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アニメ 『アクメッド王子の冒険』 1926

b97bb855.gif監督:ロッテ・ライニガー
(1899~1981)ドイツ人

1926年当時は、大いに驚異だったんだろう。 
しかし、今観ると、うーん普通です。
「あまりの美しさに・・・・」という売り文句、ちょっと純粋すぎ?いや失礼。





そんなことよりも、バリ島の影絵ようなタッチや、アニメシーンの右上のやしの林を見てシュピース(下記)を直感した。



で、
ロッテ・ライニガーに関心を持っていく方がズーと面白い。
まだサイレント映画の時代に本作長編アニメを完成(当人27歳)これは凄い!
同じくドイツ映画、『メトロポリス』も1926年である。 監督:フリッツ・ラング(1890~1976)行け行けドイツ。
ディズニーの『白雪姫』は本作の11年後らしいから、時代の最先端であった。

met6.jpg
                                             『メトロポリス』 


さらにロッテ・ライニガーと同年代人、ヴァルター・シュピース(1895~1942)
本業は画家だが、バリ芸術の礎を築き1930年代バリ島におけるバリ・ルネッサンスの中心人物。
今日の観光ショーのケチャやチャロナラン劇をバリ人とともに創作した。
1920年(25歳)このころサイレント映画監督フリードリッヒ・ムルナウ(1888~1931)と出会い美術顧問の肩書きで映画製作にも参加。1920年代末にはバリのガムラン音楽を録音も。
チャップリンにも愛され本人もバリ観光をしている。

images.jpg←ヴァルター・シュピースの絵





wayang03.jpg 
                                        バリと言えば影絵




obj199705822s.jpg ピクチャ 2
123456858.jpg

さらに、谷中安規(1897~1946)
大正時代から昭和にかけて活動した版画家だ。





まずは、かれの版画を見て欲しい、私の大好きな版画家。





1929年日本でも『アクメッド王子の冒険』が上映されたらしい。ひょっとしたら、谷中も観ているかもしれない。
シネマ好きな谷中はこんな上映中の風景版画が数枚ある(↓)映画館IMG









『バリ島芸術をつくった男~ヴァルター・シュピースの魔術的人生 』 伊藤 俊治著(平凡社新書)

バリ島のオランダ植民地時代背景より以下、部分引用させていただきます。

引用開始)1908 年には、最後に残ったクルンクン王国を滅ぼし、全土を植民地とするに至った。しかし、この際にバリ島の王侯貴族らがみせたププタン(無抵抗の大量自決)によってオランダは国際的な非難を浴びることとなり、オランダ植民地政府は現地伝統文化を保全する方針を打ち出すことになった。

この伝統文化保護政策にとって大きな影響を与えたのが、1917年のバリ島南部大地震以降の厄災である。この地震による死者・負傷者はそれぞれ1000名を上回り、翌1918年には世界的に流行したインフルエンザがバリにも波及、さらに1919年には南部バリでネズミが大量発生し穀物の収穫量が激減した。こうした災難を当時のバリの人びとは、当時の政治的・社会的な混乱の中で神々に対する儀礼をおざなりにしていたことに対する神の怒りとして捉えた[14]。そこで、清浄化のために、バロンの練り歩きやサンヒャン・ドゥダリ(憑依舞踊)が盛んに行われるようになり、呪術的な儀礼、演劇活動がバリ中で活性化することになった。ところが、こうした一時的な現象を、オランダ人たちはバリの伝統文化として理解し表象し[15]、震災復興とともに保護を進めたのである。とりわけ復興計画の中心人物だった建築家のモーエンは、バリの真正な伝統文化の存在を信じ、地震前のバリが中国文化やヨーロッパ文化を移入していたことを問題視して、こうした「あやまち」を復興の過程で排除することを目指したが、結局のところ、彼もまたオリエンタリズムの枠組みから逃れることはできなかったとの評価がされている[16]。

以上のようなオランダの文化保護政策を背景として、バリ島は「最後の楽園」のキャッチ・コピーならびに「上半身裸体の婦女」のイメージとともに欧米に紹介され[17]、とりわけグレゴール・クラウゼの写真集『バリ島』に魅せられた欧米の芸術家が来島するようになった(1924年にバタビア - シガラジャ間の定期船の就航が始まっている)。たとえば、1932年にバリを訪れたチャールズ・チャップリンは、「バリ行きを決めたのは(兄の)シドニーだった。この島はまだ文明の手が及んでおらず、島の美しいおんなたちは胸もあらわだというのだ。こんな話が僕の興味をかきたてた」[18]と記している(なお、この間の観光客数は、1920年代には年間1,200 - 3,000人ほどであったが、1930年代中盤には年間3万人に達したとする統計も見られる[19])。
芸術の村ウブド

こうして、彼ら欧米人の影響を受け、1930年代のバリは「バリ・ルネッサンス」の時代を迎え、現在の観光の目玉である音楽(ガムラン等)、舞踏(レゴン、ケチャ等)、絵画の様式が確立することとなった。この中心にいたのは、ウブドの領主であるチョコルダ・スカワティ一族に招待されたドイツ人の画家で音楽家であるヴァルター・シュピースである。(引用終わり)

ここまで見渡すと、アニメ 『アクメッド王子の冒険』 単なるアニメとして見るより、ずーと立体的に分かってくる。
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