映画 「白河夜船 (しらかわよふね)」  出演:安藤サクラ、井浦新  監督:若木信吾

上
寺子と岩永の待ち合わせ場所は、いつも渋谷駅前の歩道橋の上。
寺子にとって、この愛は、薄氷を踏む様な、心もとない愛。


 
 感性を試される映画だ。
 女優・安藤サクラが発する繊細なオーラが、まるで舞い上がるダイヤモンドダストの様に、きらきらと観る者を包み込む。
 寺子(安藤サクラ)という女の、薄氷を踏む様な心もとなさが、いきいきと表現されている。

強い睡魔は、寺子の弱った心を癒やすように包む。
1-0_201601281553244f8.jpg 寺子はいつも眠い。ホテルで一夜明かした朝に、寺子の彼・岩永(井浦新)から「よく寝る人だ」と言われるくらいだ。
 たぶん、軽いうつの症状。また、彼女は時々、鉛筆を持つ手先が、あるいはベッドの端に腰かけた足が、カクカクと無意識に動きだす。(心因性の不随意運動だろうか) 寺子は精神的にまいっている。

 岩永の妻は、交通事故を起こし意識不明のまま、植物状態で入院している。
 彼は妻を見舞い、一方で妻の親族と会っている。そんな時期に、ふたりは出会った。

 寺子と岩永のこの愛は不倫だ。
 植物状態とは言え、彼の妻は生きている。だが快復の見込みは全くない。ただただ見守り待つだけ。
 だから、寺子と岩永のこの愛は、その先がない、どんよりした暗い愛。
 
 寺子は純な女。見知らぬ岩永の妻に対して、後ろめたさを拭えない。また、岩永も二人の女に後ろ髪を引かれる思い。
 皮肉なことにふたりの愛は、それぞれのそんな心情を糧にして、育まれて行く。

 寺子は思う。岩永は、ええ格好しいの男。妻の入院も、妻の親族に対してのあれこれも、冷静にきれいに仕切れる男。だが、彼の心情は相手に深入りしないし、憐れんでもらいたくもない。これが彼のスタイル。冷めた男。
 だから岩永は、寺子とも一定の距離を置く。岩永は、自身の心の癒しの拠り所として、寺子を抽象的な浮遊な存在にしておきたい。
 でも、寺子はそんな岩永が好き。だが、岩永に思いのたけを、真っ直ぐにぶつけられない。難しい愛。

 ふたりの電話は、必ず岩永のほうから掛けてくる。寺子はいつも受け身。ふたりとも、ぼそぼそと独り言のように話し合う。黙ったままの間も長い。会話の最後は、いつも沈黙の中に消え入るように終わる。

 幻想の中で、寺子が岩永の妻(18歳の頃の)に出会うシーンがある。妻は寺子に親切そうに言う。「部屋にばかりいないで、バイトでもしたら。」 それは、転覆しそうな船が、(快復へ向けて)起き上がり小法師のように元へ戻ろうとする、寺子の心の本能の為せるわざ、と見た。同時に、寺子の苛まれる良心を救おうとする心の自己防御でもある。街頭アンケートのバイトで4万円をもらった寺子は嬉しそうであった。

 静謐な映画。内向的な映画。セリフは極めて少ない。挿入音楽はない。(ラストのみ)
 シーンは総じて静的で、寺子の部屋など室内場面が多い。動的なシーンは渋谷の街の場面だけ。
 写真家である監督が撮影も担当している。コマーシャルな写真家らしいオシャレな映像が、良くもあり、どうかなという場合もあり。

 よしもとばななの小説の一節を安藤サクラが、ナレーションで言うところがいくつかある。これをナレーションで表現せずに映像で見せる手もあると思う。しかし、例えば妻の親戚らが登場すれば、現実から遊離した「ふたりの浮遊感」に重きを置く映像にとっては、邪魔となるのかもしれない。あるいは、そもそも映像化が難しい箇所なのかもしれない。

 何といっても、安藤サクラが素晴らしい。素晴らしいだけに、井浦新ほか、周りの俳優がついて来れないでいる。これが残念。
 起承転結がしっかりあって、話は分かりやすくして、ご用意しました的な映画をご希望の方には、この映画、ハードルが高いかも。スクリーンをただ眺めていればいいという映画じゃない。抽象絵画を見る時ように、自分から進んで観に行って感じ取るタイプの映画です。

下








監督・撮影:若木信吾|2015年|91分|
原作:よしもとばなな|脚本:若木信吾、鈴本櫂|
出演:安藤サクラ(寺子)|井浦新(岩永)|谷村美月(しおり)|高橋義明(しおりの昔の恋人)|紅甘(公園で出会う少女)|伊沢麿紀(しおりの母親)|竹厚綾(岩永の妻)|


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