Home > 書評 > “ ジャズはどこから来たのか ” ・・・「上海オーケストラ物語」、「日本のジャズ史 - 戦前戦後」、「スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」、「昭和のバンスキングたち - ジャズ・港・放蕩」・・・最近、読んだ本。

“ ジャズはどこから来たのか ” ・・・「上海オーケストラ物語」、「日本のジャズ史 - 戦前戦後」、「スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」、「昭和のバンスキングたち - ジャズ・港・放蕩」・・・最近、読んだ本。

  • Posted by: やまなか
  • 2016-12-22 Thu 06:00:00
  • 書評
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 ジャズって、一体どこから日本にやって来たんだろうか?
 それは、ペリーの黒船が西の海からやって来たように、実はジャズは上海からやって来た。
 
06.png 「上海オーケストラ物語 - 西洋人音楽家たちの夢」を読むと、かつて上海はヨーロッパ人の街だったことが分かる。イギリス人やフランス人は、ヨーロッパのライフスタイルのすべてを上海租界に持ち込んで、祖国にいるのと同様の暮らしを求めた。
 だから、ベートーヴェンやモーツァルトのソナタを演奏するオーケストラ楽団を欲しい。しかし、プロの演奏者を祖国から招くには金がかかる。
 そこで目を着けたのがフィリピン。フィリピンは、1571年から300年以上もスペインの統治が続き、西洋音階が民衆レベルまで浸透していた。西欧楽器の得意な人材が豊富だった。(日本は鎖国していた) 
 よって、オケ要員として、多くのフィリピン人演奏者が上海にやって来た。(本書はクラシック演奏の動向を中心とした話。詳細は下記目次参照)
 ですが、ここで注目なのは、1898年(明治31年)からフィリピンは、アメリカが統治し始める。そうすると、1890年(明治23年)ころアメリカ(ニューオリンズ)で発祥したジャズが急速にフィリピン国内で普及し出す。(もしアメリカがフィリピン統治をしなかったら、ジャズが東アジアに来るのはもっと遅れたでしょう)
 だから、フィリピン人演奏者の中には、クラシックもジャズも演奏できる人材がいた。そして上海租界では、娯楽の選択肢はクラシック演奏会だけではなくなって行った。
 オーケストラによるティー・コンサートでは、ポピュラーミュージックが演奏されたあと、一部のオケ団員によるジャズバンドが登場し、会場はダンスパーティーと化した。さらには、ダンスホールやキャバレーではジャズが演奏されていた。また、フィリピン人に加えて、ロシア革命を逃れたロシア人の中からロシア人ジャズバンドが現れ、フィリピン人バンドと競合するようになる。
 20世紀前半、大型客船が寄港する都市では、どこもフィリピン人音楽家がいて、ジャズは、彼らによってマニラから上海、香港、神戸、横浜へと広がった。


03.png 「日本のジャズ史 - 戦前戦後」によると、ジャズの起源は、『「1890年(明治23年)ころ、ニューオリンズの遊郭街に現れた黒人ブラスバンドが演奏した演奏スタイルが、1916年(大正5年)ころから、シカゴで流行し、いつしか、それをジャズと呼ぶようになった」と言われている』、とある。(ちょうどアメリカがフィリピンを統治し始めたころだ。)
 上海租界地のクラブでは、アメリカの一流ジャズメンが大勢来て、本場のジャズが店内に響き渡っていたらしい。フィリピンや日本のジャズメンは、技術と感覚を学び取ろうと、そんなクラブに潜り込んだ。上海のクラブで何かしらの仕事が出来た者は、「上海帰りの誰それ」と言われ、日本のジャズ仲間では一段とハクがついた。(それ以前の日本のジャズについて(日本のジャズの原点)は、第一章の「ジャズを運んだ北米航路(1912年出航)」に詳しいが、その形態は船上のバンドで、譜面・楽器の入手程度であった。)
 初めて上海に渡った日本人ジャズメン・斉藤の話(大正10年(1921))。斉藤はトランペット奏者で、上海に着いて入った楽団メンバーは、黒人、フィリピン人、白系ロシア人。また斉藤はフランス人楽士からトランペットの手ほどきを受けている。人種のるつぼ。
 上海へ行った連中はジャズの勉強のためが多かったらしいが一方、満洲へ出稼ぎに行った連中は徹底的に金儲けのためだった。その満洲での昭和10年(1935年)ごろの話。満洲・奉天市のバンドのひとつには、キニーというハワイ人ピアニストがいてアメリカ軍のスパイだったらしいという逸話も面白い。(太平洋戦争前の話) その後、日本は戦争に突入し、ジャズは敵性音楽として追放される。

