映画「私が棄てた女」  出演:浅丘ルリ子, 河原崎長一郎, 小林トシ江  監督:浦山桐郎

上1

 この映画の核心は、とてもピュアな愛。
 若さゆえの、純で臆病な出会いだった。

1-1_201901261657089d0.jpg そのふたりとは、貧しい出でバイトに励みつつ、安保闘争に加わる早大学生・吉岡努(河原崎長一郎)と、中卒か高卒かで就職のため東北から上京、小さな工場で働く東北弁の田舎娘・森田ミツ(小林トシ江)

 やがてミツの素朴な心は描き出す。、貧しい今の生活を抜け出したいし、できることなら吉岡と一緒になり、早稲田大学を出る彼の将来にぶら下がり、小さな幸せを得たい。
 しかし吉岡は、もっと上昇志向の強い人生を考えていた、だから、それに不釣り合いなミツという女に重荷を感じ始めていた。
 そしてある日、吉岡はミツを棄てた。(一夜を明かした浜辺の漁師小屋にミツを置き去りにしてしまう)

0-2_20190126165816cfd.png もうひとつの愛。
 それは吉岡と三浦マリ子(浅丘ルリ子)との、少し大人な出会い。
 マリ子は、吉岡と同じ職場の女性で、この会社のオーナー社長の姪。
 マリ子は上流階級の環境で育ったが、心の底でそれに違和感を持っていた。なぜなら実はマリ子の家の経済は、伯父からの借金に支えられていたからだった。

 一方、貧しい家庭に育った吉岡は、マリ子の一族のブルジョアさに大いに負い目を感じていた。だがマリ子はそんな思いを抱く吉岡に同調しようとする。そして吉岡を受け入れがたく思う一族の目を彼女は無視するのであった。
 こんなふたりは、やがて結婚。
 しかし新居は伯父から借りた代官山ハイツだった。(代官山にある当時高級なマンション)
 それでもマリ子も吉岡も、それぞれに思うそれぞれを勝ち取った生活がスタートする。
 だがマリ子は、以前から結婚後も、吉岡の中にある冷たい一点を漠然と感じていた。それはマリ子にとって疎外感を感じる何かであった。

2-0_20190126171444201.jpg ところで、ある日、まったくの偶然であった吉岡とミツとの再会が、この先、マリ子をも巻き込み、三者の心は乱れ荒れていくのであった。
 この悪い流れを作り出したのは、吉岡が顧客接待する場で出会った女であった。この女はミツの居場所を知っていて、ミツから聞き出した吉岡の過去を利用し金に換えようとする算段であった。

3-0_20190126171746e0a.png この女が仕組んだとは露知らずの吉岡は、ミツとの再々会を冷静に喜んだ。その場のふたりの会話は、それぞれの告白の独り言のようでもあった。
 だが、この場の盗撮写真とミツが大事に持っていた吉岡からの昔の手紙をネタに女は、マリ子(の一族の金が目当て)を揺すり始めた。
 この段になってミツは、女とその男ともみ合い、窓からの、あっけない転落死となった。それは自殺のようにも見えた。
 
 マリ子にとって、ミツという存在含め、難は去った。
 ふたりが住み始めた賃貸アパートの、陽だまりのベランダに立つマリ子は安堵な様子なのだが・・。
 マリ子は吉岡との出会いで、平凡な一般庶民の普通のしあわせを夢見、それを手に入れたのではあった。
 さて吉岡は今、何を思っているのだろうか、映画は語らない。


 よく出来た、いい映画です。
 森田ミツ役の小林トシ江が主役と言っても良いかもしれない。いい演技だ。
 吉岡に棄てられたのちのミツの生活など、ここに書かなかっ数々のたエピソードは物語を豊かにしています。
 俳優の背景、例えば背景を通り去る電車などにも気を配る撮影です。
 ラスト近くの吉岡が見る幻想も凝ってます。
下

監督:浦山桐郎|1969年|116分|
原作:遠藤周作|脚色:山内久|撮影:安藤庄平|
出演:吉岡努(河原崎長一郎)|三浦マリ子(浅丘ルリ子)|三浦ユリ子(加藤治子)|森田ミツ(小林トシ江)|森田八郎(加藤武)|森田キネ(岸輝子)|深井しま子(夏海千佳子)|武隈(江角英明)|長島繁男(江守徹)|友人太田(山根久幸)|清水修一(辰巳柳太郎)|清水綱子(織賀邦江)|清水修造(大滝秀治)|清水友枝(北原文枝)|清水修巳(中村孝雄)|清水由起子(阪口美奈子)|大野義雄(小沢昭一)|赤提灯のてる(佐々木すみ江)|医者(遠藤周作)|医者(佐野浅夫)|看護婦(園佳也子)|


浦山桐郎 監督の映画
写真
私が棄てた女
写真
非行少女


【 一夜一話の歩き方 】
下記、クリックしてお読みください。

写真
写真
写真
写真
写真
関連記事
やまなか
Posted byやまなか

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply