映画「ドイツ零年」  監督:ロベルト・ロッセリーニ

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 ストーリーを追いかける前に、まず、崩壊したベルリンの街を見て欲しい。
 どの建物も爆弾と戦火で焼け崩れ、道にはレンガが瓦礫の山になっている。これが1947-48年、ロケ隊が撮影したベルリンの街である。

1-0_20150722204901d14.jpg  主人公の少年エドムントの家族は、壊れかかった廃墟のようなアパートに住んでいる。彼は賢い子だ。利に聡い。世間をうまく立ち回れる子だった。
  父親は、第一次大戦の元兵士で、病と栄養失調でベッドに伏せっている。それを妻が面倒をみている。薬などはない。
2-0_20150722210033d73.jpg  エドムントには歳の離れた兄姉がいる。兄は、ドイツの多くの青年がそうであったようにナチ党員であった。だが、父親はそんな長男を、実はよく思っていなかった。そして終戦。
  いま、元ナチの兄は、ナチ追放のために実施されている個別審査に怯えて、一歩も外に出ようとしない。(連合軍は、全ナチ党員を対象に個別審査を実施し重要な戦犯該当者を洗い出していた)
  姉は兄に、出頭して審査をなぜ済ませてしまわないのかと詰問し、早くことを済ませ、外に出て働いてほしいと強く言う。
  そんなことで、結局この一家の稼ぎは、姉がキャバレーで働いてなんとかしている。しかし、これだけで一家五人は食っていけない。スープの具さえ、こと欠くことが多い。売れるものは売ってしまった。家主は、家賃が払えぬこの一家を追い出したい。

  この状況を見兼ねて、エドムントが小銭を稼ぎだした。街で金をだまし取る戦災孤児のグループに加わったり、エドムントが戦時中、小学校に通っていた頃の教師と出会い、小遣い稼ぎをさせてもらう。

  そんなある日、父親の容体が悪化する。かかりつけ医の伝手でなんとか満員の病院に入れた。院内では三食が出る。(病院食は豪華だった。) 
  やがて父親の容体は快復しだし、退院の運び。しかし帰宅すれば、また口数がひとり分増える。でも帰宅するしかない。
  エドムントは病院で、ある薬瓶を盗んだ。それは父親に飲ませるため。劇薬であった。そして父親は死んだ。
  稼ぎの無い老人はいなくなった方がいい、そんな風なことをエドムントは、再会した教師から言われていた。それは教師の軽い繰り言だったのかもしれない。だが、エドムントは真に受けた。
  父を愛しているはずのエドムントがなぜに、こんなことをしてしまったのか。教師の言う事に絶対服従という戦時中の教えが、そうさせたのか? 家族の心に潜む思いがそうさせたのか? あるいは、生死を分けた戦争被害による心的外傷後ストレス障害、なのか? はたまた今日を生きる生存競争のきしみがもたらすものか? どうであれ、彼の心は思いのほか蝕まれていた。
  棺もない、葬儀と言えない葬儀が準備され、遺体がアパートから運び出される。その様子をエドムントは向かいのビルから隠れて見下ろしている。そして、父を見送ったのち、エドムントはビルから身を投げた。


オリジナル・タイトル:Germania anno zero
英語タイトル:GERMANY YEAR ZERO
監督・脚本:ロベルト・ロッセリーニ|イタリア|1948年|78分|
脚色・台詞:ロベルト・ロッセリーニ、カルロ・リッツァーニ、マックス・コルペット|
撮影:ロベール・ジュイヤール|
出演:エドムント(エドムント・メシュケ)|エドムントの父(エルンスト・ピットシャウ)|姉エヴァ(インゲトラウド・ヒンツ)|兄カール=ハインツ(フランツ=オットー・クリューガー)|ほか

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