最近読んだ本から、ピックアップ。 「江戸の音」   「ナツコ  沖縄密貿易の女王」   「ハウス・オブ・ヤマナカ  東洋の至宝を欧米に売った美術商」

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  最近読んだ本から、三冊ピックアップしてみました。


「江戸の音」  田中優子・著  河出文庫:1997年発行 (単行本:河出書房新社 1988年発行)

  冒頭からパンチを食らった。雅楽のヨーロッパ公演の時、演奏が始まっているのに、西欧の観客はそれに気づかず、ざわついている。「音」と「音楽」の区分が、少なくとも西欧人には、はっきりしないのが雅楽であり江戸の音曲だ、という。
  著者と武満徹との対談の中で、武満が言う。「日本の音楽で、他国にない音楽の享受の仕方がある。誰とも知れぬ人の三味線の爪弾きや口ずさむ唄が遠くから聴こえてくる、その遠音(とおね)を楽しむ、遠音が一番きれいだという考え方がある。」
  ことほど左様に、この本は、いたるところで音や音楽に対する感性をくすぐる素晴らしい本だ。以下の目次を見ると、この本の方向性が読み取れるでしょう。
  そして、時空を超えて一気に物事を見抜き、掌握する著者の感性と直観力に感嘆する。なるほど!と、胸がすく思いを与えてくれる人だ。私、ファンです。著者は、2014年4月、法政大学総長に就任。
  
<目次 >
・はじめに
・第1章 三味線と越境するモダニズム
  音楽と音の境界/緋色と三味の音が空間をつくりかえる/音と所作のシンボリズム/音が登場人物もかねる/物語をいろどる音/深層の流れを音楽が支配する/女性を通して三味線は俗の楽器になった/音色に重心のある音楽/状況から切り離すことができない音/雑音性の豊かな音楽/尺八のサワリは竹を通る風の音/日本人の音の受容/

・第2章 歌舞伎または夢の群舞
0中  江戸の絵に響く祭の音/土俗の踊りが舞台に上がるまで/歌舞伎踊の発生/夢のような群舞の登場/三味線と歌舞伎の結合/淫なるものが三味線の基本となる/色と音と香りの交感/三味線のエロティシズム/三味線のもつ遊びと日常性/北京の街に京劇の音が流れる/胡弓とヴァイオリン/京劇と歌舞伎/芝居もサーカスも超えた演劇/音楽とそれを聴く状況/刻々と変化する音楽/流れと変化の日本論/西洋音楽の理論ではとらえられないもの/流体の変化のように特異な構成/

・第3章 「対論 = 武満徹」江戸音曲の広がり
  日本の楽器は意図的に不自由にできている/驚きべき多様な変化/領界を確定できない江戸の文化/文化全般に広がるひとつの発想/江戸文化の開放系/崩れと緊張の拮抗状態/ネットワークとしての「連」の性格/自己がないことを前提とした関係/反創造性の文化/アジアと日本/サワリにみる独自の雑音志向/雑音性を排除するのが文化の趨勢/中国の楽器は西洋に近い/破格の力が働くための機構/三者それぞれのイニシアティブ/俳諧の方法、座の力/変化、動きが風雅の種/「間」のダイナミズム/仏教伝来の時間観/遠音を楽しむ/始めも終わりもない形式/音階にこだわらない音楽/邦楽に固有の合理化/音階ではなく音色/日本的なるものとは何か/日本を媒介にしてヨーロッパを相対化する/関係を解く学問/「日本」を説明することを拒否する/

・第4章 伝播と涵養、花開く技法
  演歌は半島から渡ってきた?/東アジアを見据える目/江戸音曲は日常から追放された/文化が熟成するための時間/日常を峻拒する座敷の音色/明澄な絶望感を歌う/”ずらし””きしみ”のアクチュアリティ/言葉で言えぬことを音に託す/光源氏の音楽論/無音の状況を音で表す/盲人の音楽/「ニジリ」の技法/「音遣い」による進行/耳でとらえられぬ音の高さ/錯覚を利用した技法/音の単位とは何か/ジャンルごとにつくりかえられた楽器/不思議な声と三味線の関係/変化に富んだ感情表現の決まり/酒酔い、泣きの三味線---実写の技法/江戸三百年が涵養したもの/演歌と三味線音楽/三味線音楽は楽器とともに入って来たものではない/なぜ、蛇が猫になったか/今も残る三味線音楽の用語/琵琶法師がつくった二つの流れ/最初に詞があった/音曲と文芸の関係/「ますらをぶり」にみる人間の理想像/「調べ」にこめられたもの/熱狂的に迎えられた浄瑠璃の世界/理を超えた情感を音にゆだねる/底知れぬ東アジアの音楽/
・文庫版に寄せて
  この本に出てくる河鍋暁斎の絵に添えられた一句。
  「命ひとつの この世の憂い いずれそれさえ 無いあの世」

