映画「少女の髪どめ」   監督:マジッド・マジディ

バラン

建設現場 全景ここはイラン。ビルの建築現場だ。
セメントや漆喰の袋を背負って運ぶ。ビルの外壁・内壁はレンガを積んでいく。すべて手作業だ。40人くらい男たちが働いているか。イラン人建築作業員のほかに、安くあげるためアフガン難民が多く混じっている。だが、イランではアフガン難民の雇用を禁じているらしい。官憲が抜き打ちで査察に来る。それでも現場監督のメマールはアフガン人を雇う。

日当工事の進捗はゆっくりしている。
みんな未熟練工に近いようだ。レンガの壁が弓なりになっていたりする。
お茶の時間には、各作業場にて熱いグラスと角砂糖が振る舞われる。
夕暮れになると、わずかばかりの、その日の日当をもらい帰る。



建物構造官憲の目を盗みながら、アフガン難民にとっての現金収入は、日雇いしかない。それも危険な重労働か単純作業だ。ここで働いていたバランの父親が転落事故を起こす。病院で治療を受けるがアフガン人であることが分かってしまった。で、査察が入る。
父親に代わってバランは少年の格好をし、ラーマトという男の名前で、ソルタンに連れ添われてこの現場に来た。なんとか雇ってもらえることになる。仕事は作業員たちのお昼の買い出し、お茶出しと作業補助。

作業この仕事は今まで17歳のイラン人・ラティフがやっていた。ラティフは現場監督のメマールや作業員のおじさんたちから、毎日のように馬鹿呼ばわり、ケンカも多い困り者だ。
少年の格好のバランは少女とばれずに、作業現場に溶け込めた。お茶も昼飯も美味しいと皆から評判。楽な仕事を奪われた彼は、少年の格好のバランを逆恨みする。
だが、ある日、ラティフはバランが少女であることを見てしまう。そしてこの事を誰にも言わず胸の内にしまい込んだ。初恋。

ラスト帰国さて、アフガン難民であるバランとその家族は、ある日突然、アフガニスタンに帰る事になった。バランが乗ったトラックをラティフは無言で見送るしかなかった。

淡いラブストーリーでもあるが、吹きさらしの建築現場の一部始終を詳しく映像化することで、イランとアフガン難民の現実を伝えようとしている映画だ。作りかけの階段で結ばれた、素通しの3階構造のビルが、うまい具合にステージになっている。


1979年、ソ連軍がアフガニスタンを侵攻。
600万人を越えるアフガン人が難民となり近隣諸国に逃れた。
ソ連の撤退後も内戦が続きタリバンの圧政と長年の干ばつにより、難民の多くは帰る場所を失った。
2001年の国連報告によると、150万超のアフガン難民がイランで生活している。(映画冒頭より引用)

サブ英題:BARAN|
監督・脚本:マジッド・マジディ|イラン|2001年|96分|
撮影:マームド・ダウーディ|
出演:ホセイン・アベディニ (17歳のイラン人・ラティフ)|ザーラ・バーラミ (アフガン難民の娘・少年と偽って建設現場ではラーマト(実名・バラン)|モハマド・アミル・ナジ (現場監督・メマール)|アッバス・ラヒミ (バランの祖父?後見人・ソルタン)|ゴラムアリ・バクシ (バランの父親、現場で転落事故で負傷・ナジャフ)

イランの映画 ~ 一夜一話からピックアップ

少年と砂漠のカフェ」 監督:アボルファズル・ジャリリ
アフガニスタン西部のイラン国境付近。父はタリバンとの戦いで戦場に行ったきり、母は被弾して死亡、残ったのは姉とキャインという名の弟、14歳。生活のために彼は、鉄条網の国境を越えてイランに越境してきた。
そこはイランのデルバランという小さな町のはずれ。見渡す限り何も無い荒野に、一筋の道路が永遠に続いている。そのロードサイドの遠く先に1点、ぽつんとカフェが見える。人工のオアシス。数本の木々と池、数台のトラックやトレーラーが一息ついている。ホテルとは言いがたいが宿舎施設もある。地元のドンであるハンじいさんと、その妻ハレーばあさんが営むカフェだ。キャイン少年はここに住み込みで働いている・・・。

ペルシャ猫を誰も知らない」 監督:バフマン・ゴバディ
実在のミュージシャンたちが登場するので、彼らの音楽がリアルに映し出される。でも、やりたい演奏がイランじゃ出来ないんだ、そのためには変革が必要なんだと伝えている。自由な表現活動があたりまえな社会では軽視されがちな「映画や音楽のチカラや価値」を彼らは信じている。

【 一夜一話の歩き方 】
下記、タップしてお読みください。

写真
写真
写真
写真
写真
関連記事
やまなか
Posted byやまなか

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply