万人だった。俯瞰してみると当時南北(つまり西)ヨーロッパの推定人口は6000万人くらい。現在のフランス地区は2200万人。


  





  

【目次】
プロローグ
第一章 トロワ 1250年
第二章 ある裕福な市民の家にて
第三章 主婦の生活
第四章 出産そして子供
第五章 結婚そして葬儀
第六章 職人たち
第七章 豪商たち
第八章 医師たち
第九章 教会
第十章 大聖堂
第十一章 学校そして生徒たち
第十二章 本そして作家たち
第十三章 中世演劇の誕生
第十四章 災厄
第十五章 市政
第十六章 シャンパーニュ大市
エピローグ 1250年以降


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江戸時代!江戸時代。 デジタル修復版「幕末太陽傳」を観る前に、「落語の国からのぞいてみれば」を読む。

  • Posted by: やまなか
  • 2011-10-28 Fri 06:11:23
  • 書評
幕末IMG未来は明るい、と思ったとしても、
明日はどうなるのか分からない、一寸先は闇だ。

じゃ、過去はどう? 例えば150年前や200年前は?
その頃は江戸時代だと分かるけど、江戸のフツウの人は、どんなこと思って毎日生きてたのか? 忘れちゃった。
江戸時代を知ってる人は、この世にいない。

デジタル修復版 「幕末太陽傳」

川島雄三監督、フランキー堺が居残り佐平次を演じる名作時代劇。(1957年)
いくつかの落語のネタを組み合わせながら、川島雄三、今村昌平、田中啓一のお三方が脚本を書いた。
日活創立100周年記念の特別上映らしい。
12/23からテアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町で、ロードショー!


「落語の国からのぞいてみれば」 堀井憲一郎著 (講談社現代新書)
落語の国から-1
  のぞく先は、もちろん江戸時代。
  大の落語好きな著者が、落語のストーリーを通して、江戸時代のフツウの人々の生活や考えを教えてくれる本。口語調のやさしい語り口なので、すぐ読める。
  へぇーそうなんだ! 誰も教えてくれなかった事がわかる。落語知らなくても実に面白い本。
  これ読んで「幕末太陽傳」を観れば、映画の楽しさ倍増だ。(と思う)

  第1章 数え年のほうがわかりやすい
  第2章 昼と夜とで時間はちがう
  第3章 死んだやつのことは忘れる
  第4章 名前は個人のものではない
  第5章 ゼニとカネは別のものである
  第6章 50両で人は死ぬ
  第7章 みんな走るように歩いてる
  第8章 歩くときに手を振るな
  第9章 生け贄が共同体を守る
  第10章 相撲は巨大人の見世物
  第11章 見世物は異界の入り口
  第12章 早く結婚しないといけない
  第13章 恋愛は趣味でしかない
  第14章 左利きのサムライはいない
  第15章 30日には月は出ない
  第16章 冷や酒はカラダに悪い

「いのちと放射能」  柳澤桂子 著

  • Posted by: やまなか
  • 2011-10-06 Thu 12:46:22
  • 書評
いのちimage_0  みんなに、ぜひ読んでもらいたい本です。

    遺伝子って何だっけ?
    遺伝子が放射能で傷つくとは、どういうこと?
    傷ついたら、どうなる?
    それは遺伝する?
    妊娠中に被爆したら、どういうことになる?

  110ページほどの薄い文庫本です。
  内容は平易に書かれていて、中学生からでも理解できる。
  チェルノブイリ後の1988年に執筆された本ですが、3.11後に書かれた本のよう。筆者の先見眼に驚かされます。
  遺伝子が放射能で傷つくとは? といった基本的なこと科学的事実を、私たちは何も知らずに、あるいは知ったかぶりして、毎日のニュースを聞いたりしています。池上さんの話も悪くないですが、自分自身で学びたい。たった560円で、いま誰もが必要としているはずの、基本が理解できます。理解できると、次が見えて来るはず。こんなことを繰り返して生きたい。

  著者は三菱化成生命科学研究所の元主任研究員で、生命科学者。
  遺伝子医療や放射能について多彩な研究と執筆活動。ご自身は難病を経験。詳しくはこちら wikipedia 

  (抜粋)
  私たちは40億年かけて進化してきました。それだけ時間をかけて、地球という自然環境のなかで生きるようにつくられているのです。それをたかだか数百年の近代科学歴史しかもたない浅はかな知恵で自然を支配したかのような錯覚に陥っているに過ぎません。

目次
私たちは星のかけらでできています
DNAはいのちの総司令部
DNAは親から子へ受けつがれます
放射能を浴びるとどうなるのでしょう
弱い放射能がガンを引き起こします
放射能はおとなより子どもにとっておそろしい
お腹の中の赤ちゃんと放射能
少量の放射能でも危険です
チェルノブイリの事故がもたらしたもの
人間は原子力に手を出してはいけません
これ以上エネルギーが必要ですか
それはこころの問題です
ひとりひとりの自覚から

あとがき
文庫版への長いあとがき

近世文学研究 「江戸滑稽化物尽くし」   アダム・カバット (著)

