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映画「ジプシーのとき」  監督:エミール・クストリッツァ

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ベルハンと妹、そして祖母とヤクザな叔父
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 物語は、ロマの青年の成長と愛を追いながら、ロマの人々の心情を温かく見つめます。また同時に、彼らの現実を語ります。加えて、映画は物語に喜劇的な味付けをし、時に幻想的空想的なシーンを挿入しています。

 ここは、旧ユーゴスラビアのどこかの街の外れにある、ロマ(ジプシー)の集落。
 主人公の青年ベルハンは、妹と祖母と、ドイツに出稼ぎしていた叔父との四人暮らし。みすぼらしい小屋に住んでいる。
 ベルハンの気質は繊細で少々オクテ。ロマの美しい曲をアコーディオンで上手に演奏する。飼っている七面鳥と話ができる。足が悪い妹ダニラの面倒をよくみている。彼の父親はスロベニア人で、この地に来た軍人だったらしい。母親(祖母の娘)は妹のダニラの出産後に死んだ。
 祖母は病を治す能力(超能力)を持っている。その遺伝子はベルハンにも少し伝わっていて、空缶やスプーンを念力で動かせる。
 近所に住む娘アズラは、言い寄る男たちを払い除け、一途にベルハンが好き。そんな彼女の情熱にほだされて、やがて彼もアズラが好きになって行く。そして、ロマの祭日・エデルレジ(ロマ語)の日に、ふたりは愛を確かめ合った。

 ある日、このロマ集落一の金持ちアーメドが、意気揚々とアメ車に乗ってイタリアから帰って来た。この久々の帰りを村の人々は歓迎し、さっそく彼に金をせびろうとする輩がアメ車にすり寄ってくる。集落はちょっとしたお祭り気分になる。
 そんな折、アメードが我が子を抱きかかえてベルハンの祖母の元にやって来た。子はぐったりしている。医者に診せたが治せないと言われたらしい。祖母は平然としてその子の治療にあたり治してしまった。
2-0 祖母はアメードに対して、この見返りに、ダニラの足の治療を要求した。話はまとまり、アメードはリュブリャナの街(スロベニアの都市)の病院までダニラを連れて行き、彼が入院費用と手術代を負担することとなった。もちろん、ベルハンが同行する。 さて、ここからベルハンの人生が変わって行く。

 病院でアメードはベルハンに言った。「これから俺はミラノへ行く。お前もついて来い、稼がせてやろう。アズラとの結婚には金が要るぞ。」 ベルハンは言われるままにミラノへ付いて行く。着いた場所は、アメード一味がキャンピングトレーラーで野営する空き地、ミラノの外れ。そして彼はアメードの商売の実態を知る。子供たちをミラノの街で物乞いさせ、少女を使って市中やキャンピングトレーラー内で売春させていた。こんなアメードらの商売に、ベルハンは初め抵抗したが、徐々に仕事の手配を覚え、次第に彼らとの共同生活に馴染んで行った。

 そんなある日、アメードが高血圧で倒れる。彼はベルハンにボスの座を譲ると弱々しく言った。勢いづいたベルハンは、ミラノの街をかっ歩し仕事を切りまわした。そんななか、アメードがベルハンに、「アドリア海をフェリーで渡り、直接ボスニアへ行け」と言う。行って、赤ん坊を買って来いと。(アメードは故郷の集落でも子供を買い集めた。育てて物乞いさせるのだ。) 但し、とアメードは釘を刺した。「故郷の集落には近寄るな、赤ん坊の売買がマスコミや警察に知れて監視が厳しくなっているから。」

 だが、ベルハンは自分の集落に立ち寄った。故郷に錦を飾りたかったのだ。それに結婚費用は十分に蓄えていた。しかし、立ち寄って知ったこと、それはベルハンの彼女アズラが妊娠していたこと。あんたの子だと言うが、ベルハンは身に覚えが無い。彼はショックだった。だが、アズラもベルハンの祖母もふたりの結婚を望んだ。急きょ、結婚式が行われた。しかし、ベルハンの心は空虚であった。そして空虚なままに、ベルハンはアズラを連れてミラノに戻って行った。
 そして悲しいことに、ベルハンが自分の集落に立ち寄って知ったことは、まだあった。それは、妹のダニラが病院から帰って来ない事、アメードが建てることを約束していたベルハンのための家が建てられていない事。アメードは騙していたのであった。

