映画「海上伝奇」 監督:ジャ・ジャンクー
2010年11月22日 公開
映画冒頭、上海、港、フェーリー。
船内の、幾多の乗客たちをカメラは静かに映し出してゆく。観客はみんな気付く。映画『長江哀歌』の冒頭と同じようなシーンだ、と。そう、上海は長江河口の都市だった。(都市人口1657万人、中国内第1位、世界で第7位の大都市)
市内を流れる黄浦江、蘇州河から見上げる橋や川沿いの古いビル・倉庫街、浦東地区の高層ビル風景がフラッシュバックする。東京でもそうだが、都市に流れる河からの船目線で、橋やビルを見上げると歴史が見える。
選ばれた18人の話者が‥
インタビューを受けて一人ずつ登場し証言する。オッ!これは、映画『四川のうた』のようだ。
ひとり5分は話す、観客はこれを聞き、かつての上海、今の上海のイメージを各自積み上げる。一人目の話者、取り壊し直前の古いビル、何も無いガラーンした広いフロアに、椅子ひとつ。張り詰めた空気。カメラは話者から距離をおき望遠で撮っている。顔をアップに映さない。話者の背景を充分取り込んだ画面構成。以下17人についても同じような感じ。
話者との冷静な、この距離感。そして避けるべきものは避けて、あとは偏らない?人選。
このページ下に、映画に登場する18人のリストがあります。各人の親、祖父母を含む人生背景が見て取れます。これがこの映画の肝。じっくり読んで欲しい、監督の意図が分かる。

上海の浦東地区の経済発展。
江沢民は上海出身、かつて上海市長でもあった。
1990年、上海市が浦東地区開発計画を発表。1992年、中国共産党大会で江沢民総書記は「浦東」を長江の「竜の頭」に例え、長江流域全体の経済発展を強調。小平の老齢化が際立ってきた1994年以降、江沢民ら上海閥リーダーが政治を握る。『長江哀歌』の舞台である三峡ダムの建設工事は1994年に本工事が始まる。

「魔都」「東洋のパリ」と呼ばれた、上海。
1920~1930年代、上海はユダヤをはじめ列強の外国資本を集めて中国最大の都市に、中国金融の中心地となる。繁栄に導いたのは浙江省・江蘇省出身の金融資本家集団。(浙江財閥)
1925年、上海から始まった五・三〇運動は大規模な民族運動、同時に労働者・社会主義運動の台頭であった。この事態に反応した浙江財閥は1927年、蒋介石と提携し反共クーデタ(上海クーデタ)を支援、経済的な柱として支配力を振るう。
1932年上海事変勃発、1937年、日中戦争で上海は日本軍に占領される。
1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港へ。
1978年の改革開放政策により、再び外国資本が上海に流入。
ふと、思う。
上海と香港は、歴史の上で似たような役割を交互に演じる都市だ。
いま、国際化をひた走る上海、中国化する香港。
なんと! 1871年に、上海と香港を結ぶ海底通信ケーブルが開通している。
そして長崎にも延伸された。
日本との距離。
鹿児島の左が上海だ(西に800キロだ)。沖縄・与那国島の左が台北(130キロ位か)。
その台湾の南端の左が香港だ。
我々日本は上海の外郭にいる、そしてその昔に上海を侵略した。
『海上伝奇』は難解だ。
ジャ・ジャンクー監督の今までの作品は、流れに取り残された人々の話だったように思う。しかし『海上伝奇』の登場人物は、明らかに「選ばれし人々」だ。あわせて『海上伝奇』は上海万博向けに製作されたと聞く。
『四川のうた』では重厚長大な国営工場が舞台で、全く無名な工場労働者の3代にわたる時代の流れを、インタビューで引き出した、めいめいの証言で追っていた。観客は「工場」という眼に見える舞台を認識できたので何となく分かった気分になれた。が、『海上伝奇』では舞台が見えない。まして、上海にまつわること、租界、国民党、蒋介石、国共合作、中華民國など中国近代史がボンヤリだと辛い。ツライついでに「言葉の壁」だ。上海は国内外各地から人が集まった都市。広東語?普通語?に加えて、たぶん出身地ごとの方言・ナマリや、上流階級出身をにおわす話し方、年配者が話す時代を感じる話し方など、が分かれば今感じる以上に映画にグッと味がでてくるのだろうと思う。
足りない情報を補うために、登場する18名のリスト(下記)を、上映前に配るという配慮を上映館は、して欲しいものだね。
『海上伝奇』のスタンス
『海上伝奇』は『長江哀歌』や『四川のうた』の延長線上にあるように思う。『長江哀歌』や『四川のうた』が単独の映画として独立しているとすれば、『海上伝奇』は拠り所を必要としている。その拠り所は、次作品なのかもしれない。
ジャ監督がこの映画で何を言いたかったのか、現時点では私はわからないが、中華な人々(民族)の誇りと自信が表現されている映画であることに間違いない。
こういうのが単館系映画だ、と単館ファンな我々が勝手に「スタイル決め」している枠を、ジャ監督は乗り越え始めたと言える。
だから、解釈も、もっと広範な見方で観て欲しいと思う。
つまり、これまでの単館系映画に対する、ある種のワンパターンな鑑賞スタイルから、我々はそろそろ脱する時期に来ているのかもしれない。
海上伝奇|監督:ジャ・ジャンクー|ドキュメンタリー映画|118分|
2010年|中国、オランダ|英語タイトル:I Wish I Knew |
第11回東京フィルメックスにて|2010.11.20|
(東京フィルメックス公式サイトより、以下のデータを転載させていただきます)

