映画「東京物語」  監督:小津安二郎  出演:原節子

熱海  映画公開当時、観客の間で共有されていた気持ちは、今となってはもう分からない。

  戦後8年経った1953年。
  戦中や終戦直後の大混乱期から、少しは抜け出したかどうかの時代だ。
  これからを生きる世代たちは、いやがおうにも復興のエンジンと化している。あるいは、そんな時代の空気に呑みこまれる。世の中ギシギシしている。気持ちがいっぱいで余裕を持てない。
  一方、戦前戦中、終戦を当事者として生き、これからは余生を生きようという世代たちは、次代の急坂を登る気はもうない。
  「東京物語」は、こんな世代間の断層を真正面から語る映画。

  東京に住む息子・娘たちの、盆暮れの帰郷は途絶えているようだ。広島県尾道に住む父母はそれぞれ70歳(笠智衆)、67歳(東山千栄子)、一大決心して子たちに会うための、始めての上京だった。
  当時、東京/尾道間は16時間半ほどかかった。思いのほか遠い。一日の列車本数も数本だった。東京駅14番線ホームに入る、21:00発、呉線経由広島行急行列車は、翌日の13:35に尾道に着いた。

  地方に住む夫婦が感じた初めての東京は、思う以上に広く忙しかった。そして東京弁はきつい語調に聞こえた。上京後の宿泊は長男の家(山村聡)と長女の家(杉村春子)を渡り歩くことになる、たらい回しだ。長男長女は親の相手をする時間がなくて熱海への旅費宿泊費を出して行ってもらった。

紀子  戦死した次男の嫁・紀子(原節子)のアパートにも泊まった。
  上京して母親が一番ほっとした瞬間は、紀子のアパートで交し合った、慈しみある、たわいない会話であった。
  上京して父親が一番ほっとした瞬間は、東京に住む尾道での旧友と、子たちの愚痴を言い合いながら深酒した夜のひと時であった。お互い、子たちにかけた期待が大きかったと言い合う。
  
  上京して一番ほっとする瞬間は、それは子たちとの瞬間であって欲しかった。
  しかし次代を生きている子たち家族が元気であった事、それが確認できたことで満足としよう。リレーのバトンは、次の世代にもう渡ているのだから。開業医、美容室経営、国鉄職員、そして嫁はファッション系商社。懸念は嫁の再婚と、尾道にいる末娘の嫁ぎ先。

  夫婦して熱海の防波堤に座る有名なシーンは、海の彼方に自分たちの今後を確認し、次代への騒がしい急坂に背を向けている意味かもしれない。たそがれている、と言ってしまえばそれまでだが、手元にあるだけでいい、それ以上は求めない、そんな凛とした風情。
  この映画は、60年後の我々に、今後のたそがれ方のひとつを教えてくれている。

  う~ん、でもこれで終わっちゃシンミリしちゃう。
  尾道の旧友を演じる東野英治郎、10年後の作品、岡本喜八監督の「江分利満氏の優雅な生活」でも、同世代くらいの役を演じている。そのじいさん、元気満々の乗りのいいじさん役であった。

エンド監督:小津安二郎|1953年|136分|松竹|
脚本:野田高梧、小津安二郎|撮影:厚田雄春|音楽:斎藤高順|
出演:笠智衆 (尾道の父・平山周吉)|東山千栄子 (母・平山とみ)|
山村聡 (長男・平山幸一・自宅で内科小児科の開業医)|三宅邦子 (その妻・平山文子)|村瀬禪 (息子・平山実)|毛利充宏 (息子・平山勇)|
杉村春子 (長女・金子志げ・美容室を自営)|中村伸郎 (その夫・金子庫造・いい仕事してます)|
原節子 (戦死した次男の嫁・平山紀子)|
大坂志郎 (三男・平山敬三・国鉄大阪駅職員)|香川京子 (末娘・平山京子・尾道で両親と同居)|
十朱久雄 (尾道からの旧友・服部修)|長岡輝子 (服部よね)|東野英治郎 (尾道からの旧友・沼田三平)|高橋豊子 (隣家の細君)|三谷幸子 (原節子の隣室のアパートの女)|安部徹 (敬三の先輩)|阿南純子 (美客室の助手・キヨ)|



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