3-0_201601101812451b9.png ミラノに帰ったベルハンはアメードを糾弾した。ちょうどその時、ダニラが産気づいた。そして、男の子を生んだダニラは意識が戻らず死んでしまう。それからというもの、ベルハンはひとり閉じこもり自暴自棄な日々を送っていた。その間、アメードらは、拠点をローマに移して、相変わらずの商売を続けていた。

 時が経ち、やがて自分を取り戻したベルハンは、アメードの行方を追いローマへと向かった。そして、奇しくも彼は、ローマの街角で物乞いする妹のダニラを発見。ダニラはさっそくアメードの居場所を案内する。そこで、ダニラはベルハンの息子だという男の子を紹介した。その子はベルハンに似ていた。そして、憎っくきアメードは、まさに彼自身の結婚式の最中であった。ロマの音楽に乗せて、人々は楽しく踊っている。
 式場に潜入したベルハンは、様子をうかがいながら、花婿アメードの胸めがけ、テーブルのホークを念力で勢いよく飛ばしたのであった。
 ベルハンは、ダニラと自分の息子は救出できたが、自分は背後から銃で撃たれる。撃たれて逃げて、橋の上から下を走り抜ける貨車の上に飛び降りる。そして、間もなく息絶える。

 悲しい話だが、観ている最中には、あまりそう思わない。それは、エミール・クストリッツァ監督の持ち前の魔術のせいだろう。映画中、ふんだんにロマ・ミュージックが聴けるのも嬉しい。
 ちなみに、ベルハンらが住んだ集落の場所のことだが、映画に出てくる言語がセルビア・クロアチア語である事から、クロアチアかセルビアなんだろう。(下記地図参照) もちろん、映画にはその他にロマ語にイタリア語も出て来る(らしい。)
 
 本作は監督の三作目。このあと、「アリゾナ・ドリーム」(1992)で転げるが、本作「ジプシーのとき」で付けたつぼみが「アンダーグラウンド」 (1995)、「黒猫・白猫」((1998)で見事に開花する。
 その他の作品では、これまでに「ウェディング・ベルを鳴らせ!」を記事で取り上げました。それぞれ題名をクリックしてお読み下さい。
 
オリジナル・タイトル:Dom za Vesania
英語タイトル:TIME OF THE GYPSIES
監督:エミール・クストリッツァ|旧・ユーゴスラビア|1989年|126分|
脚本:エミール・クストリッツァ、ゴルダン・ミヒッチ|
撮影:ヴィルコ・フィラチ|音楽:ゴラン・ブレゴヴィチ|
出演:ベルハン(ダヴォール・ドゥイモヴィッチ)|アーメド(ボラ・トドロヴィッチ)|ベルハンの祖母(リュビシャ・アジョヴィッチ)|ベルハンの叔父メルジャン(Hashija Hasimovic)|恋人アズラ(Sinolicka Trpkova)|ほか


幻想的空想的なシーンが、映画のあちこちに仕掛けられている。
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ユーゴスラビア社会主義連邦共和国とは、
7つの国境と(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア)
6つの共和国と(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)
5つの民族と(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)
4つの言語と(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語)
3つの宗教と(正教、カトリック、イスラム教)
2つの文字を持つ(ラテン文字、キリル文字)
1つの連邦国家
といわれるほどの多様性を内包した国家であった。
ただし、ロマの人々を忘れてはならない。
地図
















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やまなか

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 日ごろのアクセス、本当にありがとうございます。気づけば、ブログを始めて8年目に入りました。一夜一話に掲載したい映画、まだまだあります。気の向くまま、その時の気分でやってます。遊び半分じゃなく、「全部遊び」です。

<一話一夜の方針かな>
 1)古今東西の映画を分け隔てなく並べて、気に入った映画を選びます。
     
 2)以前に観た映画でも、もう一度あらためて観てます。むかし感じた印象と大きく異なることも多いからです。

 3)「素」な気持ちで、「映画作品そのもの」に向き合うことが、私の遊びです。
 作品自体が語りかけてくること以外の額縁情報、つまり宣伝文句、その受け売り文章、受賞実績、監督発言、出演俳優がどうしたとか、そして映画評論本やらは、はなから無視して、自分の眼で観るようにしています。

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