味がわかる人、わからない人。映画がわかる人、わからない人。

味がわからない、ということは名誉でも不名誉でもない。
それは、生まれつきであって、鼻が高い低いと同じで別に恥ずかしいことではない。
ただ、そういう人はうまいものをつくろうとか、料理を覚えようとかするには不向きだ。

人と生まれてモノを食たべない人はいないが、真に味がわかって心の楽しみとする人は少ない。
味に鈍感な人に対して 「ものをうまく食うにはどうすればいいか」
その答えは 「空腹にするのが一番」
だが味がわからないと言っても、まるっきり味がわからないということはない。
わからないなりに、やはり好き嫌いがあり、それなりに嗜好がある。
それを尊重して料理することが「ものをうまく食わせる」コツ。
幼児、成年、老年、金持ち、貧乏人、その人その人それぞれの嗜好を考え料理する。

世の中には自分は味覚の通人だと自認し、だが実際には何も分かってない人がいる。
このやからにうまいものを食わすには、トリックを用意するのが一番。
「これは、あの美味で有名な、尾張の大根です!」と言い添える。
すると彼の頭には尾張の大根はうまい、という先入観がすでにあるから、
「これはうまいことで有名という能書き」付きでうまいうまいと食う。

さて、世の中には味のわかる人がいる。
この人に、どう、ものをうまく食べさせるか。
それは少なくとも自分に「相手と同じだけの実力」がなければ不可能。
言い換えれば相手以上に自分が、「味に自信」がなければ、うまく食べさせられない。

自分の鑑賞力が高ければ、いかなる名画といえども、自分だけの価値を見出すことが出来る。
しかし絵画が、自分の鑑賞力より数段上であれば、その美の全部を味わうことはできない。
反対に自分の力が、絵画より上であれば、あらゆる欠点が発見される。
(春夏秋冬 料理王国 北大路魯山人 1960年刊行より要旨)

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さて、例えば、料理、絵画を、映画や本に置き換えて思い返してみようか。
誰でも映画を観れる、本を読める、が
わたしは、どれだけ観れてるか、読めてるか。

そう、映画を紹介する時の文章もトリックが必要かな?
商売用な文章なら必要だね。










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やまなか
Posted byやまなか

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