  • Posted by: やまなか
  • 2011-09-10 Sat 06:47:28
  • 書評
表紙  2  wL

アメリカに「プラスチックマン」というのがいた。

漫画「スーパーマン」が漫画界に登場した3年後、1941年に「プラスチックマン」がデビュー。スーパーマンのように超能力を持ち正義にために闘ったヒーロー。当時人気はあったが、その後ほぼ忘れられてしまった漫画。
孤児だった彼はギャング団に入っていた。追われる中、正体不明の薬液が入った水槽に転落、このせいで身体がゴムのようになる。著者は「ろくろ首」と同根だという。私はゴムゴムの実を食べた、ワンピースのルフィも同じだと思う。

本書は講談社学術文庫なので、プラスチックマンは冒頭の一部でしかない。
江戸期に大変な人気となった、「絵と文」が一体となった本、草双紙を研究対象として、滑稽で怖い化物を描き出している。そして江戸時代の、普通の人々のこころの様子を発見している。
泉鏡花が好きな私は、鏡花の背景が知りたくて読んでみた。  

マン247238_0  ろくろ_314657 ルフィnbw5mzA

男のろくろ首もいた。
首が外出してる間に、胴体がいる家に泥棒が入っている。(中央の絵)
こんな本を草双紙という、泉鏡花は愛読していたらしい。
左端の絵には、アンパンマンに出てくるようなキャラがいる。

ろくろ3 IMG_0002 ろくろ2 IMG_0001 ろくろ1 IMG_0001



妖怪の本 『趣味研究 動物妖怪譚』も見てね。 こちらからどうぞ
水木しげる氏が4歳の時に出版された、妖怪本。(1926年発行)

小説 「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」 ウーヴェ・ティム著

  • Posted by: やまなか
  • 2011-08-08 Mon 05:25:33
  • 書評
カレー204392  第2次大戦末期、ドイツのハンブルグは空前絶後の大空襲を受けていた。しかしその街で人々は毎日を生きていた。その中の一人が主人公。
  ドイツ側から、それもナチス党員/非党員の市民視点で、ハンブルグの大戦末期を知ることが出来ます。
  主人公レーナ・ブリュッカーは戦火を生き、男を囲い、戦後を生き抜いていく。その過程で「カレーソーセージ」誕生の謎が解けていく。ただし誕生秘話を追いかけて読む本じゃないです、はぐらかされますのでご用心を。

  河出書房新社 2005年
ハンブルグrg_Liberation_04












エッセイ 「ぼくは猟師になった」 千松信也

  • Posted by: やまなか
  • 2011-08-06 Sat 06:35:34
  • 書評
いのししect  京大卒、33歳の猟師の、狩猟8年目のエッセイ。
  虫好き動物好きが京大に進み在学中から狩猟を経験、運送会社に勤めながら猟師の免許を取得。出勤前の早朝に山に出かけ、ワナを点検。退社後は鹿の解体やワナの整備など。住まいは京都市内だが裏山から毎晩、庭先に鹿や猪やサルが普通に出没する。狩猟解禁期間、この裏山を中心にワナを仕掛ける。鉄砲は使わない。
  獲って、さばいて、食べる。
  猟師の視点から、食も語っている。ぜひ、一読を。
  こんな生活もあるんですね。

  発行:リトルモア 2008年
北山8

ガロ20年史 木造モルタルの王国 青林堂 1984年発行

  • Posted by: やまなか
  • 2011-05-10 Tue 07:32:08
  • 書評
ガロ背表紙0001   表紙G_0002 ~ガロ20年史刊行委員会~

 作品の選択にあたっては次のような基準を考えた。
  1)ガロ主要執筆者の作品を一作は載せる。
  2)時代を象徴し、いかにもその当時のガロらしい作品は極力載せる。
  3)長編作品は物理的に収録不可能である。カムイ伝、鬼太郎夜話、赤色エレジーなどは割愛せざるを得なかった。
  4)著名な作品でも単行本で入手しやすい作品は割愛し、同じ作家の別の作品を載せた。
  5)マンガ以外にも、その時代のガロの雰囲気を伝えるコラム類を収録した。

 本書は寄稿者たちのご厚意により、印税なしで刊行される。刊行委員会ならびに青林堂から謝意を表したい。
 1984年12月1日 初版発行



このまんが本、1200ページ。背幅10センチはある。広辞苑のようです。
1984年当時、「月刊誌ガロ」は相当厳しかったと思われるし、ガロらしさというものが薄くなっていた。


<全目次>
目次1-1 3333IMG_0001
目次1-2 3333IMG_0001
目次2-1 3333IMG_0002
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「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」 太田直子著 光文社新書

  • Posted by: やまなか
  • 2011-04-07 Thu 07:51:29
  • 書評
字幕本00_ 「字幕は映画理解のための補助輪」、だから存在を主張してはならない、らしい。空気のように水のように、あって当たり前、でも無いと困る字幕。(大変お世話になっております)
 (著者いわく)、読んでいることを意識させない字幕、目の端で読んでいるのだが「外国語のせりふがわかる気持ち」にさせてくれる字幕、理想は「透明の字幕」らしい。

