映画「鬼火」   監督:ルイ・マル 1963年

上
「ラ・バルビネ医師 療養所」 古風な大邸宅のような療養所だ。


院内主人公アランは、この精神科の療養所に住んで3年になる。
アルコール依存症だ。診療所は古風な欧州風大邸宅のようだ。
彼の個室は、こんな感じだ。アランとラ・バルビネ医師 (→)
アランは将校として立派な仕事をしてきたらしい。アルジェリア戦争だろうか。
こんなリッチな診療所に入れるくらいに、アランは、その元妻や愛人たち、友人たちと同じように、どうやら特権階級の人々らしい。この映画は、そういう人々の社会においての、退廃や繁栄や窮屈さを表現している。

愛人7月23日。彼の部屋の、壁一面の鏡にそう書かれている。話は一直線な展開だ。
外出届を出してアランは、ホテルでアメリカの愛人と会っていた。映画はこのシーンから始まる。愛人は経営者でお金持ち、多額の小切手を彼に渡したりする。
診療所に戻ったアランに医師はそれとなく、君は完治したと言い、退院を進める。しかしアランは抵抗する。自身は不治の病だと。結果、この医師の発言が彼に拍車をかけた事にもなる・・・。

病院まえアランにとって7月23日までにやっておくべき、いくつかの段取りがあった。
アメリカの愛人とあったのもそのひとつであった。次はむかしの仲間たちに会うべく、パリに行く。アランとバカ騒ぎをやった男たちが次々に彼に声をかけてくる。しかし彼が去った後、人々は言う。「やつれたね、昔の面影はない」と。
親友
親友にもあった。
結婚し子どもをもうけ堅実な日々を送っている男。アランと会って、「その代りに捨てたものも多い」と言う。親友は懸命にアランに軌道修正を言うがアランは聞かない。アランは親友に捨て台詞を言ってその場を去った。

そう

相変わらず今も退廃してる連中にも会った。またエリートとして今を生きる彼女にも会った。とにかく多くのパリの人々と再会し、すぐに去っていく。確かめるために・・・。
つまり、自分が人々を拒否、拒絶する、その勢いで自身を奮い立たせる必要があった。アランの思いだ。決めた事とはいえ、努力がいる。 
7月23日、穏やかな日だった。アランは読書を終え、あらかじめ準備しておいた身の回りのモノをカバンに詰めた。ネクタイも数本入れた。ただし拳銃だけは、カバンに入れなかった。そしてアランは、一瞬で事を終えた。 
観ていて思うに、パリにいるむかしの仲間たちに対しての、アランの感情はもう薄れてしまっていて、また、今さらどうこうと思うほどアランも馬鹿じゃないし、と思う。つまりは、自殺のエネルギーが足りないアランだった。彼の自殺を後押しするほど、自分に余裕のある人もいない。
エリート層なのに、女にとてももてるのに、生きればいいのに、もったいないですね。とは、お話なので言える事。精神疾患の患者さんとそのまわりの人々は、みな大変苦悩なさっている。アランもだ。 


下原題:Le Feu follet
監督・脚本:ルイ・マル|フランス|1963年|108分|
原作:ピエール・ドリュー・ラ・ロシェル|撮影:ギスラン・クロケ|
出演:モーリス・ロネ (Alain)|ベルナール・ノエル (Dubourg)|Jacques Sereys (Cyrille)|アレクサンドラ・スチュワルト (Solange)|ジャンヌ・モロー (Eva)|アンリ・セール (Frederic)|


              朝
              外泊したホテルの朝。愛人と。 モノクロはいいですね。アランさん。

画廊とアラン
パリの画廊にて。モテたんですアランは。

              夜
              パリの濡れた夜。アランと親友。 
              ゆっくり走る小型バスです、これ、アンティークでいいですね。


救急車
療養所に到着した救急車。 美しいクルマです!


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