“1970年代の日本のロック、フォークを振り返る”をテーマにして読んだ本。「70年代シティ・ポップ・クロニクル」「ライブハウス「ロフト」青春記」「ライブハウス文化論」

上
 1970年代初頭に大きく台頭してきた、エポックメーキングな「’70年代の日本のロック、フォーク」。
 思うに、あれは一種の祭りであった。あの祭りは、演奏者と熱心な観客とが一体化できた「場」であり、かつ暗黙のうちに、何らかの共同作業をした場であった。幻想だったろうか? 
 振り返ると、1970年代のロック・フォークは、あのバブルの頂点(峠)の向こう側。そして、1960年代からの政治の波が、足元で引いて行く浜辺にあった。

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「70年代シティ・ポップ・クロニクル」  
  萩原健太 (著)  (ele-king books) Pヴァイン 2015年


 クロニクルとは年代記のこと。つまり、1970年代の日本のロック、フォークを語る本。名盤としてイチオシのアルバム15枚(下記目次)を紹介しながら、著者は当時を語る。
 かつ、各アルバムごとに、関連するミュージシャンのアルバムが数枚紹介されていて、結果、15枚+86枚の合計101枚のアルバムで1970年代の日本語ロックとフォークを、おおよそ総覧できる。
 当時を懐かしむも良し、新たな発見をするも良し。良質な音楽であったことに間違いはない!

【目次】
まえがき|「風街ろまん」前史|風街ろまん・・はっぴいえんど|大瀧詠一・・大瀧詠一|摩天楼のヒロイン・・南佳孝|扉の冬・・吉田美奈子|Barbecue・・ブレッド&バター|久保田麻琴Ⅱ~サンセット・ギャング・・久保田麻琴|MISSLIM・・荒井由実|黒船・・サディスティック・ミカ・バンド|HORO・・小坂忠|SONGS・・シュガーベイブ|バンドワゴン・・鈴木茂|センチメンタル・シティ・ロマンス・・センチメンタル・シティ・ロマンス|火の玉ボーイ・・鈴木慶一とムーンライダーズ|泰安洋行・・細野晴臣|熱い胸さわぎ・・サザン・オールスターズ|あとがき|

20.png10_20150930231426cd7.png◆「70年代シティ・ポップ・クロニクル」が紹介する中から、好きなバンド2つ。
<はっぴいえんど>   
 1stアルバム「はっぴいえんど」(1970年URC)と、2ndアルバム「風街ろまん」 (1971年URC)は、道を教えてくれました。右はURCレコードによるレコードリストです。はっぴいえんどの当時の立ち位置が分かります。クリックして拡大できます→
 加えて、細野晴臣の「HOSONO HOUSE」(1973年)と、大瀧詠一の1stソロ・アルバム「大瀧詠一」(1972年)が強烈であった。
 1973年の解散コンサートは行きました。あっという間に、はっぴいえんどというバンドは、なくなりました。
<はちみつぱい>
 鈴木慶一とムーンライダーズの前身のバンドです。
中 1973年に、初めて彼らの音を聴いた時、突如ライブハウスのステージ空間が歪み出し、妖しい異空間に遭遇、ワクワクしました。渋谷百軒店のロック喫茶BYGの地下から、時折、彼らの練習が聴こえていました。そして、近くのロック喫茶ギャルソンで、彼らがリクエストするレコードを密かにチェックしてました。今も深く思い入れがあるバンドです。
 2013年のあがた森魚コンサートに、ムーンライダーズ一派と、元はっぴいえんどの鈴木茂が参加してました。このコンサート記事は、こちらからご覧ください。
 右は、1stアルバム「センチメンタル通り」(1973年ベルウッドレコード)


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「ライブハウス「ロフト」青春記」
  平野 悠 (著)  講談社 2012年


 筆者は1971年に「ロフト」を立ち上げ、その後40年以上に渡り今もライブハウスを経営する人。
 上記の「70年代シティ・ポップ・クロニクル」にある1970年代から、80年代半ば頃までのロック、フォーク、ジャズのライブ現場を回顧する本であり、かつライブハウス経営の当事者の視点でライブハウスという場の変遷を語る本。
 内容は、下の目次を見てください。日本の音楽シーン全体が、プロフェッショナルなアマチュアから脱皮して、職業人としてビジネスに乗って行く変遷を追う、貴重なドキュメンタリーでもあります。
 