 1秒間に字幕・4文字(4文字/秒)が、観客が読める速さとなっているのだそうだ。五七五なんて世界より制限される。だから字幕は翻訳というより要約、ときに意訳なのだそうだ。早口のせりふとか大変そう。それも、ふたりの俳優が同時にわめき合ってる場合なんかね・・・プロならではの高度な技術だ。
 字幕の量については、90分の映画の字幕数は平均1000。せりふが多かったり、ナレーションがあったりで、その数、倍になることも。
 字幕を作るには、外国語の台本だけではできないらしい。台本を片手に映画を何回も見る。なぜなら台本の字面だけでは、俳優がせりふを何秒間で言っているかが分からない。(当たり前ですが、セリフを言ってる間だけ字幕が表示されてる) また例えば年齢・職業・服装・色・大きさ・天気など映画を見ないとわからないことも多い。時代背景や文化など様々な勉強も必要だろう。
 (著者は問う)映像がめまぐるしく展開する映画を一度見ただけで、きちんと理解できるだろうか? 字幕屋は1作品を最低でも3度、時によると10度ほど見る、それでも見落としや勘違いが結構ある。そして優れた映画ほどその度合いは高い。(そうだよなー、観るだけの我々は、ほんとにわかって観ているのだろうか?耳が痛い)

 著者が聞いた若者ふたりの会話。
 「映画、見に行ったよ」
 「へえ、どんな映画?泣けた?」
 「うん、まあ良かったけど、泣くほどじゃなかったな」
 「えー、映画見て泣かなきゃ意味ねーじゃん」

 今や、映画業界では、涙・感動・泣けるは最上の宣伝文句。(らしい)
 誰でもが感情移入しやすく涙を誘いやすい「わかりやすい」ストーリーが求められている。(これが売れ筋なんだよね) だから、俳優はどういうセリフを言っていようが、「わかりやすく、泣ける」字幕にしてしまうらしい。あわせてチラシやパンフレットで、この映画はこう見るんですよ、そう見ると泣けますよ癒されますよと、原作をねじ曲げて解説してくれ広告する。(観客動員、観客動員)
 (著者いわく)せっかくいい映画を買い付けてきたのに、売るためにおかしなねじ曲げ方をしないでくれ!
 (以前このブログで書いたが、ねじ曲げられれた邦題、その邦題に沿ったポスターデザイン・・・・字幕もか)

 さらに著者がシネコンで聞いた話。
 「吹き替え版は満員?」
 「しょうがないな。字幕版でも、まあいいか」
 (著者いわく)字幕の将来は、明るくないらしい。

 字幕に不信感を持ったことは今までなかった。
 きれいなイギリス語発音で私でも少し単語が聞き取れる場合、字幕と違うなと感じることは確かにあったが、ま要約だからと流して来た。日本語しか分からない、字幕頼りの私は、この本読んで正直いやな感じ。低予算で字幕製作を素人がやっているケースもあるらしいし、ねじ曲げられていることもあるとは重大だ。
 英語がわかる人と字幕を見ていると、「ちがうちがう変じゃん」とか言ってるよね。うらやましい!

 私のブログの中に、著者太田直子氏の字幕作品があるかな?と思ったらあった「エルミタージュ幻想」 「フルスタリョフ、車を!」 

漫画雑誌「漫金超」 創刊号 1980・春

  • Posted by: やまなか
  • 2011-01-05 Wed 22:09:52
  • 書評
漫画IMGこういう漫画雑誌があった。
00年代、90年代の向こう河岸に80年代があった。

季刊「漫金超」 まんがゴールデン・スーパーデラックス 

【目次】
大友克洋| サン・バーグズヒルの想い出
川崎ゆきお| 猟奇のパラドックス
雑賀陽平| 3193より2316
さべあのま| I LOVE MY HOME
高野文子| 田辺のつる
いしいひさいち| 絶望的前衛の巻
ひさうちみちお| ヨセフ
赤星ジュン| 香港猫

【ごあいさつ】
冨岡雄一 (裏表紙から転載)
文化は東漸するといわれます。結局のところそれは、文化的な芽は育まれても、実を結ばせるまでの土壌が、この関西にはなかったということかもしれません。こと出版に限ってみても、関西に地盤をもつことの難しさは現状が示すとおりです。私たちチャンネルゼロはあえてその困難に立ち向かいます。80年代へ向けて、新たな文化状況を切り開く試金石として、<満金超>が多くの方々からのご支援を得られんことを願ってやみません。


この創刊号は発行が遅れた。
宮西計三は、それでも創刊号に原稿が間に合わなかった。

転がる香港に苔は生えない  星野博美 著 2000年発行

  • Posted by: やまなか
  • 2011-01-04 Tue 12:35:08
  • 書評
気になるIMG_0019安定ほど不安定なものはない、と思う。
ドボンな雰囲気の日本は、本当は何もしたくない、海外からも時代からも取り残されていく、と諦めているふしがある、そういう安定期なのだ。

この本を読めば、香港の、普通の人々の生きざまから勇気をもらえる。
ドボンな雰囲気に安住している自分は、
アンタ何やってんの!と背中を押される感じ。
そして著者の、人間への好奇心・探究心の強さに感心する。
香港の奥深くにどんどん入っていく。
だからこの本なのだ。
インタビューしました的な本じゃありません。
元気でます。