<インタビューに登場する人々>
チェン・タンチン(陳丹青)
1963年、上海生まれ。画家、作家。80年に発表した「西蔵組画」で高い評価を受け、中国油彩画壇の代表的人物となる。82年にニューヨークに移住し、2000年、帰国。
ヤン・シャオフォ(楊小佛)
1919年生まれ。父は中国人権運動のパイオニアとして知られるヤン・シンフォ(楊杏佛)。15歳の時、父の暗殺の現場に居合わせる。45年より中華民国政府交通部上海航政局で働く。49年以降、民革上海市委常委、上海市人民政府参事、等を歴任。
チャン・ユェンスン(張原孫)
1930年、上海生まれ。祖父は調味料「天厨味精」を開発したことで知られるチャン・イーユン(張逸雲)。

ドゥ・メイルー(杜美如)
1930年、上海生まれ。父は30年代上海黒社会の有力者であったドゥ・ユェシェン(杜月笙)。49年、父とともに香港に移住し、54年、台湾に移住。69年、ヨルダンに移住し、現在はアンマンで中華料理店を営む。
ワン・ペイミン(王佩民)
1948年、上海生まれ。父は48年に国民党憲兵に処刑された中国共産党員ワン・シャオフー(王孝和)。「上海年鑑」編集部で働きつつ、父に関連する情報の収集に務める。

ワン・トン(王童)
1942年生まれ。映画監督。父は国民党軍総司令官のワン・チョンリャン(王仲廉)。49年、家族とともに上海から台湾に移住。代表作は『海をみつめる日』、『村と爆弾』等。
チャン・リンユン(張凌雲)
1927年生まれ。台湾新竹市忠貞新村村長。48年、国民党空軍第八大隊のパイロットとなる。同年、B-24爆撃機に搭乗し、上海から台湾に飛来する。
リー・ジャドン(李家同)
1939年、上海生まれ。台湾清華大学学長、静宜大学学長等を歴任。2009年より台湾政府のアドバイザーを務める。

チャン・シンイ(張心漪)
1916年、上海生まれ。翻訳家、作家。清朝末期に「洋務運動」を指導した政治家ツァオ・グオファン(曽国藩)の末裔。ジャーナリストして活躍し、週刊誌「新聞天地」、雑誌「春秋」を創刊。「北洋軍閥史話」等の著作がある。
ホウ・シャオシェン(侯孝賢)
1947年、広東省梅県に生まれ、48年、家族とともに台湾に移住。台湾ニューウェーブを代表する映画監督。代表作に『風櫃の少年』、『恋恋風塵』、『悲情城市』等。
チュウ・チャンシェン(朱黔生)
1942年、貴州生まれ。上海電視台記者。72年、ミケランジェロ・アントニオーニがドキュメンタリー映画『中国』を撮影した時、スタッフを務めた。
ホァン・バオメイ(黄宝妹)
1931年、上海生まれ。上海第十七綿工場の労働者。模範紡績労働者として何度も表彰を受ける。58年、シェ・チン(謝晋)監督が彼女についてのドキュメンタリー映画『黄宝妹』を撮影した。
ウェイ・ラン(韋然)
1951年、上海に生まれる。『カラスと雀』等で知られる女優シャンカン・ユンチュウ(上官雲珠)の息子。油彩画を学び、中国建築工業出版社の編集者を務めた。

