美術館に行ってきた。 ~根津美術館「新・桃山の茶陶」

上






 時には、こういう展示を見て、心を洗うのも良い。
 まずは、美術館のホールにある、中国6世紀ごろの菩薩像や如来三尊像をみて気持ちの準備。
 いざ、突入。
 たくさん展示されている黄瀬戸、志野焼、瀬戸黒、絵唐津、織部焼、一点一点丁寧に見た。
(桃山の茶陶は1596年~1624年に降盛を極めたという)
 主な展示作品リストはこちらから。(根津美術館公式サイトより)

 当たり前だが、茶陶などの器は、手に取って見るもの、絵画のように離れて見るものじゃない。だから茶陶をよく見ようと近づいて、ショーケースのガラスに、思わず額をぶつける音が時々聞えたりするのが可笑しい。
 欧米人や和服姿の女性が多かったのも目を引いた。

 私がこの特別展に興味を持ったのは、かつて京都三条通沿いに、「瀬戸物屋町」という瀬戸物商の街があったことや、近年の発掘によって多数の茶陶破片が出土し、「瀬戸物屋町」が「桃山の茶陶」発展に果たした多大な役割が解明されたと知ったからだった。
 京都の町を描いた洛中洛外図屏風に当時の「瀬戸物屋町」の様子が描かれている。
 また、日本最古の絵地図:京都の町地図である「都記」にその名が記されている。


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詳しくは下記の参考資料ふたつ・・・
 「三条「せと物や町」の成立と変遷」 ~(財)京都市埋蔵文化財研究所・京都市考古資料館  こちらからご覧ください。
 「三条せと物や町出土の茶陶」 ~(財)京都市埋蔵文化財研究所  こちらから

 両資料内に掲載の地図に、5か所の発掘現場の町名が記載されています。そのうちのひとつ弁慶石町には弁慶石※※が名所として建っています。
 また、有来新兵衛屋敷跡とあるのは、たぶん日昇別荘という上等そうな旅館です。

 京都へ行った折には是非、「瀬戸物屋町」を思い浮かべながら三条通を歩いてみてください。
 三条寺町からイノダコーヒ三条店のあたりです。

観光ガイドマップ風なのは、これがお薦め。
 「三条界隈」 ~京都市埋蔵文化財研究所  こちらから
 2ページ目です!(大きく拡大して見れます)

             

 桃山の茶陶が降盛を極めたというは1596年~1624年とのこと。
 本能寺の変は1582年。
 秀吉が市中の寺院を鴨川沿いへ強制移転し寺町通や御土居を作ったのが1591年。
 同じく秀吉は1590年に「天正の地割」で、「瀬戸物屋町」界隈を南北に通る道路、御幸町通と麩屋町通を新設した。
 これで「瀬戸物屋町」街の繁栄の基礎ができたのだろう。
 謎多き、聚楽第(建設期間1586年~1587年、1595年に破却)を見ていた「瀬戸物屋町」の商人たちは、御土居の七口のひとつ粟田口から続く三条通で、物流の玄関口の街で、大きな商いをしていたのだろうが、後世に言う「桃山の茶陶」の発展に尽くしているとは案外思ってもみなかったかもしれない。

※※弁慶石
 「増補 洛中洛外の群像 ~失われた中世京都へ」 瀬田勝哉(著) 平凡社ライブラリー
 これに詳しい。

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