映画「愛の予感」 監督:小林政広

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宿の廊下にて。待ち構える典子を無視して、順一は立ち去っていく。


0_20190924121343d96.jpg シングルマザーの典子の娘が、父子家庭の順一の娘を刺し殺した。ともに14歳の一人娘で同級生だった。
 映画は、それぞれの親がテレビ局のインタビューに応じているシーンで始まる。(いかにもテレビ局らしい、安易な正義をかざした質問を投げかけている)
 このシーンで、観客は事の起こりを知らされる。

 しかしタイトルが「愛の予感」と言うように、加害者/被害者の親という、最悪の立ち位置から果たして愛は生まれうるのか。映画は、これに挑戦する。
 さらには、愛の行方を、愛を語るにありがちな装飾音符を、映画は一切排除して語ろうとする。つまり、順一も典子も終始、無言、無表情。また、愛の芽生えさえ打ち消すほどに物語の表現は無機質。
 
 殺人事件は東京で起こったが、その後、順一は苫小牧へ越し、初老の体力を押して製鉄所の溶鉱炉で現場仕事をしている。
 そして日々、出稼ぎ労働者らが利用する安宿の、狭い一室を定宿にし生活している。(そこは独身寮のよう。食堂室で朝夕出される食事は、配膳盆に乗った、まさに寮のまかない飯だ)
 そんな順一の一日の行動を、決まりきった味気ない様子を、カメラは毎日毎日繰り返し繰り返しミニマルに映し出す。

 そしてなぜか、この宿の厨房で、まかないさんとして典子が働いている。
 映画はそのなぜを語らないが、順一を追ってきたのだろう。(偶然出会ったとすれば、あまりに安っぽい設定になってしまう)
 なぜ追ってきたのか、それは以前から典子は順一に会って直接謝罪したいと願っていたからだ。一方、順一はそのことをインタビュー時に知ったが面会を拒んでいる。(インタビューのTV放映で互いの顔は知っているようだ)
 そして典子の一日の行動もまた、決まりきった味気ない様子、カメラは順一同様、典子の変化の無い毎日を繰り返し幾度も映す。

 典子は宿の食堂で食事する順一を厨房から毎日垣間見ては、悶々としながらも謝罪の機会を伺っているが、さて順一は典子の存在に気づいているのかいないのか‥。
 しかし、毎日のことだ、やがて順一は典子を意識し始めるのであったが‥。

 典子を演じる渡辺真紀子は、表情をカメラに見せない。
 背を向けてのシーン。あるいはサングラスをしてのインタビューシーン。そしていつも俯いて前髪が垂れて表情は隠れている。
 そして物語の歩みは鈍い。(心中の葛藤ゆえ‥)
 さらに、くどい程のシーンの繰り返し。だが、変化の無いようにみえる毎日だからこそ、わずかな変化が読み取れる仕掛け。その変化を見逃すと、途中で飽きるでしょう。
 ちなみにラストで「愛があればいきていける」と監督が歌っています。(フォークシンガーいとうたかおのような歌いっぷり)
 あと、どうでもいいようなことだが、この映画を見終えると、無性に生卵かけご飯が食べたくなります。きっと


監督・脚本:小林政広|2007年|102分|
撮影監督:西久保弘一|作曲・作詞・主題歌:小林政広|
出演:順一:小林政広|典子:渡辺真紀子|(声):中山治美|
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Posted byやまなか