ウェイ・ウェイ(韋偉)
1918年、広東省中山に生まれる。上海に育ち、41年から女優として活躍。47年、『夜店』で初主演。48年に『田舎町の春』に出演した後、香港に移住。51年から香港映画界で活躍し、60年に引退。
バーバラ・フェイ(費明僅)
ソプラノ歌手。映画監督フェイ・ムー(費穆)の娘。49年、家族とともに香港に移住。50年から声楽を学び、フランスに留学。60年に香港に戻った後、ソプラノ歌手として活躍。
レベッカ・パン(潘迪華)
1931年、上海に生まれる。歌手、女優。49年、母とともに香港に移住。60年代から歌手として活躍。『欲望の翼』の演技でアジア太平洋映画祭助演女優賞受賞。その他の出演作品に『フラワーズ・オブ・シャンハイ』、『花様年華』等。
ヤン・ホァイディン(楊懐定)
1950年、上海に生まれる。"楊百万"の異名を持つ実業家。上海鉄合金工場の労働者であったが、88年、国債の取引で莫大な利益を得、上海株式業界の重要人物となった。
ハン・ハン(韓寒)
1982年、上海生まれ。作家、レーサー。99年に発表した小説「三重門」がベストセラーとなる。同時にラリー・レーサーとしても活躍。また、そのブログは中国で最も人気のあるブログの一つとして知られている。

<映画の中で使用された映画>
『ふたりの人魚』(1999)監督:ロウ・イエ(婁)
『紅い柿』(1996)監督:ワン・トン(王童)
『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(1998)監督:ホウ・シャオシェン(侯孝賢)
『中国(Chung Kuo-Cina)』(1972)監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
『黄宝妹』(1958)監督:シェ・チン(謝晋)
『舞台姉妹』(1964)監督:シェ・チン(謝晋)
『田舎町の春』(1948)監督:フェイ・ムー(費穆)
『欲望の翼』(1992)監督:ウォン・カーウァイ(王家衛)
ほかに『蘇州河』、『阿飛正伝』、『小城之春』の映画のワン・シーンもあるようです。
<映画の中で使用された楽曲>

「I Wish I Knew」 歌:ディック・ヘイムズ (→)
「雨夜花」 歌:テレサ・テン
「浪子心声」歌:サミュエル・ホイ
船内の、幾多の乗客たちをカメラは静かに映し出してゆく。観客はみんな気付く。映画『長江哀歌』の冒頭と同じようなシーンだ、と。そう、上海は長江河口の都市だった。(都市人口1657万人、中国内第1位、世界で第7位の大都市)
市内を流れる黄浦江、蘇州河から見上げる橋や川沿いの古いビル・倉庫街、浦東地区の高層ビル風景がフラッシュバックする。東京でもそうだが、都市に流れる河からの船目線で、橋やビルを見上げると歴史が見える。
選ばれた18人の話者が‥

ひとり5分は話す、観客はこれを聞き、かつての上海、今の上海のイメージを各自積み上げる。一人目の話者、取り壊し直前の古いビル、何も無いガラーンした広いフロアに、椅子ひとつ。張り詰めた空気。カメラは話者から距離をおき望遠で撮っている。顔をアップに映さない。話者の背景を充分取り込んだ画面構成。以下17人についても同じような感じ。
話者との冷静な、この距離感。そして避けるべきものは避けて、あとは偏らない?人選。
このページ下に、映画に登場する18人のリストがあります。各人の親、祖父母を含む人生背景が見て取れます。これがこの映画の肝。じっくり読んで欲しい、監督の意図が分かる。

上海の浦東地区の経済発展。
江沢民は上海出身、かつて上海市長でもあった。
1990年、上海市が浦東地区開発計画を発表。1992年、中国共産党大会で江沢民総書記は「浦東」を長江の「竜の頭」に例え、長江流域全体の経済発展を強調。小平の老齢化が際立ってきた1994年以降、江沢民ら上海閥リーダーが政治を握る。『長江哀歌』の舞台である三峡ダムの建設工事は1994年に本工事が始まる。