 しかし、その頃から敵国アメリカのニューヨーク(ハーレム)では、ビ・バップが盛んに演奏されるようになっていた。
 そして戦後すぐの頃。本国から進駐してきた新兵たち(特に黒人兵)は、米軍クラブで演奏している日本人ジャズメンに対し、「ビ・バップをやれ」とさかんに注文をつけたらしい。当時、WVTR(占領軍向けラジオ放送)から連日流れてくるビ・バップを、日本人ジャズメン達はさっぱり理解できず、ただ不思議そうに聴いていたらしい。この間、戦争という鎖国で、日本はビ・バップを知らずにいたわけだ。
 南里文雄とホットペッパーズというジャズバンドが昭和22年に吹き込んだレコードの話。著者がいま聴くと、リフは一応ビ・バップになっているが、バンドメンバーが戦前派ベテラン揃いであるがために、ソロになるとディキシー(ランド・ジャズ)になってしまっていると言う。とは言え、この演奏の一部がビ・バップになっているのは、実はGHQ所属のひとりの米軍兵のお蔭であった。(それは下記の本に書かれています)
 新しいジャズ(ビ・バップ)は、今度は東から進駐軍とともにやって来た。
 モダン・ジャズの起源はこの「ビ・バップ」にある。

 
05.png 「スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」の帯に、焦土の中、日本のジャズメンから、『「神様」と称えられた日系二世』 とある。
 上記の南里が当時、ビ・バップという新しいジャズに悩み、どうしたらモダンな感じが出せるか、ジミー荒木に相談し、ジミーは譜面を起こし、アドリブ・フレーズまで書いてあげたらしい。
 ジミーを慕って接した日本人ジャズマンは、渡辺貞夫、北村栄治、ジョージ川口、南里文雄、宮間利之、フランキー堺、評論家・油井正一などなど多数にのぼる。
 ジミーがジャズを覚えたのは、日系アメリカ人強制収容所の中だった。そこはパールハーバー以降、敵性国人の烙印を押された日系人を隔離する場所。
 そして彼は、軍務を退役したのち、人生の後半からは日本文学の研究者となるのです。
 ジミーの人生は、日系二世(米国国籍)、排日運動、強制収容、米国陸軍兵、敵国日本へGHQ所属のひとりとして来日、日本文学への憧れ、というように、日/米が幾重にも捻じれる中の人生であった。
 (本書は、ジャズだけではなく、総じてアメリカ国内の日系アメリカ人の戦前戦後を紹介する本です。目次は下記)
 
 ジャズは、各国の帝国主義、侵略戦争といった世界的な大きな波に乗って各地に拡がっていきました。



10_201612161241369d0.png 「昭和のバンスキングたち - ジャズ・港・放蕩」、ああ、この本をすっかり忘れていた。
 昭和初期、ジャズは神戸と横浜に始まる。秩父丸、龍田丸といった船内にダンスホールを持った豪華客船が、ロスアンジェルスやサンフランシスコから1カ月遅れの「本場」の楽譜を運んできた。(中略) 
 こうして手にした楽譜を、勉強なんか嫌いな港町のやさぐれたちが、我流で演奏し始めた。一見、無味乾燥な楽譜から、なんと自由で人間を駄目にしてしまいそうな音楽が飛び出して来るのだろう。(中略) やがて、彼らは資産家の物好きなおやじの蓄音機で、「本場」の演奏に出会うことになる。(中略) そして、港町のやさぐれたちは打ちのめされる。
 同じ楽譜で、海のかなたの人間たちは、天上の音楽を奏でている! 「こいつは駄目だ。手取り足取り教えてもらわない限り、この音楽の神髄にふれられそうもない。」
 だが、セントルイスはあまりに遠い。埠頭にたたずみ落ち込んで海の彼方を眺めるやさぐれたちに、耳寄りな話が、舞い込んだ。
 「上海のフランス租界や英米租界に『本場』のミュージシャンが出稼ぎに来ているぞ。」 こいつは素敵だ。上海なら長崎から一昼夜、バイトの金で行ける。
 昭和初年、港町のやさぐれたちは、次から次へと上海に渡った。(以上本書10ページから引用)