【目次】
プロローグ
第一章 開宴(失業、そしてジャズ喫茶を開店)
ジャズ喫茶・烏山ロフトの誕生(1971年春)|開店資金は140万円|店のレコード枚数が少ない事を武器に|烏山ロフトの論客たち・坂本龍一ほか|吉祥寺・ぐゎらん堂の衝撃|ライブハウスへの目覚め|ほか
第二章 飛躍(西荻窪ロフト編)
西荻窪ロフト、1973年オープン|ライブはいつも大赤字|チャージ全額バック制に移行|春二番コンサート・イン・西荻窪ロフト|店をいっぱいにしたスターたち・高田渡、友部正人、大塚まさじ(ディランⅡ)と西岡恭蔵、中山ラビ、河島英五|都会派の南佳孝と浜田省吾|歌う哲学者・斉藤哲夫と天才・加川良|ほか
第三章 追撃(荻窪ロフト編)
日本のロックの躍進が始まった|西荻窪ロフトの限界は広さ|シンガー・ソングライターの誕生|手作りで荻窪ロフトを開店|プロのブッカ―の投入|山下洋輔トリオは荻窪ロフトの楽屋で解散|情報誌「ぴあ」と「シティロード」|ロフトから私の愛するジャズライブは消えた|ニュー・ミュージックの躍進|「日本語ロック」で悪いですか?|ティン・パン・アレーと一夜で解散した伝説のバンブー|ほか
第四章 革命(下北沢ロフト編)
ライブハウスの時代が始まった|下北沢ロフト、オープン|中島みゆきが出演|サザンオールスターズと下北沢ロフトの物語|ほか
第五章 天下御免(新宿ロフト編vol.1)
下北沢ロフトの成功から新宿へ|70年代後半、ニュー・ミュージックの時代|歌謡曲と日本型ポップスの衰退|日本一巨大なスピーカーを装備|かくして新宿ロフトはオープンした|ライブハウスの原点が崩壊していく!|ポスト・パンク=テクノの時代へ|ほか
第六章 爛熟(新宿ロフト編vol..2)
ライブハウスの大型化と大手商業資本の参入|先鋭化するパンク・シーン|朋友、今はなき「渋谷屋根裏」と「ルイード」に栄光あれ|ロフトのロックに対する歴史的な役目は終わった|悶々とした日々|ロフト解散宣言|日本を捨て無期限の世界放浪の旅に出る(1984-92)|ほか
エピローグ
日本のロックはどこに行くのだろうか?|ほか

◆「ライブハウス「ロフト」青春記」を読んで、西荻窪ロフトを思い出す。
 隣りが八百屋、向かいは魚屋という古びた市場の中にあった西荻ロフトでは、ロックバンドがガンガンに音を出していた。
中2 例えば、大塚まさじ率いるオリジナル・ザ・ディラン。エレクトリックギターを抱える石田長生やフェンダーローズ(エレクトリックピアノ)の佐藤博、ドラムの林敏明、エレクトリックベースの田中章弘。みんな凄くかっこ良かった。
 西荻ロフトの店内にはトイレが無かった。市場にある小さな共同便所を利用した。だから、ライブの休憩タイム時は、すぐに混みあった。よって男性は、人目のない近所の暗がりで用を足していた。そんな訳で、ミュージシャンも客も、連れションしながらいろいろ話ができた。例えば、「演奏中に、なんでチョコレートを、かじってるんですか?」佐藤博さん曰く、「カフェイン中毒なんだよ、ほんとに(笑)」
 右はオリジナル・ザ・ディランのアルバム「悲しみの街」1974年キングベルウッドレコード


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「ライブハウス文化論」
  宮入 恭平 (著)   (青弓社ライブラリー 53)  青弓社 2008年


 1968年生まれの著者は、80年代末ごろから、フリーのミュージシャンとして東京のライブハウスで活動してきた人。
 だから1970年代を客観的に歴史として整理しながら、同時に、現在のポップス音楽シーンを、ミュージシャン側から見たライブハウスの現場、という切り口から批評する本。1980年代を転換期に音楽シーンは産業化が進み、高度に商業化システム化して行く。
 現在のシステム化されたライブハウスの経営は、ミュージシャンに課せられるノルマやチャージによって支えられている。
 ミュージシャンの、「プロ」と「プロフェッショナル」と「アマチュア」の区分の日米比較が面白い。また、ライブハウスとカラオケの関係も述べていてこれも面白い。
 この点については、上記の本「ライブハウス「ロフト」青春記」のエピローグにも関連の記述がある。
 長らく海外にいて92年に帰国したばかりの著者でロフト・オーナー平野 悠が、ライブハウスのノルマ制度が一般化しているのに驚いて、・・・
 「えっ、客が入らない(入りが悪い)と、ライブハウスは表現者から罰金を取るのか?」
 スタッフ曰く、「はい、出演料です」
 「出演料って、店側が払うものじゃないの?カラオケと勘違いしてない?」
 スタッフ曰く、「アマチュア・ミュージシャンを相手にしたカラオケの豪華版です」 

【目次】
第1章 ライブハウスの全貌
ライブハウスのイメージ|現状|変遷|
第2章 ライブハウスとミュージシャン
ロック系ミュージシャン|ライブハウスのミュージシャン|
第3章 ライブハウスと音楽空間
演奏者と観客の固定的関係~コンサートホール|演奏者と観客の流動的関係~ストリート、ロック・イベント|ライブハウスでの演奏者と観客の関係|
第4章 ライブハウスとノスタルジア
団塊世代と音楽|団塊世代の音楽消費|ノスタルジアとしての音楽~懐かしいの商品化、後ろめたさ|
第5章 ライブハウスとミュージック・クラブ
ライブハウスとミュージック・クラブ|音楽ブームと音楽シーン|天国のアーティストと地下鉄のミュージシャン|カラオケとKARAOKE
第6章 ライブハウスのゆくえ
存在意義|ゆくえ|