「魔都」「東洋のパリ」と呼ばれた、上海。

1920~1930年代、上海はユダヤをはじめ列強の外国資本を集めて中国最大の都市に、中国金融の中心地となる。繁栄に導いたのは浙江省・江蘇省出身の金融資本家集団。(浙江財閥)
1925年、上海から始まった五・三〇運動は大規模な民族運動、同時に労働者・社会主義運動の台頭であった。この事態に反応した浙江財閥は1927年、蒋介石と提携し反共クーデタ(上海クーデタ)を支援、経済的な柱として支配力を振るう。
1932年上海事変勃発、1937年、日中戦争で上海は日本軍に占領される。
1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港へ。
1978年の改革開放政策により、再び外国資本が上海に流入。
ふと、思う。
上海と香港は、歴史の上で似たような役割を交互に演じる都市だ。
いま、国際化をひた走る上海、中国化する香港。
なんと! 1871年に、上海と香港を結ぶ海底通信ケーブルが開通している。
そして長崎にも延伸された。
日本との距離。
鹿児島の左が上海だ(西に800キロだ)。沖縄・与那国島の左が台北(130キロ位か)。
その台湾の南端の左が香港だ。
我々日本は上海の外郭にいる、そしてその昔に上海を侵略した。

ジャ・ジャンクー監督の今までの作品は、流れに取り残された人々の話だったように思う。しかし『海上伝奇』の登場人物は、明らかに「選ばれし人々」だ。あわせて『海上伝奇』は上海万博向けに製作されたと聞く。
『四川のうた』では重厚長大な国営工場が舞台で、全く無名な工場労働者の3代にわたる時代の流れを、インタビューで引き出した、めいめいの証言で追っていた。観客は「工場」という眼に見える舞台を認識できたので何となく分かった気分になれた。が、『海上伝奇』では舞台が見えない。まして、上海にまつわること、租界、国民党、蒋介石、国共合作、中華民國など中国近代史がボンヤリだと辛い。ツライついでに「言葉の壁」だ。上海は国内外各地から人が集まった都市。広東語?普通語?に加えて、たぶん出身地ごとの方言・ナマリや、上流階級出身をにおわす話し方、年配者が話す時代を感じる話し方など、が分かれば今感じる以上に映画にグッと味がでてくるのだろうと思う。
足りない情報を補うために、登場する18名のリスト(下記)を、上映前に配るという配慮を上映館は、して欲しいものだね。
『海上伝奇』のスタンス
『海上伝奇』は『長江哀歌』や『四川のうた』の延長線上にあるように思う。『長江哀歌』や『四川のうた』が単独の映画として独立しているとすれば、『海上伝奇』は拠り所を必要としている。その拠り所は、次作品なのかもしれない。
ジャ監督がこの映画で何を言いたかったのか、現時点では私はわからないが、中華な人々(民族)の誇りと自信が表現されている映画であることに間違いない。
こういうのが単館系映画だ、と単館ファンな我々が勝手に「スタイル決め」している枠を、ジャ監督は乗り越え始めたと言える。
だから、解釈も、もっと広範な見方で観て欲しいと思う。
つまり、これまでの単館系映画に対する、ある種のワンパターンな鑑賞スタイルから、我々はそろそろ脱する時期に来ているのかもしれない。

2010年|中国、オランダ|英語タイトル:I Wish I Knew |
第11回東京フィルメックスにて|2010.11.20|
(東京フィルメックス公式サイトより、以下のデータを転載させていただきます)

<インタビューに登場する人々>
チェン・タンチン(陳丹青)
1963年、上海生まれ。画家、作家。80年に発表した「西蔵組画」で高い評価を受け、中国油彩画壇の代表的人物となる。82年にニューヨークに移住し、2000年、帰国。
ヤン・シャオフォ(楊小佛)
1919年生まれ。父は中国人権運動のパイオニアとして知られるヤン・シンフォ(楊杏佛)。15歳の時、父の暗殺の現場に居合わせる。45年より中華民国政府交通部上海航政局で働く。49年以降、民革上海市委常委、上海市人民政府参事、等を歴任。
チャン・ユェンスン(張原孫)
1930年、上海生まれ。祖父は調味料「天厨味精」を開発したことで知られるチャン・イーユン(張逸雲)。

ドゥ・メイルー(杜美如)
1930年、上海生まれ。父は30年代上海黒社会の有力者であったドゥ・ユェシェン(杜月笙)。49年、父とともに香港に移住し、54年、台湾に移住。69年、ヨルダンに移住し、現在はアンマンで中華料理店を営む。
ワン・ペイミン(王佩民)
1948年、上海生まれ。父は48年に国民党憲兵に処刑された中国共産党員ワン・シャオフー(王孝和)。「上海年鑑」編集部で働きつつ、父に関連する情報の収集に務める。