 著者は劇作家。1980年、串田和美が演出した「上海バンスキング」は長く再演を繰り返し、その後、串田、吉田日出子のオンシアター自由劇場に脚本を提供した。(映画はつまらなかったです)
 著者は、「上海バンスキング」の脚本を書くため多くの戦前ジャズメンに取材した。本書は、その取材をもとにして書かれている。
 この本、内容が濃く、今後何時か、他のテーマ枠でも取り上げたい、と思います。
 

「上海オーケストラ物語 - 西洋人音楽家たちの夢」  榎本 泰子 (著) 春秋社 (2006)
第1章:上海に生まれた「西洋」 (1845年~)|第2章:パブリックバンドの誕生(1879年~)|第3章:ドイツ人音楽家の運命(1906年~)|第4章:名指揮者の登場(1919年~)|第5章:多国籍都市のシンフォニー(1929年~)|エピローグ:日本人と「上海交響楽団」(1942~45年)|

「日本のジャズ史 - 戦前戦後」  内田 晃一 (著) スイング・ジャーナル社 (1976)
第一章 日本のジャズ草創期(大正元年[1912年] ~)|第二章 大坂から東京へ(大正~昭和初期)|第三章 大陸雄飛・レコード流行歌(大正~昭和初期)|第四章 ダンス・ホールの時代(昭和2~15年)|第五章 戦時下のジャズ(昭和16~20年)|第六章 戦後ジャズの開幕(昭和20年~)|第七章 空前のジャズ・ブーム(昭和26年~)|第八章 渡辺貞夫と日本のジャズ(~昭和45年)|第九章 世界に飛躍する日本のジャズ|第十章 ミュージシャンズ・ユニオン|

「スウィング・ジャパン - 日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」  秋尾 沙戸子 (著) 新潮社 (2012)
第1章 鉄柵の中の「日本人村」|第2章 ハリウッドへの道|第3章 米陸軍日本語学校|第4章 オキュパイド・ジャパン|第5章 ジャズと軍務と文学と|第6章 うずき始めた傷口|

「昭和のバンスキングたち - ジャズ・港・放蕩」  斎藤 憐 (著) ミュージック・マガジン (1983)
1)上海ブルーバードはもうない 大川幸一:アルト・サックス 魔都へ渡った不良たち、銃剣とクラリネット|2)女だますもフォービート ジミー原田:ドラムス|3)ジャズと世界のダイナたち ディック・ミネ:ギター、ボーカル 遊びも過ぎれば芸になり、世界の町に女あり、黒船・鬼畜・ハンバーグ|4)港町に混血児は生まれる レイモンド・コンデ:アルト・サックス ジャズは船に乗って、日本を愛した三兄弟|5)世界は日の出を待っていた フランシスコ・キーコ:ピアノ|6)コチラ・ラヂオ・トキオ 森山久:トランペット、ボーカル 音楽は国境線を越えるか、ラジオが武器であった日々|7)国境を越えたバンスクイーン ベティ稲田:ボーカル ロスで育って満洲で泣いた、It's a story of my life|8)友のペットは俺のもの 東松二郎:クラリネット アイム・フォロウィング・ユー|9)夕日とトロンボーン 周東勇:トロンボーン ひろめ屋からジャズマンへ、退廃と革命が同居した町|
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 1)古今東西の映画を分け隔てなく並べて、気に入った映画を選びます。
     
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 3)「素」な気持ちで、「映画作品そのもの」に向き合うことが、私の遊びです。
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