映画「我が家は楽し」(1951)  監督:中村登  出演:高峰秀子、笠智衆、山田五十鈴

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(左から)次女信子18歳(岸恵子)、長女朋子(高峰秀子)、三女光子、長男和男、
父・植村孝作(笠智衆)、母・なみ子(山田五十鈴)



 日本は、まだ連合国軍占領下(1945-1952)。
 戦後の混乱期をなんとか抜け出し、経済復興の糸口をつかもうとする1951年(昭和26年)のお話。
 人々はみな、一応に貧しかった。

 それでも植村の一家6人は幸せだ。
1_20180706171057b87.jpg 父親の植村孝作(笠智衆)は森永製菓の工場勤務の課長。仕事の出来るほうの人物ではないが実直で人当たりはいい。
 忘れ物の多い父さんだが、その穏やかな性格は一家のムードメーカーであり大黒柱。
 母親のなみ子(山田五十鈴)は良妻賢母、17歳で結婚し今年が結婚25周年。
 子供の病気や修学旅行費用などの出費で家計は赤字、母親はミシン仕事で家計を助けている。
 それでも家族の服も靴も雨傘も新調できずだが、家族はみな明るく我慢している。
 だが、お米が足りない。夕食の一家団らんの時、母親は、夫と子たちにはご飯をすすめ、自分はパンを食べてしのいでいる。(戦後の食糧不足は緩和されつつはあったが・・)
 そして、母親の奥の手は質屋であった。

 子供は4人一男三女。みな親思い、姉弟仲良し。
 次女の信子(岸恵子デビュー作)は18歳、高3で修学旅行目前。(戦時中途絶えていた修学旅行の再開まもなくの頃)
 長男は野球好きな小学生、三女はまだ幼子。
 さて、長女の朋子(高峰秀子)は無職、画家を目指している。
 朋子自身も就職を考え、叔母からも就職をすすめられているが、母親は絵の勉強をしなさいと言う。実は母親は若いころ画家を志していた。その叶わなかった夢を娘に託したい。(そして実際のところ、女性の勤め先はなかなか無い時代)

4_2018070619251916f.jpg 映画はこうして当時の、貧しいながらも、こうあれ、こうあってほしい理想の家族像を描くが、不幸も交える。
 朋子の絵の絵画展落選。朋子の彼氏内田三郎(佐田啓二)の結核による死亡(当時、疾患別死亡者数の順位で、結核は1位か2位と高い)
 父親の勤続25年の、永年勤続報奨金を、表彰の日の帰りにすられる。(ただし子たちへのプレゼントを買った残金だった。三女の玩具のピアノ、次女の旅行バッグ、長男のグローブ、長女へは敬愛する著名画家の画集)

 そして一番の困難は、この一家が住んでいる借家を追い出されることになったこと。(当時、手ごろな借家物件はとても少ない)
 だが、日ごろ行いの良い者は救われる。(のかも知れない)
3_201807061949200ed.jpg 叔母(なみ子の妹)の家に同居を許され一家が引っ越しする前日、一家と手伝いに来ていた叔母が、最後の夕食をとっていた時に、その朗報が届いた。

             

 この植村家は世田谷区か大田区辺りの私鉄沿線に住む、貧しいとはいえ、当時の中流層だろう。(植村家の家の向かいの洋館邸宅のレンガ塀が壊れているのは空襲によるだろうから、東京郊外ではなくて近郊と見た)
 一方、当時の都内の底辺の人々の戦後生活はどうだったろうか?
 それは、今井正監督の「どっこい生きてる」を観るのがいいかもしれない。映画「どっこい生きてる」の記事はこちらからどうぞ。

監督:中村登|1951年|91分|
原案:田中澄江|脚本:柳井隆雄、田中澄江|撮影:厚田雄春|
出演:植村孝作(笠智衆)|その妻なみ子(山田五十鈴)|朋子(高峰秀子)|信子(岸恵子)|和男(岡本克政)|光子(福井和子)|朋子の彼氏・内田三郎(佐田啓二)|なみ子の妹・福田かよ子(桜むつ子)|洋館邸宅に一人住む金沢老人(高堂国典)|朋子の画家仲間・小泉千代(楠田薫)|朋子が敬愛する大宮画伯(青山杉作)|勤め人で家主の馬場信太郎(増田順二)|その妻・夏子(水上令子)|叔母の紹介で朋子が務めた土建屋の社長(南進一郎)|永年表彰する森永製菓の社長(奈良真養)|ほか

こちらで、高峰秀子が出演の映画をまとめています。
決め


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