<引用>
 香港という街は、人間が生きるのに楽な街ではない。将来どれだけの自由が保証されるかわからない不安の中で、誰もが自分の居場所を確保しようとしのぎを削りあっている。
 すべてのものは変わってゆく。予期しない変化を嘆いたところでどうしようもない。ただその中で自分が生き残ることだけを考えて前に進む。我々にしてみれば、それほどの緊張感を持続させながら生きるのは並大抵のことではないが、香港ではこれが、朝起きたら顔を洗って歯を磨くと同じくらいの、日常の大前提なのである。
 私は、香港の人が本当に安心して眠れる夜はないと思っている。ずっと勝ち続けられる博打などないし、負け続ける博打もない。だからこそ次にチャンスを目指して生き続けていく。安心して眠ることはできないが、彼らは浅い眠りの中で明日を夢見ているのである。
 そんな彼らのしなやかな生きざまを見ていると、次から次へと押し寄せる変化を前にただおろおろするばかりで、時には攻撃的に硬直していく我々は、やはり千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで変わらない安定を望む人々なのだと思った。・・・<引用おわり>


大図解 九龍城 (1997年発行)
九龍IMG_0001
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小説 おっぱいとトラクター マリーナ・レヴィツカ著

  • Posted by: やまなか
  • 2011-01-03 Mon 14:26:49
  • 書評
おっぱいG_0002面白い映画ができそうな小説ですね。
<引用>
母さんが死んで2年が過ぎた頃、父さんはウクライナ生まれのバツイチ金髪美女に入れあげた。84歳の父さんに対して、相手は36歳。たとえるなら、ちゃらちゃらしたピンクずくめの手榴弾がいきなり我が家に飛び込んできたようなもの。これが炸裂してあたりに泥水を撥ね散らかしたばかりか、記憶のぬかるみに沈んでいた家族の歴史を引きずり出し、なんと先祖の霊に背後から一発、蹴りを食らわした。
すべては一本の電話からはじまった。
受話器から聞こえてくる父さんの声は、歓喜にうち震えていた。
「朗報だ、ナジェジュダ。結婚するぞ!」
頭にかっと血がのぼる。嘘!ついにイカレたか!ちょっと、なに考えてるのよ!だが、そんあ素振りはみじんも見せず、「あら、よかったわね」
「いかにもいかにも。テルノピリに住んどる彼女の息子もこっちに呼び寄せたんだ。ウクライナだよ」
ウクライナ。父さんが深々と息を吸い込み、ふうっと吐き出す。・・・・・・・<引用おわり>

1997年、ここは英国はピーターバラ。登場人物は.......
  ナジェジュダ(49歳) 【主人公】大学講師、一児の母
  ニコライ(84歳)    娘ナジェジュダ、ヴェーラの父、元エンジニア
  ヴェーラ(59歳)    ナジェジュダの姉、二児の母
  ヴァレンチナ(36歳) ウクライナ出身の介護ヘルパー
  スタニスラフ(14歳) ヴァレンチナの息子
  デュボス        ヴァレンチナの元夫 ウクライナの工科専門学校校長
  マイク          ナジェジュダの夫

「ちゃらちゃらしたピンクずくめの手榴弾=ウクライナ出身の介護ヘルパー・ヴァレンチナ36歳」とは?

<引用>
大柄なブロンド女が、爪先ののぞく細いヒールのミュールでこちらに向かってくる。だらけた足取りはふてぶてしく、億劫だと言わんばかりだ。膝のかなり上までむき出しになったデニムのミニスカート。ピンク色のノースリーブのニットシャツは胸のあたりが淫らにふくらみ、これが歩くたびにゆさゆさ揺れる。むっちりとした白い肌に覆われた、いかにも淫乱そうな女。肥満一歩手前といった感じの肉付き。・・・・<引用おわり>

さて、娘ふたりは、ヴァレンチナから「父と、ささやかな蓄え」を奪い返すべくドタバタ作戦がはじまる。

<引用>
姉「女の狙いはパスポート就労許可証、それと父さんの蓄えだけ。」・・・・<引用おわり>

かたや、この小説はもうひとつの顔がある。主人公一家のルーツもウクライナだった。
ナジェジュダの両親はウクライナ出身、スターリン時代下、いくばくかの成功と、苦労を重ね、イギリスに移住。

<引用・訳者あとがき>
笑劇の水面下には、ルーツであるウクライナの過去と現在が潜んでいる。
20世紀初頭のロシア革命からスターリン時代を経て、第2次大戦、ソ連邦解体へと続く長い道のりでウクライナがこうむった悲惨(人為的飢餓、粛清、ナチス占領下の強制労働、チェルノブイリなど)そして1991年に独立を果たした後もなお続く政治経済の混迷1997年現在・・・そうした激動の時代を生き抜いた一家の封印されてきた歴史を、戦後生まれで英国育ちの主人公がたどる物語でもある。<引用おわり>



イギリス・ウクライナの距離
いいいいIMG

東京に暮す  キャサリン・サンソム著

  • Posted by: やまなか
  • 2010-11-15 Mon 06:21:59
  • 書評
東京IMG_0001英国外交官の夫の赴任に伴い、来日した著者キャサリン(1883-1981)が、昭和初期の東京の街や人々の暮らしをリアルに描いた、おだやかな日本滞在印象記。(1928年~1936年つまり昭和3年~11年まで滞在)

