映画 「鶴八鶴次郎」 (1938年)  監督:成瀬巳喜男

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 女優・山田五十鈴、当時、21歳を愛でる映画。(昭和13年)
 彼女の凛とした存在感が冴える。

 鶴八鶴次郎というコンビで売出し中の、鶴八(山田五十鈴 )と、鶴次郎(長谷川一夫)。
 鶴八の母親(先代鶴八)は新内の名人で名をはせた人で、その娘・鶴八は、母親に才能を見込まれて、幼い頃から新内を教え込まれてきた。
 相方の鶴次郎も、先代鶴八の一番弟子で才能を延ばしてきた男であった。

 よってふたりは、子供の頃から先代鶴八のもとで、幼なじみのようであったし、いつの頃からは互いに淡い恋心も芽生えていた。
 そんな、若くて実力ある、鶴八鶴次郎の人気は破竹の勢いで、ふたりが出演する演芸場はいつも満席。鶴八鶴次郎は互いに相手を、差し替えのきかない、息の合った最高の相方と思っている。だからこそ世間はふたりの関係をうわさしているのです。

 鶴次郎の番頭・佐平(藤原釜足)は機転が利くしっかりした男で、鶴次郎のマネージャー。
 先代鶴八からのひいき筋の旦那(パトロン)である松崎(大川平八郎)は、先代が他界した後も、あたたかな目で若き鶴八の面倒をみている。
 また、太夫元(興行責任者)の竹野(三島雅夫)は、プロデューサーとして鶴八鶴次郎の人気と才能を見抜いていて、まだ若い二人を、芸能界重鎮の反対もある中を押して、名人会へ出演させることを決めた芸能界の実力者。

 鶴八鶴次郎の名人会出演は大成功であった。しかし、その後、鶴次郎は芸人として落ちぶれていくことになる。
 その直接の原因は、鶴八と鶴次郎の仲たがいだった。ふたりが舞台を降りたあと、楽屋で鶴次郎は決まって鶴八の三味の今日の出来に文句を言った。しかし、これはいつものことであった。些細な一点を指摘される鶴八にはメンツがある。芸人の意地と意地がぶつかり合う。(良く言えば切磋琢磨と言えなくもない)
 その一方で、大いにほめる時もある。また、平素の二人は仲がいい。そんな、お天気模様なふたりに、番頭・佐平は慣れっこになっている。しかし、名人会で成功したふたりがいる高みでの仲たがいと意地の張り合いは、二人にとってコンビ解消への運命となった。

 実は、仲たがいの真相は、鶴次郎の嫉妬であった。鶴次郎は鶴八を心底好きだった。だが彼は、鶴八のパトロン・松崎への、自身で思い込んでしまった嫉妬に負けてしまう。(鶴八と松崎はきれいな関係だったのに)
 一方、これまで芸一筋で身を立ててきた鶴八だが、先のことを考えれば、女として、収まるところに収まりたい。その相手とは、鶴次郎と思い続けていたのに・・・。

 コンビ解消後、鶴次郎は東京から姿を消した。鶴八は富豪の松崎の妻となった。
 鶴次郎の心はすさみ、芸は荒れ、客のまばらな地方の場末にひとり沈んでいた。そして時は過ぎていった。

 見兼ねた佐平マネージャーは、鶴八鶴次郎を再結成する計画を鶴八に承諾させて、鶴次郎を東京へ連れ帰った。そして、公演は成功した。だが、その最終日、楽屋で、またもや、鶴次郎は鶴八の三味の出来に些細な注文を付けた。
2-1_201610241227006b6.png 佐平は止めたが、鶴八は怒って楽屋を後にした。
 (ついさっきまで鶴八は思っていた。 「芸人の子はやはり芸人、今回の復帰公演で気付いた、私は芸で生きて行きたい、芸は生きがいだ。」 鶴次郎の言動は、そう鶴八が思った矢先の事であった。彼女は松崎の妻として一生を終えるかもしれないことに疑問を抱いていたのだ。)

 鶴八が去ったあと、楽屋で、鶴次郎は佐平に言った。「俺はいまも鶴八が好きだ。だが、田舎の場末で思い至ったことは、芸人であることがつくづく嫌になったこと。鶴八は芸人じゃなく、松崎の妻として幸せになって欲しい」と。
 これを聞いた佐平いわく、「じゃなんですか、さっき、鶴八に言ったことは嘘なんですか。」

 今、この映画を観る人は、好きなら好きと言えば!という思いが募る。ひんぱんに顔を突き合わせて来た関係なのに、好きと、はっきり意思表示しない昔の話(昭和13年)に、違和感を感じる。だがこのこと以上に、違和感がある事がある。
 一時は、夫婦の約束をし、さらには、演芸場の主人(席亭主)になりたいという鶴次郎の夢を、(二人の金で演芸場を買い取り) 実現していたのに、結局、悲劇となってしまう。
 その原因は、やはり鶴次郎の松崎への嫉妬だ。鶴八が、足りない資金を松崎から調達していたのだが、それを鶴次郎に言わなかった。それが鶴次郎をさらに嫉妬へと追い込んだ。
 振り返ってみると、鶴次郎と松崎の接点は無い。富豪の旦那と、先代鶴八という女芸人に拾われた(までは言い過ぎかもしれないが)男・鶴次郎との、身分の格差。昭和13年当時、少なくとも芸能界において、この格差は、ものも言えぬ壁だったのでしょう。当時の観客は、それを理解して観ていたのでしょう。(でも、そうでしょうか、鶴次郎は単に小心な男であったのかもしれない)

 それでも、腑に落ちない点がある。鶴八の、芸人の娘の、芸への執着心。それに引き替え、地方の場末で辛酸を舐めたとは言え、鶴次郎は芸を捨てる、そのあっけなさ。これが、この話を尻切れトンボにしている。
 よって、この映画は、山田五十鈴、当時、21歳を愛でるだけ、の映画になる。

 山田五十鈴 (当時18歳)の、きりりとした存在感を示す映画に、溝口健二の「マリアのお雪」(1935年)がある。こちらは、お薦め! 
 さらには、同じく溝口健二の「残菊物語」(1939年)がある。これは明治時代の歌舞伎界の話で、主人公の男は地方で辛酸を舐めたのち、妻や友人たちの手によって、立ち直る話だった。 (以前に書いた 「マリアのお雪」、「残菊物語」の記事は、それぞれ、題名をクリックしてお読みください)

 新内
 三味線音楽は、唄物と語り物に大別される。 語り物は浄瑠璃物ともいわれ、義太夫、豊後系浄瑠璃の新内・常磐津・富本・清元(江戸浄瑠璃4派)等がある。新内は、鶴賀新内が始めた浄瑠璃の一流派。
 だから鶴八鶴次郎は、買い取った演芸場の名を、鶴賀亭とした。
 
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監督:成瀬巳喜男|1938年|89分|
製作:森田信義|原作:川口松太郎|脚本:成瀬巳喜男|撮影:伊藤武夫|
出演:鶴八(山田五十鈴 1917-2012)|鶴次郎(長谷川一夫 1908-1984)|鶴次郎の番頭・佐平(藤原釜足)|鶴八のひいき筋の旦那(パトロン)・松崎(大川平八郎)|太夫元(興行責任者)の竹野(三島雅夫)|ほか


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サム成瀬



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