ワン・トン(王童)
1942年生まれ。映画監督。父は国民党軍総司令官のワン・チョンリャン(王仲廉)。49年、家族とともに上海から台湾に移住。代表作は『海をみつめる日』、『村と爆弾』等。
チャン・リンユン(張凌雲)
1927年生まれ。台湾新竹市忠貞新村村長。48年、国民党空軍第八大隊のパイロットとなる。同年、B-24爆撃機に搭乗し、上海から台湾に飛来する。
リー・ジャドン(李家同)
1939年、上海生まれ。台湾清華大学学長、静宜大学学長等を歴任。2009年より台湾政府のアドバイザーを務める。

チャン・シンイ(張心漪)
1916年、上海生まれ。翻訳家、作家。清朝末期に「洋務運動」を指導した政治家ツァオ・グオファン(曽国藩)の末裔。ジャーナリストして活躍し、週刊誌「新聞天地」、雑誌「春秋」を創刊。「北洋軍閥史話」等の著作がある。
ホウ・シャオシェン(侯孝賢)
1947年、広東省梅県に生まれ、48年、家族とともに台湾に移住。台湾ニューウェーブを代表する映画監督。代表作に『風櫃の少年』、『恋恋風塵』、『悲情城市』等。
チュウ・チャンシェン(朱黔生)
1942年、貴州生まれ。上海電視台記者。72年、ミケランジェロ・アントニオーニがドキュメンタリー映画『中国』を撮影した時、スタッフを務めた。
ホァン・バオメイ(黄宝妹)
1931年、上海生まれ。上海第十七綿工場の労働者。模範紡績労働者として何度も表彰を受ける。58年、シェ・チン(謝晋)監督が彼女についてのドキュメンタリー映画『黄宝妹』を撮影した。
ウェイ・ラン(韋然)
1951年、上海に生まれる。『カラスと雀』等で知られる女優シャンカン・ユンチュウ(上官雲珠)の息子。油彩画を学び、中国建築工業出版社の編集者を務めた。

ウェイ・ウェイ(韋偉)
1918年、広東省中山に生まれる。上海に育ち、41年から女優として活躍。47年、『夜店』で初主演。48年に『田舎町の春』に出演した後、香港に移住。51年から香港映画界で活躍し、60年に引退。
バーバラ・フェイ(費明僅)
ソプラノ歌手。映画監督フェイ・ムー(費穆)の娘。49年、家族とともに香港に移住。50年から声楽を学び、フランスに留学。60年に香港に戻った後、ソプラノ歌手として活躍。

レベッカ・パン(潘迪華)
1931年、上海に生まれる。歌手、女優。49年、母とともに香港に移住。60年代から歌手として活躍。『欲望の翼』の演技でアジア太平洋映画祭助演女優賞受賞。その他の出演作品に『フラワーズ・オブ・シャンハイ』、『花様年華』等。
ヤン・ホァイディン(楊懐定)
1950年、上海に生まれる。"楊百万"の異名を持つ実業家。上海鉄合金工場の労働者であったが、88年、国債の取引で莫大な利益を得、上海株式業界の重要人物となった。
ハン・ハン(韓寒)
1982年、上海生まれ。作家、レーサー。99年に発表した小説「三重門」がベストセラーとなる。同時にラリー・レーサーとしても活躍。また、そのブログは中国で最も人気のあるブログの一つとして知られている。

<映画の中で使用された映画>
『ふたりの人魚』(1999)監督:ロウ・イエ(婁)
『紅い柿』(1996)監督:ワン・トン(王童)
『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(1998)監督:ホウ・シャオシェン(侯孝賢)
『中国(Chung Kuo-Cina)』(1972)監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
『黄宝妹』(1958)監督:シェ・チン(謝晋)
『舞台姉妹』(1964)監督:シェ・チン(謝晋)
『田舎町の春』(1948)監督:フェイ・ムー(費穆)
『欲望の翼』(1992)監督:ウォン・カーウァイ(王家衛)
ほかに『蘇州河』、『阿飛正伝』、『小城之春』の映画のワン・シーンもあるようです。
<映画の中で使用された楽曲>

「I Wish I Knew」 歌:ディック・ヘイムズ (→)
「雨夜花」 歌:テレサ・テン
「浪子心声」歌:サミュエル・ホイ
ジャ・ジャンクー監督の映画をまとめています。
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