当時の日本人は、どんな風だったんだろうか? 現代人がタイムスリップして昭和3年に行けば、その見る眼は外人キャサリンと近いだろう。そう考えると面白い本です。昭和12年発行。
著者は、銀座や下町、バスや電車、百貨店や街の本屋などなど都内をくまなく見て回っている。そして片言の日本語で東京庶民に暖かく優しく接し、女性ならではの丁寧で細やかな視点で本書を書いている。エリート外人が見下したような視点は決してない。著者は英国人と日本人の共通点を見出し、基本的に親近感を持っている。また違いを感じる場合、日本人を非難するのではなく、時に日本人の気風に憧れに近いものを感じている。

<抜書き> 第8章 日本人の人生より
西洋人の人生の「攻め方」は見方によっては、落ち着きがない、あるいは元気が良すぎる、面白いあるいは疲れる、ということになりますが、日本人の性には合いません。「攻め方」という言葉自体、彼らと私たちの生き方の違いを見事に示しています。日本人には私たちにない落ち着きがあります。人生が彼らの中や傍を流れていきます。彼らはあせって人生を迎え入れたり、人生の舵を取るようなことはしません。流れが運んでくるものを受け取るだけです。流れてくるものが富や高い地位であっても、驚いたことに彼らは何気なく利用するだけです。その後も依然として地味な生活を好みますし、他の国民のように気取ることもないので、たとえ運が傾いたとしても私たちのようにショックを受けるこよはありません。高官や金持ちの質素な暮らしと、身分の低い者の暮らしは大して違いません。どちらも優雅で無欲です。・・・・

下の挿絵は著者の友人マージョリー西脇氏によるもの。多数掲載されていて本書の雰囲気を盛り上げている。
最後に大久保美春氏の流れるような翻訳が素晴らしいことを添えます。

<目次>
日本上陸|日本の食卓|日本人と労働|日本の伝統|百貨店にて|礼儀作法|樹木と庭師|日本人の人生|社交と娯楽|日本人と旅|日本人とイギリス人|日本アルプス行|日本の女性|
東京IMG_0005 東京IMG_0002
東京IMG_0003 東京IMG_0004
 

妖怪の本 1926年発行

  • Posted by: やまなか
  • 2010-10-05 Tue 08:42:22
  • 書評
趣味研究   動物妖怪譚
「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる氏が4歳の時に出版された、妖怪本。
妖怪が好きな、農学士、日野巌という方が執筆し、東京帝国大学 名誉教授2名が監修している。
とても「和風」な妖怪本で、面白い!!

東京養賢堂  大正15年発行(1926年) 農学士 日野巌 著
                          東京帝国大学 名誉教授 理学博士 白井光太郎 閲
                          東京帝国大学 名誉教授 理学博士 石川千代松 閲

I妖怪M555G0003序説より
本書は日本における伝説の動物の由来を明らかにし、併せてその本態をも明らかにしたものである。勿論、専門的な本ではなく、通俗的に伝説の動物を解きあかしたものである。

<目次>
半人半獣的形態のもの
鬼、天狗、河童、人魚、海坊主、雪女

神霊的性質のあるもの
龍、(蜃気楼の蜃 みずち 蛇に似た動物)、
鳳凰(ほうおう)、麒麟、天馬、
(首はサル、身は虎、尾は蛇)
雷獣、月の兎、八頭大蛇、たにぐに

異常な能力のあるもの
狐、狸、獏、鯰、猫

その他
鰐(わに)、海蛇、鳥になる貝、狛犬、血塊


eeeeeIMG_0002.jpg   eeeeeIMG_0003.jpg
河童                              人魚

eeeeeIMG_0004.jpg   eeeeeIMG_0005.jpg
海坊主                             

eeeeeIMG_0006.jpg   eeeeeIMG_0007.jpg
                             八頭大蛇 



伝説の動物の分布図
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KYOのお言葉 入江敦彦 著

  • Posted by: やまなか
  • 2010-09-26 Sun 08:14:02
  • 書評
京都な話ことば

映画ではあんな格好したはりますけど、素顔はとてもきれいなお方はんどした。ごはんは食べはらへんかったけど、エビの天ぷらはお好きやったです。ベッドはあらしまへんし、ふとんを三枚敷いたんどす。それ見て「日本のベッドは落っこちてもけがしないからいいですね」と笑わさはったんをよう覚えてます。
京都老舗旅館の女将の、チャップリンが1936年に宿泊した時の思い出。(1978年ごろの取材か)
京都新聞社編 京都の映画80年の歩み より
この女将の言い回しは懐かしい。「どす」はKYOのお言葉、いや昔ことば、華街ことば。とうに他界した京都の親戚筋の集まりで「どす」は耳にした、元は一般人も使ってた)


京M333G_0002さて入江敦彦 著「KYOのお言葉」いい本です。京都の言い回しや風習・習慣を書いた本が流行りましたが、これダントツにいい。頭いいですねこの方、本質突いて、京都人の気質とその背後の文化を分かりやすく解説してくれる。京都の空気が読めそうです、京女を彼女にしようとしてる人とかは必読。あと文章がメチャうまい。勉強になりました。

以下抜粋

ほっといてんか!     かんにんしてーな  
(女性に言われました)       (京都人の気質知らんと・・)

さよか
(実に冷たく素っ気ない =アッソ)

ほな!
(ホナ、四条行こか。とか さいならgood byとして普通に軽く使う)

ドーでもええやん      どないしょー 
(実はどーでもよくない)       (どうすんねん・・)

ほんで?             ちゃうちゃう
(詰問か?)              (違う)

