「字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ」 太田直子著 光文社新書

字幕本00_ 「字幕は映画理解のための補助輪」、だから存在を主張してはならない、らしい。空気のように水のように、あって当たり前、でも無いと困る字幕。(大変お世話になっております)
 (著者いわく)、読んでいることを意識させない字幕、目の端で読んでいるのだが「外国語のせりふがわかる気持ち」にさせてくれる字幕、理想は「透明の字幕」らしい。

 1秒間に字幕・4文字(4文字/秒)が、観客が読める速さとなっているのだそうだ。五七五なんて世界より制限される。だから字幕は翻訳というより要約、ときに意訳なのだそうだ。早口のせりふとか大変そう。それも、ふたりの俳優が同時にわめき合ってる場合なんかね・・・プロならではの高度な技術だ。
 字幕の量については、90分の映画の字幕数は平均1000。せりふが多かったり、ナレーションがあったりで、その数、倍になることも。
 字幕を作るには、外国語の台本だけではできないらしい。台本を片手に映画を何回も見る。なぜなら台本の字面だけでは、俳優がせりふを何秒間で言っているかが分からない。(当たり前ですが、セリフを言ってる間だけ字幕が表示されてる) また例えば年齢・職業・服装・色・大きさ・天気など映画を見ないとわからないことも多い。時代背景や文化など様々な勉強も必要だろう。
 (著者は問う)映像がめまぐるしく展開する映画を一度見ただけで、きちんと理解できるだろうか? 字幕屋は1作品を最低でも3度、時によると10度ほど見る、それでも見落としや勘違いが結構ある。そして優れた映画ほどその度合いは高い。(そうだよなー、観るだけの我々は、ほんとにわかって観ているのだろうか?耳が痛い)

 著者が聞いた若者ふたりの会話。
 「映画、見に行ったよ」
 「へえ、どんな映画?泣けた?」
 「うん、まあ良かったけど、泣くほどじゃなかったな」
 「えー、映画見て泣かなきゃ意味ねーじゃん」

 今や、映画業界では、涙・感動・泣けるは最上の宣伝文句。(らしい)
 誰でもが感情移入しやすく涙を誘いやすい「わかりやすい」ストーリーが求められている。(これが売れ筋なんだよね) だから、俳優はどういうセリフを言っていようが、「わかりやすく、泣ける」字幕にしてしまうらしい。あわせてチラシやパンフレットで、この映画はこう見るんですよ、そう見ると泣けますよ癒されますよと、原作をねじ曲げて解説してくれ広告する。(観客動員、観客動員)
 (著者いわく)せっかくいい映画を買い付けてきたのに、売るためにおかしなねじ曲げ方をしないでくれ!
 (以前このブログで書いたが、ねじ曲げられれた邦題、その邦題に沿ったポスターデザイン・・・・字幕もか)

 さらに著者がシネコンで聞いた話。
 「吹き替え版は満員?」
 「しょうがないな。字幕版でも、まあいいか」
 (著者いわく)字幕の将来は、明るくないらしい。

 字幕に不信感を持ったことは今までなかった。
 きれいなイギリス語発音で私でも少し単語が聞き取れる場合、字幕と違うなと感じることは確かにあったが、ま要約だからと流して来た。日本語しか分からない、字幕頼りの私は、この本読んで正直いやな感じ。低予算で字幕製作を素人がやっているケースもあるらしいし、ねじ曲げられていることもあるとは重大だ。
 英語がわかる人と字幕を見ていると、「ちがうちがう変じゃん」とか言ってるよね。うらやましい!

 私のブログの中に、著者太田直子氏の字幕作品があるかな?と思ったらあった「エルミタージュ幻想」 「フルスタリョフ、車を!」 
関連記事
やまなか
Posted byやまなか

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply