映画「セカンド・サークル」  監督:アレクサンドル・ソクーロフ

上
ベッドに横たわる父をベッドサイドから見守る息子(右)。

  難しい映画。
  監督は、作品メッセージをダイレクトに観客に伝えない。
  抽象的なシーンを配置して、観客にある事を連想してもらおうとしたらしい。 ある事とは、エリツィン支持派の思いだ。その思いとは、ソ連が崩壊し、ロシア連邦が成立する直前の、行き詰るソ連に対するエリツィン支持派の思いだ。 (1990年、本作公開。1991年、エリツィンはロシア連邦の初代大統領になる。)
  だから、その辺の事情を知らないで映画を観ると、確実に眠くなる。
  例えば、動かず表情変えずの人物アップシーンが、フィルムが切れるまで続くのか・・・と思うほどに、長回しで続くのである。

シーン2  さて、メインの登場人物は、父を亡くしたひとり息子と、父親の死体役の俳優のふたり。母はいない。
  この父親は独居老人で孤独死し、知らせを受けて息子が吹雪の中、駆けつけるところから映画は始まる。別居している息子は、父親の住むこの家に、久しぶりか、あるいは初めての訪問のようだ。そして父親自身も近所づきあいが薄いようだ、死後、発見まで時間があった。息子は、親の死に戸惑い、葬儀に向けての役所手続きに戸惑い、その幼い言動や鈍感な気づき対応から、未成年のよう。



シーン1  暗い部屋で悲しみに沈んでいるさ中、息子はやるべきことが多いが、ぼんやりしている。
  死亡証明のため医療機関に出向く、町内の責任者との死亡確認対応、役所との葬儀段取り、防腐処理、死化粧等々、それぞれ細かに縦割りされた役所の部署担当者が代わる代わる、ずかずかと家に訪れ、事務的に作業しては去っていく。例えば、一連のこんなシーンが、形骸化するソ連の官僚組織弊害みたいなことを言っているのだろうかと、連想を求められている、のかもしれない・・・。
  それにしても、この父親の家は水が出ずトイレや台所が悲惨で、部屋もあまりに散らかっていてひどい。これも隠喩なんだろう。父親はミイラ化が進んでいたようだ。

  人間の死を尊厳を持って接する社会は、生をも尊厳を持って接する社会であるはずだ。ということかもしれない。そうだとすれば、この映画が言いたいことは、案外やさしいじゃん、と思えればラッキーか。
  ただ、父親がどうしてこのような辺鄙な場所の丸太小屋にいるのかなど、そのキャリアや父子の背景は、観ていてわからなかった。なにしろ、93分の映画だが、字幕の総・文字数は、おそらく400字詰め原稿用紙で4枚くらいしかない映画。
  

  現在、わが国でも、孤独死や家屋内事故死があった場合、事件の可能性があるために死体は一旦、強制的に警察の手に委ねられる。検死だ、解剖もあり得る。書類にサインしたりの一連ののち、遺族は死体が安置されている警察署か病院の安置室に出向く事になる。この安置室では、その遺体はステンレス製の台の上に寒々と置かれている。
  
下オリジナル・タイトル:Круг Второй
英語タイトル:THE SECOND CIRCLE


監督:アレクサンドル・ソクーロフ|1990年|ロシア|93分|
脚本:ユーリ・アラボフ|撮影:アレクサンドル・ブーロフ|
出演:青年(ピョートル・アレクサンドル)|葬儀を執り行う役所部門の女性担当者(ナデージダ・ロドノヴァ)|タマーラ・チモフェーエヴァ|アレクサンドル・ブィストリャコフ|

【 アレクサンドル・ソクーロフ監督の映画 】
 これまでに記事にした、アレクサンドル・ソクーロフ監督の作品です。
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「孤独な声」
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「日陽はしづかに発酵し‥」
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「セカンド・サークル」
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「エルミタージュ幻想」
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「マリア」
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「フランコフォニア ルーヴルの記憶」


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