そやねえ/そやろか?
(これ要注意!言われて軽く流さないように)

おいでやす
おこしやす|おこしやしとくれやす(←女優浪花千栄子が使うとビシッと決まる)

かんかんにならんときよし       味もシャシャリもない

ショーもない      ちゃッちゃ
                 (さっさの意、相手はイラついてる イラチ)

もっさい          ビビり
(言われないように あんた、もっさいなー とか あんた、ほんまビビリやな)

真似し漫才       ねき
                 (意:そばに・・お出で)

おはよーお帰りやす           あんじょー

なにをおっしゃいますやら       おきばりやっしゃ

どす   (今は舞妓さんの華街ことば、よって京都人が使うときは京都人を演じてる時)

はる/よる         そやかて       ○○やし
(○○しハル、○○しヨル)                   (そやかて、終電ヤシ)

なんやいな       そない言わいでも       おしょゆう    
                            (そない言わいでも オ醤油、取ってえなー)
                  
○○くさ       ○○しよし
(あほクサ!)       (早よシヨシ!)

           
まだまだ、きりないし、ここで打ち止め。





A good day for Soup スープに良い日 JEANNETTE FERRARY & LOUISE FISZER著

  • Posted by: やまなか
  • 2010-09-18 Sat 20:57:21
  • 書評
いつかそのうち料理を始めるんじゃないか、そういう予感を以前からもっている。

I222MG_0001.jpgテレビの料理番組をぼんやり見ていることもある。こんな延長線上にあるとしたら、こんな本かな。気まぐれにページをめくってながめる時もある。
なんと142種類のスープ・レシピ集、でも固苦しくなく、お気楽な本。そして日本人のスープに対する、少々狭い視野をグーンと広げてくれる。
本のエディトリアルデザインがいい、料理写真が一点もない、いさぎよい。日本の本じゃありえない。ブックオフで500円だった。

スープの設計図 Blueprint for Soups  12種類
スープはじめ Soups for Starters     22種類
ディナーになるスープ Dinner in a Bowl 24種類
お楽しみスープ Entertaining Soups   23種類
冷たいスープ・鍋のいらないスープ Cold and Cookless Soups  17種類
ほっそりするスープ Slendersoups    15種類
リサイクルするスープ Recycled Soups 10種類
民族的スープ Folksoups          19種類
スープソン Soupcons


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浅草博徒一代 ~アウトローが見た日本の闇  佐賀純一著

  • Posted by: やまなか
  • 2010-09-14 Tue 23:41:27
  • 書評
ボブ・ディランが、この本の文章から一部を引用し歌詞にした。

浅草一帯に勢力があった博徒、伊地知栄治という男の一代記。この英訳本からディランは引用し「ラヴ・アンド・セフト」の歌詞を作ったらしい。2003年当時、このニュースはウォールストリートジャーナル紙や日本のマスコミを賑わしたとのこと。

syosekiIMG.jpg「若い頃、少々無茶をやりましてね、この年になるまで好き勝手なことをやってきたんです」

伊地知栄治(1906~1979)宇都宮に生まれ、明治末、大正、昭和を生き抜いた73歳のヤクザからの聞き書きをまとめたのが本書。ディランのことは読み終えた後、あとがきを見て初めて知った次第。このことは横において置いて、とにかく面白い。移り行く時代の様子や当時の人々の生活や気持ちが読み取れるし、宇都宮、深川(石炭卸の丁稚奉公)、浅草(ヤクザ家業へ)、足尾銅山(鉱夫の大反乱)、巣鴨刑務所(刑務所仲間の逸話)、北朝鮮(徴兵、中国国境最前線)、駆け落ち放浪、前橋刑務所~網走刑務所(刑務所生活の逸話)、柏(終戦直後の軍隊物資の横領)などなど、場所場所での話も面白い。

『過去カラ来タ未来』 アイザック・アシモフ著

  • Posted by: やまなか
  • 2010-05-20 Thu 23:11:19
  • 書評
1899年に100年後の西暦2000年を夢想したフランス人のイラスト集。
これにアイザック・アシモフ(1920~1992)が1986年に注釈を加えた本。
アシモフが、後世に手渡したイラストを、25年後に見る2010年の私たち。
(アイザック・アシモフとは? Wikipediaへ)

表紙のイラストは「街角のエアーターミナル」
表紙IMGイラストの左端のエアーターミナルには、羽根を折り曲げて出発を待つ飛行物体が2機。
右の1機はどこかから帰って来てターミナルに到着するところ。
どうやって着陸するのか??昆虫のようにだろう。
機首にプロペラが回っているのが見える。黒い服を着た飛行士は機体後方で操縦している。
まるで馬車の御者のようだ。
ライト兄弟が動力飛行に成功したのは、イラストを描いた1899年の4年後の1903年。







未来2IMG次のイラストは教室風景。
右側で書籍を次から次へ「機械」に入れてハンドルを廻している。
どうやら、この「機械」は書籍を電気信号に変換するらしい。
信号化した書籍の内容は、学生達のヘッドホーンに流れている。


このイラストについてのアシモフの1986年の注釈は、あいまいだ。
(引用開始)「こんなことは現在でも無理だし将来も可能性はなさそうだ。(中略)ただ2000年までには(中略)情報の蓄積・分配のためにコンピュータがますます利用されるはずだ。」(引用終わり)
2010年から見ると、Googleだ。

ところで鉄腕アトム。
原作の公式設定では、2003年4月7日がアトムの誕生日ということらしい。
手塚治虫氏が1950年台に着想し、21世紀向けて投げられた物語を
今、2010年の我々は受け取る立場にいる。

アトムもこの『過去カラ来タ未来』についても、
合っている間違っているという、矮小化した問題ではない。

未来までの距離は近くなったのか?



