浅草へ行ってきた。
2019年04月05日 公開

晴れの土曜日に、浅草へ行ってきた。
浅草寺の雷門から、本堂へと続く仲見世通りの人出は、なるほどTVで見るとおり。
たぶん2/3以上は外人観光客だと思われる。
しかし、混雑を抜けて行った先の本堂前には、意外にも人数が少ないのです。
つまり混雑の多くは、仲見世通りの途中にある脇道の飲食店へと、散って行くのでしょう。

雷門から少し歩いて、雷門と昔あった吉原遊郭の中間地点にある店。
年配の女将が頑張っている、間口の広い店。
来店すると、下足番は太鼓をドンと鳴らす。
下記は、動画をあげてらっしゃる方による、鍋の様子です。
https://www.youtube.com/watch?v=usa3FMk6-WU
はじめは、このように店の女の子がこしらえてくれます。
鉄皿のような、この小さな鍋で4人前までをこなすんです。
私はビールを飲みながら頂きました。
木造の風格ある米久の店内は、大広間の座敷にいくつもある小部屋。
そしてそのどれもがアジア人観光客でいっぱい。平日はほぼ100%観光客とのこと。
私たちは、女将の機転で離れに通してくれました。
ちなみに、私たちに続いて離れに来た客はみな日本人客、そういう交通整理なんだ。
次に、河岸を変えてもうチョイ飲もうということになり、浅草の街をあちこち歩いて店探し。
隅田川にかかる吾妻橋のたもとにある、電気ブランで有名な神谷バーに立ち寄ったのですが、ここも観光客でいっぱい。
こりゃ、高速のサービスエリアにある賑わう大食堂か、昼休みの学食か。
入口で「二人です」と言うと、店の人は「自分で空いた席を探してください」とケンモホロロに言われて、即、店を出た。
結局、すしや通りという通りにある、三岩という小さな店に入る。(創業昭和2年)
品書きを見ると、上段につまみ類、下段に丼物、寿司、鍋類が並んでいる。常連相手の、街の飲み屋という風情。
聞くと、年配の女将も、うちは地元の店ですとおっしゃっていた。
店内は、街のお年寄りグループや、お銚子二本を前に何か食べてる若い女性二人組、独り飲みが三人、そのうちの一人は和服姿でビシッと洒落ている。
いいですね、こういう店。

隅田川の対岸はアサヒビールの工場で、店員は「うちは川向こうから、出来立てのビールを工場のタンクから、直接引いてるんです」てな冗談が言えた。(金色のオブジェが無かった頃)
観光立国なんて言われますが、観光ブームに乗ってやって来る大勢の客たちを受け入れるキャパシティには、ある一定の限界ってあるように思う。
浅草寺のように無料で境内に入れる敷地が広い観光名所、それと対比して例えば京都の銀閣寺、それぞれにキャパは違う。
また、浅草という街自体には十分にキャパはあるが、個々の店単位に考えればキャパに限界がある。
キャパの限界近くを維持することは、繁盛につながるけれども、名所や店の伝統や文化みたいなものは、少しずつ擦り切れていくような気がします。
浅草の、どじょう・うなぎ・やつめうなぎ、の長物専門店
ちょっと観光気分で以下、お読みください。
駒形どぜう(浅草本店) 東京都台東区駒形1-7-12 店のサイト:https://www.dozeu.com/asakusa/
200年余の歴史あるどじょう専門店。雷門から少し歩く。
以前に記事にした映画「ふりむいた花嫁」のモデルになった店らしい。(題名をクリックして記事をご覧ください)
(以下、この店のサイトより転載)
「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越後屋助七は、武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。
当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。
初代が始めたどぜうなべ・どぜう汁に加え、二代目助七がくじらなべを売り出すなど、商売はその後も順調に続きました。嘉永元年(1848年)に出された当時のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』には、当店の名が記されております。
やがて時代は明治・大正・昭和と移り変わり、関東大震災、第二次世界大戦では店の全焼という被害を受けます。
しかし多くのお客様のご支援と先代の努力もあって、江戸の味と建物は現在の七代目へと引き継がれております。
鰻 駒形 前川(本店) 東京都台東区駒形2-1-29 店のサイト:http://www.unagi-maekawa.com/shop/
ここも200年の歴史がある。高級店だ。店から出てくる客層がほかと違う。
どじょう屋を見学してのち、一本隅田川寄りの裏道を歩いていたら、美味そうな蒲焼の臭いで見つけた。
(以下、この店のサイトより転載)
創業は文化・文政期(約二百年前)。もとは川魚問屋でしたが、初代勇右衛門が鰻料理に転じました。
水清らかに情緒豊かな大川にのぞむところから屋号を「前川」としました。
その頃はお客様も舟で通われました。
中州から舟で柳橋に遊び、 前川に立ち寄って蒲焼きを賞味し、さらに水神へ廻るのが、当時の通人のコースとされていました。
現在の場所に移ったのは、関東大震災の後の都市計画によるものです。
八ツ目製薬株式会社・八ッ目鰻本舗 東京都台東区浅草1-10-4 店のサイト:http://www.yatsume.co.jp/honpo.htm
明治末期創業。漢方生薬製剤、伝統薬、自然薬、健康食品、薬味酒等を販売。
ここは雷門の近くです。
店頭のショーケースに目が行きます。
◆最後に、雷門の大きな提灯には、松下電器、裏側には松下幸之助寄贈というプレートが付いています。
一方、大阪のシンボル、通天閣のネオンサインは、関東系電機メーカー日立が広告主です。
さて、この関係知りたい方は、ネットで検索してみてください。
【 一夜一話の歩き方 】
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