最近、読んだ本。「わすれかけの街」、「モダン心斎橋コレクション」、「明治の迷宮都市 東京・大阪の遊楽空間」、「花街 異空間の都市史」

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 味のある街には蓄積された過去がある。それは例えば私鉄沿線の郊外駅駅前には求めようがない。
 しかし、新地というように、街は隣接する土地を巻き込み増殖するし、街中の中心街の新陳代謝も激しい。
 つまり書き込まれ続けた過去の蓄積と、一方で容赦なく消去されていく過去がある。
 街に育った私は、繁華街が好きだ。クラスには商店の子が一定数いたし、アーケードの下を自転車で走り抜けて遊ぶこともよくあった。
 だからか今も、商店街と言える商店街がない街は少々住みづらく楽しくない。



1-2.png 「わすれかけの街 まつやま戦前」 は、1973~74年にかけて愛媛新聞に連載された記事からなる本。
 空襲で焼け野原になる以前の、戦前(1939年ごろ)の街並みを、古老の証言を集めて、通りの一軒一軒の店名や路地までをも、丹念に手書き地図にして、58の章に分けて再現しています。古い写真も多く掲載されています。 
 松山に行ったことのない私ですが、この本をながめる度に、時空を超えて幻の迷路に分け入るようでとても魅力的です。
 地図に描かれた各種店舗を見て行くだけでも、当時の生活が垣間見れる。また芝居小屋、映画館、政治家が使う料亭、花街に遊郭、鉄道、22連隊、県庁、師範学校、銀行、病院、捕虜収容所などなど。
 発行が1975年ですから、さらにもう40年経っている。街に刻まれたはずの記憶は、猛スピードで消えていくのでしょうか。
 戦後編を追加して新版が2002年に出ているようです。



2-80_201611042115292e8.png 「モダン心斎橋コレクション メトロポリスの時代と記憶」 は、大阪の心斎橋筋の近辺で1958年に生まれ育った方がまとめあげた本。
 明治から昭和までの心斎橋筋の賑わいと、時代時代の流行最先端の繁華街の様子を、数多くの当時の写真や広告パンフレットで鮮やかに描くビジュアル主体の本です。
 この本でも、当時の街並みが丁寧に再現されています。特に大丸とそごうにはページを割いています。
 私は幼い頃、大阪府堺市に住んでいて、近くにアーケード商店街が三つあって、そこには映画館が数軒、通りを脇に入ると芝居小屋やストリップ小屋がまだありました。しかし、年に数回 親に連れて行ってもらえる心斎橋筋は、段違いに華やかでした。
 難波の高島屋と心斎橋筋の大丸の、おもちゃコーナーや大食堂と屋上遊園、そして心斎橋筋にある不二家レストラン。特にクリスマスソングが流れる頃は心が踊ります。
 ある時から、心斎橋筋アーケードの路面が波のうねりを模したタイル舗装になったことも新鮮でした。心斎橋はちゃうなぁと。
 上の「わすれかけの街」によると、松山の商人は、大阪の街に仕入れに行ったようで、大阪の最先端を、例えば喫茶店、カフェ、デパートといった新しい営業形態を、松山の街に持ち帰ったようです。
 ある日、心斎橋筋の人混みを親と歩いていると、向こうから白い背広の男が脇に若いのを引き連れて歩いてくる。周りの通行人は彼らを避けている。その白い背広は私が住んでいるアパートの上の階のおじさんで、優しい言葉を投げかけてきたことが、今となっては懐かしい出来事。


4-80_20161104211819001.png 「明治の迷宮都市 東京・大阪の遊楽空間」 は、大阪の街を主に、東京の街も含めながら書かれています。
  近世と近代の狭間で揺れ動く難波新地・千日前あたりから始まる近代都市と見世物小屋の成り立ち・発展、都市部の墓地の変遷、その他パノラマ館や博覧会などについてが書かれています。
 特に、世俗の塔の誕生、つまり浅草の十二階や富士塚をはじめ、料理屋の三階桟敷や大阪の凌雲閣(北の九階)など高塔ブームが面白い。
 上の「わすれかけの街」でも、通り添いの店が三階建てであったり、明治末ごろ九層楼というヤグラ状の塔が建っていて海の向こうに島が見えて人気だったらしいことが出てくる。「街」は大いに人を誘います。