【イラスト一覧】・・・・空と海についてのイラストが断然に多いことが分かる。

SOS!グライダー発進せよ!
ヘリコプターから偵察中
街角のエアー・ターミナル
飛行船の参戦―ウィークポイントはガス袋
いたずらなエンジェル
密輸業者を追跡せよ
青き空、血色のしずく、弾け飛ぶ
飛行機野郎のごひいきカフェ
ハンティングはお好き?
みんな大好き、愉快なレース
のどかな光景―渋滞のない空の旅
未知の土地へ―探検家の乗り物
羽を背負って、いざ仕事!!
旅の乗り物―海外旅行編
いなせなミスター・ポストマン
ある日の飛行機事故
深海にモンスター現る
海底ゲートボール大会?
サカサマ生活
ようこそ、潜水定期船へ
森のお散歩―海底編
鯨のバスと一人乗り海馬
ディナー・パーティーにはピルをどうぞ!
はいからなモデル・キッチン
ボタンを押せば、ハイ出来上り!!
教師より機械の声が響くとき
レディーの秘密―プライベート・エステティックサロン
家事ロボット待望論
自動演奏交響楽団がやって来る
顕微鏡から怪物が!
ラジオでニュースを
ビジネスマンの必携アイテム
機械の織りなす農村風景
スピード・ヒヨコ・メーカー
あこがれの南極旅行
ユカイな高速ボート?
戦闘車はでくのぼう
"快適"移動住宅
"珍獣"!!!"馬"
平和のために

■この書籍は現在でもネット通販サイトで買えるぞ!(宣伝)
『過去カラ来タ未来』 アイザック・アシモフ著 発行所:パーソナルメディア(株)
1988年12月15日発行

ミイラにダンスを踊らせて―メトロポリタン美術館の内幕

  • Posted by: やまなか
  • 2010-05-09 Sun 20:21:52
  • 書評
4560038791.jpgかつてこの美術館の館長になった人間が書いた。
ホーヴィング,トマス【著】〈Hoving,Thomas〉白水社

世界レベルの美術館間同士の競争が前提で
欲しい美術品をどうして手に入れるか?競合美術館に勝て。

サザビーのオークションでの駆け引きや、持ち主個人から直接入手する交渉やら、ミステリーサスペンスです。
事実は小説より奇なり、そのもの。
そしていつもついて回る「贋作」(がんさく)
また、入手の資金調達。財界政界との駆け引き、他の美術館との資金調達競争。
館内同僚キュレーター間の争い葛藤蹴落とし。
美術館、表は静か、裏は壮絶!
面白いですよ。
IMGP6073.jpg


目次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
非常に危険な場所
調査委員会からの電話
行動開始
新館長の震撼
キュレーター
上流社会とありがたいパトロン達
すごいもの
お世辞とごますり
批評家が何だ
二度と目にできないもの
我が心のハーレム
離れ業が要る
めでたい誕生日、めでたい闘い
勝利に酔う
これは芸術ではなく、真実だ
大騒動
nesp1200709833.jpg噂の壺 (→)
贅沢三昧
美の独裁者
ツタンカーメン王
最後の挨拶


原書名:MAKING THE MUMMIES DANCE:Inside the Metropolitan Museum of Art(Hoving,Thomas)

映画『パリ・ルーヴル美術館の秘密』 サイト:http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD4223/
の様子は、物事の反面でしかない。

さらにご関心ある方へ 【著者同じ】
『にせもの美術史』―メトロポリタン美術館長と贋作者たちの頭脳戦 (朝日文庫)
ばか00_
目次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

鑑定家、贋作者、そして贋作をどう語るか
かるはずみな古代
偽装された中世
ルネサンスとバロックのごまかし
ヴィクトリア朝のペテン
贋作の黄金時代―いま!
ある画家との出会い
わが修業時代
本物のプロ
ヴォルフガングを叩きつぶす
有名になった贋作者たち
危険なデッサン集
鑑定ミスの功罪―ギリシャの馬とラ・トゥール
名探偵ソンネンバーグ
ボストン玉座の失敗
ダヴィデのモデル

pic04.jpg宣伝文句
■世界はだまされたがっている!えせギリシャ美術から現代巨匠の贋作まで、欲望と嘘に彩られた「芸術的詐欺」が巻き起こすスキャンダルの数々を、慧眼の鑑定家としても知られる著者が豊かな実体験を交えて語る。あなたは芸術を愛するか、それとも「芸術的詐欺」を愛するか。
■古代ローマでつくられた似非ギリシャ美術から、現代巨匠の贋作まで、欲望と嘘に彩られた「芸術的詐称」が巻き起こしたスキャンダルは数知れない。元メトロポリタン美術館長にして慧眼の鑑定家が語る贋作者たちとの頭脳戦。

また行ってみたい美術館です。ね (宣伝)
IMG_5847_thumb[1]

