映画「剣侠江戸紫」  監督:並木鏡太郎

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 なかなかの時代劇、特に脚本がよく書けている。
 実在の人を素材にした映画。113分最後まで観せます。

 時は17世紀、江戸時代前期のころ。
 当時、(将軍家直属の家臣である)旗本のひとり、水野十郎左衛門(嵐寛寿郎)という侍は、為政者側の身でありながら、江戸市中において「旗本奴」というやくざ集団を組織し、その頭であった。
 旗本奴の中でも白柄組は特に乱暴者ぞろいで、彼らは旗本を笠に、日々悪行狼藉を働いていた。

 かたや江戸には、町人身分の遊俠の徒である「町奴」という集団があった。
 この町奴の頭領、幡随院長兵衛(大河内傳次郎)は、旗本奴との無駄な争いを避けつつも、江戸市中の勢力を巡って白柄組と対立していた。

 さて、ここに登場するのが、白井権八(大谷友右衛門)という鳥取藩の若侍。(剣が立つ)
 この白井権八、あることで藩士達から疎外され精神的に追い詰められ、その結果、藩士である父の同僚(白井権八の上司)を城内で斬殺するに至る。(のちにあった江戸城松の廊下での赤穂事件のよう)そして白井権八は藩を捨て江戸へ逃げた。
 だが、殺された藩士の子、本庄助七・本庄助八の兄弟は親の仇討ちと、白井権八のあとを追った。

 話は進んで、江戸に来た白井権八が、ある日、白柄組の男達に取り巻かれて難儀していたところを、通りかかった幡随院長兵衛に救われ、客分の身となった。
 しかし、白柄組が白井権八にちゃちゃを入れたこの些細なもめ事は、「客分として白井権八をかくまわずに我に差し出せ」と言う、水野十郎左衛門による幡随院長兵衛への圧力へと発展する。(鳥取藩内の斬殺事件を水野は知っていた)
 また同時に、助七の白井権八仇討ちの一件を知った白柄組は、助七を利用しようとする。(助八は既に白井権八に斬られて死去)

0_20180526164000656.jpg ここに話に色を添えるのは、吉原一の花魁・小紫(山根寿子)。白井権八との仲が深まる。
 無職の白井権八は小紫と会うため、辻斬(つじぎり)をして吉原の金を作り出す。これを知った小紫は白井権八に、吉原を足抜けするから、どこか遠くへ駆け落ちしようと迫る。

 話を戻す。
 一度客分とした男を粗末に扱うことは、幡随院長兵衛、町奴の頭領の意地としてできない。(日本の侠客の元祖と言われている)
 幡随院長兵衛は、白井権八を水野に差し出さず、長兵衛自ら単身で水野の屋敷へ向かった。死を覚悟していた。
 だが水野は、この幡随院長兵衛の度胸、態度はあっぱれと、彼を褒め称え、杯を交わそうとした。
 しかし水野の部下は毒杯を長兵衛に飲ませる。これを知った水野はこの部下を切り殺した。
 そして、そのあと、水野は長兵衛を槍で刺し殺す。毒杯を飲ませた事が世間に知れては水野の恥だと。長兵衛は男らしく、まったく抵抗しなかった。

 一方、小紫は胸を躍らせ、渡しの舟着き場で白井権八を待っている。
 そのころ、当の白井権八は辻斬の罪のかどで、町奉行率いる一団に囲まれ非業の死を遂げていた。

 体制側の人々の振る舞い、そうでない人々の有り様、個人の正義、異端児排除、同調圧力と思考停止などなど、様々に読み取れるお話。
 
◆水野十郎左衛門(1630-1664)
 本名・水野成之、江戸時代前期の旗本。通称、十郎左衛門。
 詳しくはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/水野成之
◆幡随院長兵衛(1622-1650 or 1657)
 江戸時代前期の町人。町奴の頭領で、日本の侠客の元祖ともいわれる。
 詳しくはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/幡随院長兵衛
◆白井権八(1655頃-1679)
 本名・平井権八。江戸時代前期に実在した日本の武士。
 詳しくはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/平井権八

監督:並木鏡太郎|1954年|113分|
脚本:三村伸太郎|撮影:河崎喜久三|
出演:幡随院長兵衛(大河内傳次郎)|水野十郎左衛門(嵐寛寿郎)|白井権八(大谷友右衛門)|三浦屋の花魁小紫(山根寿子)|ほか多数

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