3-80_20161104211818cc3.png 「花街 異空間の都市史」 は、全国に600カ所もあったという花街を、都市の空間的共通項としてとらえ、近代の市街地形成の力学と、地元政治力学の観点から精査した学術的な本。全国各地を実地調査する精力ある著者は1972年生まれ。
 なお、本書の花街とは、下図が示す狭義の花街を言っている。
 もちろん本書は興味本位の本ではないし性差別を云々するものでもない。また、地元自治体の生々しい政治が臭う章もある。
 1933年ごろ、東京には9941人の技芸がいて、技芸屋・料理屋・貸席・待合茶屋が合計7235軒、大阪では4723人で1276軒、京都は1731人で1060軒。ちなみに松山は183人で102軒。このように、本書掲載の「市制都市の遊郭と花街(1933年)」のリストで113の街を眺めると、軍都に花街が栄えていたことも読み取れる。
 上の「わすれかけの街」に、武家屋敷とその庭がそのまま料亭に使えたという記述がある。時代が明治に入り、城郭を中心としたあるじ無き武家地は、政府の管理下に置かれて新たな用途を待っていた。この例は都市再開発から生まれる花街の例のうち、特殊だと書かれているが、松山はまさしくこれだったようだ。
無題3 永井荷風の小説を引き合いに出して、花街と遊郭が重なる領域もあったことを本書は示しているが、これで思い出すのが、今年尾道で泊まった古い格式ある旅館。廊下の端にある部屋の隅に小さな隠し戸があって、這ってやっと潜り抜けられる位の隣りへの出口。仲居さんがそっと、その存在を教えてくれました。
 瀬戸内の十字路・尾道の街を歩きましたが、街は寂れ過去は容赦なく消去されて行くようでした。
 その一方で、去年行った金沢では、花街が観光客相手に商品化されていました。
 ところで、松山に行ってみたいかって? そうですね・・・、躊躇しますね。



「わすれかけの街 まつやま戦前」  愛媛新聞社 1975年
大街道一丁目|大街道二丁目|大街道三丁目|東雲町|西一万|六角堂周辺|一番町|二番町|花街|三番町|千舟町|正安寺町|玉川町・御宝町|北京町・南京町|唐人町三丁目|・・・

「モダン心斎橋コレクション メトロポリスの時代と記憶」 橋爪 節也 (著)  国書刊行会  2005年
都市の標本箱を開く試み|プロローグ プレ・モダン|第1章 ハイカラ心斎橋|第2章 石橋心斎橋と「暖簾の王国」|第3章 Flaneursモダン回廊周遊|第4章 モダニズムの宮殿 - 豪華百貨店世界|第5章 氾濫するGoods - モダン心ブラストリート|第6章 食べ尽くす心斎橋 - 心ブラ途中で少し休憩|第7章 丹平ハウスと、をぐらやビルディング - 美術と文芸の拠点|第8章 アートづくし心斎橋 - 美術・デザイン・写真・音楽・文芸

「明治の迷宮都市 東京・大阪の遊楽空間」 橋爪 紳也 (著) 平凡社 1990年
1 都市と見世物小屋の近代|2 死者たちのユートピア|3 世俗の塔の誕生|4 迷路のなかの快楽|5 パノラマ館考|6 博覧会という体験|付録 大坂名所 東京名所

「花街 異空間の都市史」 加藤 政洋 (著) 朝日新聞社(朝日選書785) 2005年
序章 花街のイメージ|第1章 花街 - 立地・制度・構成|第2章 都市再開発から生まれる花街|第3章 街のインキュベーター|第4章 慣例地から開発地へ - 東京の近代花街史|第5章 遊蕩のミナト - 神戸の近代花街史|第6章 遊所から新地へ - 大阪の近代花街史|第7章 謎の赤線を追って - 鹿児島近郊の近代史|終章 なぜ、花街か?

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やまなか
Posted byやまなか

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