映画「かくも長き不在」(1960)  監督:アンリ・コルピ

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物語の舞台は、大戦後のフランス、パリ。1950年代後半でしょう。
テレーズは、セーヌ近くでカフェを構える、女あるじ。
彼女はこのところ、一人のみすぼらしい浮浪者を遠目に見るたびに、彼の存在に気を取られている。
16年来、行方不明の夫に似ている。夫かもしれない‥。そんな思いが日に日に募り、テレーズは込み上げる気持ちを、ますます抑えることができなくなっていく。
しかしテレーズはそういう素振りを周りに見せない。
そんな折、テレーズは思った。一度、彼に会って話してみたい。ちょうど、これからは夏のバカンス・シーズン、パリに人影がプッツリと途絶える時期。人目を気にしなくていい。

テレーズの過去。
テレーズは、戦前、故郷でアルベールと結婚した。幸せな日々だった。
だが夫アルベールは、その後ナチスドイツに抵抗するレジスタンスの一員になったんだろう。ある日、夫はゲシュタポに連行され、その後まったくの消息不明となった。そのころテレーズは、夫の死を確信した。いや、繰り返しそう思うようにし続けてきた。
それから、はや16年の歳月が経った。

人影ないパリで、テレーズは幾度も浮浪者に会い、店にも招いて、人嫌いな彼に、穏やかに、少しずついろいろなことを聞き出し、そして分かったことは‥。
空き地に捨ててある古紙の回収で食いつなぐ、この浮浪者は夫アルベールのようだ。ようだじゃない!まったくの記憶喪失になってしまったアルベールに違いない。妻の、女の勘。
中2


だが本当にそうだろうか‥。映画は観客にそう思わせる。
例えば、テレーズは自分のカフェに、浮浪者とテレーズの親戚を招いて、親戚に検分させますが、「あれはアルベールじゃない」と言うシーンも加えている。
だがもちろん、テレーズに寄り添う気持ちで観れば浮浪者はアルベールなのでしょう。
でもテレーズは、ラストシーンで、去って行く夫を追わない。ここに居て、行かないでと叫ばない。記憶喪失の夫の悲しい気持ちを噛みしめながらも、テレーズは思うのだろう。夫だが他人だと。

そして、その浮浪者が去り行くシーンで。
テレーズを見守るカフェの常連たちから、大声で突然、自分の名を呼ばれた浮浪者は、思わず両手をあげてしまう。これは何を意味するのか。
夫アルベールらしき浮浪者は、ゲシュタポの拷問による記憶喪失に加えて、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のようだ。
彼にはナチスの恐怖が今も残り、ゲシュタポに名を呼ばれたと思って手をあげたのだ。
彼は、幸せだった日々を含め、拷問を受けたころ以前のすべてを忘れ、ただ自身の名前と恐怖心だけが記憶にあったのでした。言わば人格の死、人間性の死。
中1


映画は、98分の尺のほとんどを使って、「もしかしたら夫か」という気付きの日から、焦燥感に似た心境に至るまでの、テレーズの心の推移をていねいに描きます。
かつ、映画は、テレーズの若き日々、夫との幸せだった時代のシーンを一切描かずに、テレーズの質素な店と、殺風景なパリのセーヌ河畔だけで物語を描きました。ここに冗長さはまったく見られない。いい映画です。
中3


予告編です
冒頭、テレーズの店のジュークボックスから穏やかなシャンソンが流れ出します
予告編 決め
https://www.youtube.com/watch?v=tzUdyiR0yKo

日本版の予告編
上とは違うシーンが観れます
予告編 決め
https://www.youtube.com/watch?v=U35SNaFU354


原題:Une aussi longue absence|SUCH A LONG ABSENCE
監督:アンリ・コルピ|フランス|1960年|98分|
脚本・脚色・台詞:マルグリット・デュラス、ジェラール・ジャルロ|撮影:マルセル・ウェイス|音楽:ジョルジュ・ドルリュー|
出演:テレーズ・ラングロワ(アリダ・ヴァリ)|浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)|フェルナンド(シャルル・ブラヴェット)|ピエール(ジャック・アルダン)|ほか

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やまなか
Posted byやまなか