映画「カツベン!」活動弁士と泥棒稼業、幼馴染みへの愛と映画女優誕生  監督:周防正行

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活動弁士(カツベン)とは、サイレント映画の時代に、スクリーン脇で、講談や浪曲や落語など、それまでにあった話芸を流用して、映画のシーンを観客に説明する職業の人々です。
そして、楽士たちの生演奏が活動弁士の語りを盛り上げました。

この映画は、さまざまな活動弁士が活躍する中、紆余曲折の末に、弁士になれた俊太郎(成田凌)のあれやこれや、それと、スター弁士になった俊太郎に言い寄る女たち、しかし俊太郎は幼なじみの栗原梅子(黒島結菜)との愛を全うしようとします。二人の愛はいかに!
さらにラスト近く、梅子の願い、映画女優への道を、俊太郎は遠くからでしたが、開いたかのようでした。

中1


時は、100年前、大正時代(1912~1926)だそうです。
俊太郎は、子供のころから、村で上映される活動写真の「活動弁士」を見て聴いて、弁士になりたい‥と思っていました。
とりわけ、第一級スター山岡秋声(永瀬正敏)の語りが好きで、モノマネまでできるほどに山岡に憧れていました。。
幼馴染みの梅子は、俊太郎のそのモノマネを見ながら、密かに映画女優になりたい思いを秘めていました。
さて、この先は、もう予告編をどうぞ!

予告編 決め
https://www.katsuben.jp/

中2俊太郎と梅子、10年ぶりの再会


★          ★
映画の中で、時代の先を読む弁士・山岡秋声が「弁士なんて仕事はナ‥もう不要なんだ、スクリーンを観てりゃ説明なしで分かるんだよ」と俊太郎に諭すシーンがある。
これは、活動写真が世に普及して、活動写真というものを観る目が観客側にそろそろ出来てきたことを、仄めかしているのでしょう。
そうだとすれば、弁士なんてスクリーン脇で要らぬ話芸をする色物だと、かつてのスター弁士、山岡秋声は苦悩するのです。

ちなみに映画は語らないが、日本初のトーキー映画(音声付映画)は1927年。それは大正が終わっての昭和2年。このころから徐々にですが、弁士の存在は薄れていくのです。ただし、1938年(昭和13年)当時でも、日本では映画製作の3分の1は、まだ無声映画だったそうです。弁士はいたのでしょう。

それから、日本映画の父と言われる牧野省三※( 山本耕史)と、1925年の『雄呂血』の監督二川文太郎※(池松壮亮)が映画に出てきます。
※牧野省三(1878-1929)、二川文太郎(1899-1966)

最後に、活動弁士の味わい深い語りと活動写真を、今、あらためて楽しんでみてはどうでしょうか。
この映画の活動弁士の監修をなさった澤登翠さんは、現代の名弁士です。
澤登翠さんのツイッターです。
https://twitter.com/sawatomidori


監督:周防正行|2019年|127分|
脚本・監督補:片島章三|撮影:藤澤順一|活動弁士監修:澤登翠|
出演:染谷俊太郎(成田凌)子供時代(牛尾竜威)|栗原梅子(黒島結菜)子供時代(藤田りんか)|活動弁士の山岡秋声(永瀬正敏)|活動弁士の茂木貴之(高良健吾)|泥棒やくざの永尾虎夫(音尾琢真)|映画館「青木館」の館主の青木富夫(竹中直人)|その妻の青木豊子(渡辺えり)|「タチバナ館」の館主の橘重蔵(小日向文世)|その娘の橘琴江(井上真央)|日本映画の父牧野省三( 山本耕史)|1925年の『雄呂血』の監督二川文太郎(池松壮亮)|ルパン三世の銭形警部のような刑事・木村忠義(竹野内豊)|三味線楽士の定夫(徳井優)Good!|映写技師の浜本祐介(成河)|ほか

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Posted byやまなか