映画「フルスタリョフ、車を!」 監督:アレクセイ・ゲルマン
2011年07月09日 公開

首から上じゃ理解できなくて、身体でヅーンと受け止める映画です。
映画製作のお作法・お約束事から、とても逸脱した特異・孤高の映画です。よって観客もいつもの文法でストーリーを読み解くことができません。私の前の席の人は上映開始10分で退場していきました。(池袋・新文芸座)
1998年製作ですが映像はモノクロです。
話は1953年のソ連。主人公はモスクワの大病院の脳外科医ユーリー・クレンスキー将軍。人一倍体格がよく、いつも軍服で急ぎ足そして横暴。家庭でも病院でも我が物顔に君臨する。自分が人生の頂点にいることを自覚していて日々楽しんでいる。時に子供のように有頂天な振る舞い。

彼の自宅には狭いながらたくさんの部屋があり、各部屋には調度品や食器や衣服、それから意味不明なもの(例えば体操で使う吊り輪)とか狼の頭部剥製など小物類が雑然とあふれ返っています。今観るとそれらはどれも骨董品のようです。病院でも幾多の部屋・病棟病室・倉庫に不思議な医療機器がある。そして例えば、これらの物の向こうに窓があり、窓越しに雪が降っている。さらにその先ずっと向こうに見える街灯の明かりの下を黒っぽい人物が通り過ぎている。スクリーンの隅だけ観ていても、そこにストーリーが発見できるのです。
また録音はどんなに小さな音でも逃さずに録られています。キシキシ雪を踏む音、食器のふれる音、ブリキを叩く音、くしゃみなどいささか耳障りなほどです。とにかく情報量が膨大で、ボーっとしていては、大切なことを見逃してしまいます。

こちらは真剣に観ていると気が狂います。
まず、彼の家には、とてもたくさんの人がいるんです。彼の親、妻子、いそうろう一家、これプラス、親戚、近所の人々がわんさか、常時いる。そして、各人それそれ、テンデバラバラに大声の独り言・わめき・叫び・怒り、向き合って会話していても互いに言ってる事が違う。そんな登場人物がカメラの前を入れ替わり立ち代わり。カメラが各部屋をめぐって、室内に入るごとに、こんなセリフと人々があふれ返っていて、食事をしていたり酒を飲んでたり家事をしていたりボーっとたたずんでいたり便所の前で待っていたりしている。延々と続くのです。なんなの、この人たちは!! あまりのエネルギッシュさにこちらの頭はくらくらします。病院でのシーンも同じです。たくさんの医師たち、看護師たち、精神病患者たち、たくさんの部屋。
要するにまったく意味不明! わかることは映画に情報がギッシリ とつまってる。
とまあ、総上映時間の半分以上を占めるシーンは、人々のこんなセリフです。
で、残りの上映時間はストーリーになってます。それは史実をから来ていて、こうです。
ソ連首脳とその側近がいるモスクワのクレムリン。このクレムリンにいる著名なユダヤ人医師たちによって、ソ連指導者の毒殺が計画されていたという『医師団陰謀事件』。このでっち上げ情報を理由に多くのユダヤ人医師が告訴・逮捕された。実はこれはスターリンの策略で、狙いはソ連領内ユダヤ人の大粛清。これを実行すべく、ユダヤ人を迫害・排斥しようとするキャンペーンが1953年1月13日に党機関紙で公表され、多くの一般ユダヤ人に対して、解雇、逮捕、強制収容所への連行、処刑・虐殺の用意が行われ始めた。
ところが2ヵ月もたたず、3月5日にスターリンが死去。死後、逮捕された全ての医師はすぐに解放され、この医師団陰謀事件全体はでっち上げだっだと公表。ユダヤ人への迫害、ユダヤ人強制移住計画は中止に。この事件に直接関与したソ連の情報機関・秘密警察の役人は逮捕される。党機関紙による反ユダヤキャンペーンは終わった。

主人公の脳外科医ユーリー・クレンスキー将軍はユダヤ人で、ソ連指導者への毒殺計画陰謀のメンバーとみなされ強制連行される。彼ひとりだけが連行されるトラックの中で、彼は数人の兵隊から性的暴力を受ける。翌日、このトラックを追いかけてくる一台の高級乗用車。秘密警察である彼らは、ボロボロになったユーリー・クレンスキー将軍を救い出し自宅に送り届ける。再起したユーリー・クレンスキー将軍を乗せた秘密警察の車は、雪道を郊外へと突っ走って辺鄙な林間で停車。もう一台の車が待っていて、彼を乗り換えさせ、さらに田舎へ。たどり着いた一軒家に入ると、スターリンの側近にして秘密警察長官ベリヤが一人で出迎えた。あの部屋にスターリンがいる。脳卒中でベッドに寝ていてすでに意識はない。小声で「治療しろ」と言う。ベリヤ長官はもう手遅れと思っている様子。ユーリー・クレンスキー将軍はスターリンのベッドサイドに立ち診察するが、「私にできることはない」と言う。物音ひとつしない室内は死臭が充満している。そして、ある処置をし、スターリンは息を引き取る。

スターリンの死去。スターリン主義が重く苦しくおおっていた暗雲の時代が終わりを告げる。
ユーリー・クレンスキー将軍は、家を捨て放浪し、ロシア独自の犯罪集団であるロシアン・マフィアに加わる。
新たな人生が開けようとしていた。(→)

原題:Khrustalyov, mashinu!
出演:ユーリー・アレクセーヴィチ・ツリロ:ユーリー・クレンスキー将軍(外科医)
ニーナ・ルスラノヴァ:ナターリャ、将軍の妻
ミハイル・デメンティエフ:リョーシカ、将軍の息子
ユーリ・ヤルヴェット:フィンランド人のレポーター

しかし、なぜ監督はこんな映画を作ったんだろうか?
「スターリン時代は思い出したくないけど、懐かしい」当時を民衆の立場から映画にしたい。当時の空気をなんとかして現したいが、盛り込むべきことが無数にある。そこで当時の民衆の生活実態を圧縮して映画表現してみた、ンジャナイカと考える。
Q : 主人公の家に、異様にたくさんの人々がいるのは、なぜ?
A : 例えば半年間にこの家に来た来訪者を、時間を圧縮して一気に見せている。
Q : 登場人物たちが、わけのわからないことを話したり叫んだりしているのは、なぜ?
A : 例えば半年間にその人が口にしたことの全部から、その一部分の断片を、無作為に、あるいは作為的にピックアップして、セリフにした。
断片のセリフだけど、当時を知る人間は、その単語を聞いて、あるいはその言い回しを聴いて、懐かしくインスパイアーされる。イメージが広がり1953年あの時分の臭いを思い出せる。そうそう、そうだったよね、と、懐かしがれる。(のかもしれない)
圧縮された映画を、解凍して楽しもう! ということかな。
(でも日本人には当時がわからない、この映画で覗くしかない)
字幕の太田直子さんは、大変な仕事だったのではと思う。
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