◆音楽評論家の小沼純一が言っている。
 「“ある音楽が通じる”共同体がある。その共同体とは、その音楽が響いている その持続の中でしか存在しない、その響きの中でしかありえない想像的なものだ。」
 「音楽はそれだけで成り立つわけはない。視覚的要素や空気、つまり「場」というものと切り離しがたいものとして、音楽はあるはず。」
 「音楽と人の生活は、時代を追うごとに結びつきが希薄になって来た。音楽を奏でる人と聴く人が分離し、聴く人は聞く人になり、聞き方は散漫になった。」
(「サウンド・エシックス これからの音楽文化論入門」より)
0_20151003175902e40.jpg◆私が好きだった、そのほかのバンド。
<センチメンタル・シティ・ロマンス>
 彼らを初めて聴いたのは、やはりどこかのライブハウスでした。はちみつぱいのステージの後に、トリで登場し、両バンドの色の違いを鮮明にした。アルバムを聴く分にはカラッと洗練された完成度高いサウンドだが、メンバーは一様に見た目、むさ苦しくダサかった。だから泥臭いサウンドに見えた。今回、恐るおそる聴いてみたが素晴らしい。1975年、1stアルバムを出したあとだったか?ドラムの人が替わった。こうして、どのバンドも技量のアップが求められて行った。
<その他、キリがない・・・>
 葡萄畑は、私にとって身近な先輩たちのバンドでした。そして、ソー・バッド・レビュー、上田正樹とサウス・トゥ・サウス、小坂忠(1stアルバム「ありがとう」1971年)、布谷文夫(ニューオリンズR&Bのドクター・ジョンをやった)、伊藤銀次(「ごまのはえ」や「ココナツ・バンク」)、斉藤哲夫、ダッチャ(「26号線」1973年)、ブレイク・ダウン、憂歌団、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、空飛ぶドーナツなどなど・・・・・・。
 1980年代が近づくにつれて、日本の音楽がどんどんオシャレに上手くなってビジネスになり、その結果、70年代初めのピュアなマインドが希薄になるに従って、私の関心は徐々に、ソウルやR&Bやファンク、そしてサルサ・南米音楽・沖縄島唄など民族音楽へと傾倒して行った。ミュージシャンにも生活があったし、音楽産業も企業として成長したかった。そして時代はバブルに向かって行った。

◆1970年代、ロック、フォークの周辺。
<ライブハウス>
 もちろん、ロフト系以外のライブハウスにも通った。高円寺のジロキチなど、京都に帰れば拾得、磔磔。三ノ輪の「モンド」も印象に残ってます。
<大型コンサート>
 いろいろ行きましたが、どれが一番強烈だったか?それは春一番コンサート(大阪の天王寺公園野外音楽堂)。
 あと、もうひとつ。革マルが主催で四谷会館で催された友部正人コンサート。たくさんの折り畳みイスが並べられていましたが、観衆はわたし1人。3メートルの距離をおいて、友部正人と私。対峙して聴きました。
<よく通ったロック・フォーク系の音楽喫茶店(兼・呑み屋)> 
 金も無いのに、どの店もよく通いました。いろんなレコード聴きました。渋谷百軒店の「BYG」と、すぐ近くの「ギャルソン」に「ブラックホーク」。吉祥寺は、なんといっても「ぐゎらん堂」。下北沢は、カントリーブルース系の「Zem」と、ブルース・ソウルの「STOMP」。それと、ライブが無くても、ライブハウスで飲みました。
<レコード屋>
 とにかく、週に一度はどこかのレコード屋に行って、たとえ無一文でも、輸入盤レコードを探してました。だから、もっぱら中古レコード専門のハンターやディスクユニオン。
 当時のある日、西荻窪駅近くにあった、あの時代によくあったアンティーク何でも屋の店先に、中古レコードが2、30枚ほど置いてあった。欲しいレコードが安い金額で出ていた。その中から4枚買おうとしたら、後ろから声がかかった。「それ、俺が出したレコードだよ」振り向いたら、にっこり笑う久保田麻琴が立っていた。「いいセンス」と褒められた。(笑)
 就職してからは民族音楽など濃いレコードは専門店も回った。水道橋の「ティア・ホアナ」、高円寺の「ビスケット・タイム」とか。東横線都立大学駅だったか、ソウルの中古専門店があったな。
<練習スタジオ>
 軽音楽同好会の地下練習部屋以外では、渋谷のエピキュラスでスタジオ借りて、バンドの練習をしていた。(こりゃもう告白だな)
 エピキュラス内の各スタジオの、防音ドアの窓越しに中をソットのぞくと、たまにプロがいた。ユーミンがひとり、グランドピアノを弾いてるシーンが印象に残ってる。
 以上ここまで、お付き合い頂き、ありがとうございます。筆が滑りました。


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やまなか
Posted byやまなか

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