「ナツコ ― 沖縄密貿易の女王」  奥野修司 ・著  文春文庫:2007年発行 (単行本:文藝春秋 2005年発行)

  当時、ウチナンチュウの誰からも「女親分」と呼ばれた沖縄密貿易の女王、金城夏子(1915-1954)の、才覚と度胸の生きざまを追い、12年かけて取材した、ボーダーレスな女のノンフィクション。 労作!! 沖縄の中でさえ埋もれゆく事実を発掘した。
  導入部では、糸満出身の夏子の、戦前の生活を語る。結婚してフィリピンで生活し、後に糸満に戻り石垣島へ転居。疎開で台湾へ。夫の戦死後、石垣島に戻る。子供は娘二人。
  以降は、小さな中古漁船を手に入れて終戦直後から始めた密貿易を語る。沖縄の島々を拠点に、台湾、香港など東アジア各地と神戸、大阪、博多、和歌山の港を駆け巡る様を丹念に追う。夏子の鋭い機転と大胆な実行力が、商いの規模を確実に拡大していく。合わせて、めったに会えない娘達への愛情も語られる。38歳で他界。
ナツコ 70  夏子の時代背景は、戦禍を抜け出し戦後を生きようとする1946年から1951年の6年間。この6年間を当時のウチナンチュウは、「ケーキ(景気)時代」と呼ぶそうな。それは、砂浜にある無数の薬きょうや、米軍倉庫からのあらゆる盗品資材(ドラム缶のガソリン、食料、医薬品)を元手に、人々がこぞって密貿易に関わった時代。
  なにしろ、ワイルドで、すごい。こんな女性がいたことを知っておきたい。

<目次>
章 五十年目の追憶
第1章 黄金の海に浮かぶ島○○        第7章 本部十人組の頭領
第2章 ヤマトへ○○○○○○○○○○○○○○○○○○  第8章 夏子逮捕
第3章 小さな商人○○○○○○○○○○○○○○○○  第9章 破船
第4章 華僑のパートナー○○○○○○○○○○○○○第10章 夢の途上
第5章 八重山の「母」 ○○○○○○○○○○○○○○11章 娘の回想
第6章 香港商売

  夏子が言った。
  「あんたの目の前にあるのはなんだ? ただの海じゃないよ。
   海の向こうには黄金があるさ。さあ、黄金の海を渡りなさい。」
「ハウス・オブ・ヤマナカ ― 東洋の至宝を欧米に売った美術商」  朽木ゆり子・著  新潮社:2011年発行

表4  ずっと以前、ニューヨークのメトロポリタン美術館に初めて足を踏み入れた折に感じたことは、シーンと静かな館内に建ち並ぶ 人の背丈よりずっと大きな仏像や観音像や、絵画の数々。それらは、どう見ても、大きな寺院の本堂にあってしかるべきものだ。日本の重要な美術品が、なぜ海外にあるのか、廃仏毀釈はこれほどのものであったのか であった。
  この本は、江戸末期の19世紀後半~20世紀半ばまでの、日米関係や東アジア政治情勢に大きく揺さぶられた美術貿易商・ヤマナカ商会の飛躍と衰退のノンフィクション。決定的だったのは、敗戦時アメリカによる資産没収だった。
  第二次世界大戦前までに、東アジア美術コレクションを築いた、ロックフェラーはじめとする欧米の個人コレクターと数々の美術館。その皆が、ヤマナカ商会の客であった。
  世界のヤマナカとして欧米では有名でありアメリカやヨーロッパに幾つもの店を出していたが、その活動のほとんどが海外であるために、日本では一般的には知られていなかった。
  日本の美術や東アジアの美術が、どう西欧に買い取られていったか、またその世界的時代背景が浮かび上がる。

<目次 >
・序章 琳派屏風の謎
・第1部 古美術商、大阪から世界へ
  「世界の山中」はなぜ消えたか/アメリカの美術ブームと日本美術品/ニューヨーク進出/ニューヨークからボストンへ/

・第2部 「世界の山中」の繁栄
  ロンドン支店開設へ/フリーアと美術商たち/日本美術から中国美術へ/ロックフェラー家と五番街進出/華やかな二〇年代、そして世界恐慌へ/戦争直前の文化外交と定次郎の死/

・第3部 山中商会の「解体」
  関税法違反捜査とロンドン支店の閉鎖/日米開戦直前の決定/開戦、財務省ライセンス下の営業/敵国資産管理人局による清算作業/閉店と最後の競売/第二次世界大戦の山中商会/
・終 章 如来座像頭部

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やまなか
Posted byやまなか

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