書籍 『チェンジング・ブルー 気候変動の謎に迫る 』 大河内直彦著

  • Posted by: やまなか
  • 2010-03-30 Tue 22:48:25
  • 書評
0062440.gif
久々の充足感。

帯タイトル:本質を理解したい人へ
~第一線の研究者による、信頼すべき正確な解説書。
しかし、これは同時に第一級の科学ノンフィクションだ。~

その通り、
地球自然環境について、ああだこうだと
いろいろな書籍や、マスコミが
表面的な、あるいは一部分だけからの視点で述べているものが多い。
全体感のなかで
それも現在、学問的に分かっていることを紡いで本質を
素人に伝えてくれる、この本、
お勧めです。

目次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第1章 海をめざせ!
     海の中を降る雪
     海の底を突き刺せ
     泥に刻まれた暗号 
    
第2章 暗号の解読
     古水温を求めて
     古海洋学事始
     酸素同位体温度計
     同位体質量分析の登場
     エミリアーニの古水温計
     海水温をめぐる論争

第3章 失われた巨大氷床を求めて
     消えた巨大氷床
     アイソスタシー 
     上下する海面
     洪水伝説

第4章 周期変動の謎
     気候変動のリズム
     伸び縮みする公転軌道
     首振りする自転軸
     グラグラする自転軸
     ミランコビッチ・フォーシング
     ミランコビッチ理論をめぐる闘い
     気候変動のペースメーカー
     未解決の問題

第5章 気候の成り立ち
     太陽からのエネルギー   
     地球のエネルギーバランス

第6章 悪者登場
     温室効果のからくり
     先駆者アレニウス
     二酸化炭素職人キーリング
     二酸化炭素のゆくえ

第7章 放射性炭素の光と影
      マンハッタン計画
      放射線炭素年代法の黎明期
      落とし穴
      不運な研究者たち

第8章 気候変動のスイッチ
      海洋深を流れる大河
      ストンメルと深層水循環
      ブロッカーとコンベヤーベルト
      最終氷期の深層水循環
      オン・オフ・モデル

第9章 もうひとつの探検
      ダンスガードの夢物語
      白い大地、グリーンランド
      氷の中の秘密基地
      氷に残された気候の記録
      流れる氷床
      さらなる挑戦
      決定版をめざして

第10章 地球最後の秘境へ
      南極のアイスコア研究の幕開け
      地球最果ての地、ボストーク基地
      大気の化石
      埃っぽい氷河期
      さらに古い氷を求めて
      キリマンジャロの雪

第11章 気候が変わるには数十年で十分だ
      短期間に起きた気候変動
      ヤンガー・ドリアス・イベント
      アガシ湖に決壊
      ダンスガード・オシュガー・イベント
      ハインリッヒ・イベント
      短期間の気候変動の原因

第12章 気候変動のクロニクル
      安定した気候へ
      中世温暖期と小氷期
      夏の無い年
      小氷期後から現在、そして未来へ

第13章 気候のからくり
      線形性と非線形性の共存
      ヒステリシス
      気候の屋台骨
      エピローグ



 

漫画雑誌「ガロ」 「つげ義春特集」 昭和43年6月号

  • Posted by: やまなか
  • 2010-03-28 Sun 19:21:36
  • 書評
この6月号は「つげ義春特集」なんですね。
TS3B0446.jpg
今日の朝日新聞読書欄で、
筒井康隆が、この6月号のことを
つげの漫画は、小説ではとても表現できないすばらしい作品だと、
1200字ほどで書いている。

TS3B0447.jpg

で、
この6月号、
1週間前に、近くの古本屋で見つけて買っていた(200円)
ひょっとしたら、既に この号を持っていて、ダブりかも
とも思ったのですが200円ですから買っちゃった。

TS3B0448.jpg

このつげ特集号の巻末には、
2人のつげ評論が掲載されている。
ひとりは、佐藤忠男、
もひとりは、唐十郎。
昭和43年というと、1968年ですからね、
佐藤さんの評論、青臭い。

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 日ごろのアクセス、本当にありがとうございます。気づけば、ブログを始めて8年目に入りました。一夜一話に掲載したい映画、まだまだあります。気の向くまま、その時の気分でやってます。遊び半分じゃなく、「全部遊び」です。

<一話一夜の方針かな>
 1)古今東西の映画を分け隔てなく並べて、気に入った映画を選びます。
     
 2)以前に観た映画でも、もう一度あらためて観てます。むかし感じた印象と大きく異なることも多いからです。

 3)「素」な気持ちで、「映画作品そのもの」に向き合うことが、私の遊びです。
 作品自体が語りかけてくること以外の額縁情報、つまり宣伝文句、その受け売り文章、受賞実績、監督発言、出演俳優がどうしたとか、そして映画評論本やらは、はなから無視して、自分の眼で観るようにしています。

 4)観て気に入らない映画、つまんない映画は、基本掲載しません。
 だから、観たけど掲載しない映画は多いです。巨匠の名作と言われる映画も、気に入らなければ掲載しません。また、名物にうまいモノなし、ということも実感します。

 ただし、まだ観てない映画は、たくさんあります。こんな一夜一話ですが、今後も、見に来てください。   
 美術や音楽、書籍や温泉の記事も増やしたいと思っています。よろしく。  

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