映画「浴室」(1988) フランス映画 監督:ジョン・ルヴォフ  

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 浴室のバスタブを安住の地とする彼。
※     ※     ※
 他人に理解されにくい、引きこもり系の若い男の、言われなくても分かってんだけどね‥の状況から、引きこもり脱却への自助努力と、彼女との愛を描く。
 押し殺したユーモアを全編に にじませた一作。静かな静かな映画です。

 彼のまわりには彼女や母親がいて、優しいし、身の回りの世話も焼いてもらっているが、彼はそれに甘えつつも、その時々で引きこもりの度合いを足し引きしている。
 こんな日々に至極満足な彼にとって厄介なことがおこる。ちょっとした事を理由に、無遠慮にずかずか家にやって来る知り合いの輩が二人。彼の無上の私空間を犯す。どうしようもない。

 そんなある日、彼はひとり、ベネチアへゆく。(逃避であり、自助努力の一歩かも)
158284d617213f9a82966505a30dc6f4 (3) しかし、ホテルに泊まって観光ってわけじゃなく、案の定、ホテルを出ないでいる。ただし頻繁に彼女に長距離電話をする。
 そのうち彼女が彼を追ってホテルに押し掛けてきた。(初めから彼はダブルベッドの部屋をとっている‥)
 ふたりでベネチアの街をあちこち歩く。彼女は観光ガイドパンフレットを見ながら名所を巡るが、いやいや付いて行った彼は、彼女の見学を名所施設の外でぼんやり待っている。
 そして彼は部屋にひとり戻って、どこかで買って来たダーツに夢中になっていく。(これがなかなかうまい)
 そんなだから、ついに彼女が怒った!と同時に彼もかっと来て、振り向きざまに手に持っていたダーツの矢を投げる、彼女の額に当たった。(この映画で最も緊張が走るシーン)
 救急で病院に担ぎ込まれた彼女は、その後、だんまりで家へ帰る。

 そして日を置いて彼もパリへ帰る。その途中、居合わせた見知らぬ男と世間的な会話を楽しむ彼の様子が映し出される。
 帰宅後、彼は浴室のバスタブに入らず、自身の周りへの視野が広がったのか、脚立を取り出して、台所の切れた電球を取り換えている。(今までにない振る舞い)
 そこへ彼女が現れる。脚立に立ち、切れた電球を手にする彼は、食卓テーブルの上を指して「そこの電球を取ってくれる?」
 微笑む彼女は、脚立の上の彼に「新しい電球」を手渡すのでした。(終)

 この映画、白紙の画用紙の上に登場人物を置くように、浴室など室内シーンの背景に極力、物を置かない設定で話が始まる。
 そして映画はその後、彼の引きこもり(精神)が解放されて行く具合を、シーンに反映させて行く。
 例えば、ベネチアの野外シーンで街並を映すが、それはまるで廃墟の街のよう。彼と彼女二人以外の人影がまったく無いのです。
 しかし、人影、つまり通りすがりの他人の初めての登場は、ラスト近く、彼がパリに戻る途中で出会った男であり、このシーンは彼の心の変化を匂わせている。

 この映画がユーモアある作品に仕上がっているのは、引きこもりの彼に何の金の不自由もない設定になっているからだろう。ただし裕福さを映画は言おうとはしていない。彼の経済をも白紙状態にして、彼の内面を浮き立たせることを狙っています。ファンタジーなのです。
 話は変わるが、彼女はなかなか出来た女性です。
 
 予告編は観れないですが、こちらからテーマ音楽が聴けます。初めの曲はフランス風でありながら、滑稽さ奇妙さ、彼のタドタドシさを感じます。
予告編 決め2
https://www.youtube.com/watch?v=9dG3RBcIRAc

オリジナルタイトル:LA SALLE DE BAIN
監督:ジョン・ルヴォフ|フランス|1988年|91分|
原作:ジャン・フィリップ・トゥーサン|脚本:ジョン・ルヴォフ 、 ジャン・フィリップ・トゥーサン|撮影:ジャン・クロード・ラリュ|音楽:シャルレリー・クチュール|
出演:Le Personnage トム・ノヴァンブル|Edmondsson グニラ・カールセン|Kabrowinski イルジー・スタニスラフ|Kowuiskazinski イェジ・ピーヴォワルチック|La Mere du Personnage アヌーク・フェルジャック|L'ami des parents フィリップ・モリエ・ジェヌー|
0 (2)
浴室の彼と、よく来る彼女。
右は玄関ドアに立つお茶目な彼女、彼とのベッドを出て無遠慮な来訪者を追い返そうとしているが‥。


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やまなか
Posted byやまなか