映画「東京の宿」(1935)   サイレント映画  監督:小津安二郎

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 働き口を求めて、子連れで東京をさまよう男の、昭和10年の人情噺だが、実験的な風合いもある映画。
 悲しい話だけれども、小津風のユーモア(親子の会話)が悲しみを和らげている。

2-0_201810201557462d7.jpg 海近くの、見渡す限りの埋立地らしき荒れ野。人影がまったく無い所。
 雑草生える一帯を貫く一本道、その道沿いに電柱がずっと向こうまで連なる景色。
 遠くには、幾本かの煙突が立つ大工場、近くにガスタンク。時折、トラックや電車が風景の奥を通り過ぎる。
 映画はこの空虚な風景の中に、主人公の喜八(坂本武)と二人の息子を置く。(三人の身の上を風景に託している)

 そのほかの登場人物は、3人だけだ。
 まずは、おつね(飯田蝶子)。
 埋立地の外れの街に、わびしい一膳めし屋があって、その女将が、おつね。
 今日も働き口が見つからなかった喜八は子を連れ、この店に入った。子たちはガツガツ飯を食う。(一日一食かもしれない)
 まったくの偶然だったが、おつねは喜八の昔馴染み。互いに再会を喜ぶが、喜八の心は塞ぐ。おつねは喜八のその後の境遇を知らない。

2-00_201810201601113f4.jpg そして、おたか(岡田嘉子)と、その幼い娘。
 埋立地で喜八と出会う。多くの宿泊客が雑魚寝する安宿でも出会う。
 おたかも子連れで職を探していた。やはり、この親も娘に満足に食べさせる金が無い。
 そして喜八は、そんな場合じゃないのに、おたかに恋心を持つ。

 さて、やっとのこと喜八は、おつねの紹介で念願の職を得え、部屋も借りれた。長男を小学校へ通わせる。
 喜八と長男の弁当は、おつねがこしらえた。
 喜八は、おたかとその娘に、おつねのめし屋で飯を食わせてやった。
 おたかを思う喜八の心は昂っていく、おたかのほうも満更でもない。

 ところが、ある日、おたかとその娘の姿が消える。
 実は、娘が高熱の病になり、入院させるため、すぐさま金が要る。おたかは、やむを得ず、安酒を飲ませる居酒屋の女となっていた。
 そしてまたもや偶然、おたかを失った喜八がヤケ酒を飲んでいる目の前に、おたかが現れる。
 事情を聞いた喜八はおたかに、こんな所で働くのは止せと怒った。

 喜八はその夜すぐに行動に出た。
 まず、おつねに、何の前置きもなく30円貸してくれと乞う。
 喜八は以前にもおつねに借金があったらしく、それは棒引きだが、もう貸せないと素気無く断られる。
 はやる気持ちを抑えきれず、見境がなくなったか、喜八は、ついに最終手段、どこかの家から金を盗み、そうして黙っておつねに渡した。

 街に警官が動き始める。
 察したおつねは喜八に問うた。「盗んだね」
 「おたかの娘をこのまま死なせるわけにはいかない」
 「馬鹿だね、あんたの息子たちのことは考えなかったのかい」
 「あとの事を頼んだよ」
 おつねは、ウンとは口に出さなかったが、素振りで示した。そして・・、
 「交番はどこだ?」と、喜八はおつねに聞いた。
         
 
 喜八とおつねの会話の中で、喜八の妻は子を置いて姿をくらました事は分かるが、映画はそれ以上の事は言わない。
 同じく、おたかのそれまでの事情も言わない。
 映画は、喜八、おたか、おつねの3人が抱える、それまでのそれぞれの「世間」を一切語らず、登場人物3人をただ、映画シーンの限られた時空の中だけで生かそうとする。
 それは、まるで水族館の水槽の魚を、のぞき見るがごとく、だ。

監督:小津安二郎|1935年|80分|
原作:ウィンザアト・モネ(小津、池田忠雄、荒田正男の3名合同ペンネーム)脚本:池田忠雄、荒田正男|撮影:茂原英朗|
出演:喜八(坂本武)|長男の善公(突貫小僧)|次男の正公(末松孝行)|おたか(岡田嘉子)|その娘の君子(小嶋和子)|喜八の昔馴染みのおつね(飯田蝶子)|警官(笠智衆)|←言われないと気付かない



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サム3



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