映画「母なれば女なれば 」  監督:亀井文夫   主演:山田五十鈴

写真提供:独立プロ名画保存会
春枝一家(中央)と健次とその妹(左右)

太平洋戦争末期、東京はたびたびの激しい空襲で無数の人々は逃げ惑った。
春枝(山田五十鈴)は三人の子を連れ、避難する混乱の雑踏にいた。荷物を背負い、清とフミ子、二人の小さな手を、春枝は左右の手でしっかり握るのが精いっぱい。新吉、長男10歳は母と並走していたが、親子の間に人が入り、その距離がひろがるにつれ、離れ離れに。春枝は大声で新吉の名を呼ぶが、その声は爆音にかき消されてしまう。短い時間で、あっという間にはぐれてしまった。春枝はその後も幾度も新吉を捜しあたりを歩いたが見つけ出せない。

見つけ出せないながら、幼いふたり、清とフミ子の面倒をみて毎日が過ぎていく。そして夫の戦死の知らせを受ける。しかし悲しみに沈む余裕は無かった。日々、子供と生きていかねばならない。なんとか台所トイレ共同の一間のアパートに入居し、中古ミシンを買い手内職を始める。しかし家計は赤字。ただ幸いなことに、隣室の住人は、先生の高瀬健次(神田隆)とその妹・幸子(岸旗江)で春枝の子供達や近所の子たちの面倒をよくみてくれる。
そして春枝の面倒をみようとする男がいた。長島(三島雅夫)という地場の顔で、商いで稼ぎが良く、民生委員やPTAの役員をしている。春枝をめかけにしようと何かとアパートを訪れる。

はぐれた新吉が帰って来た。
とは言え、警察署での出会いだった。まもなく親子水入らずの生活がはじまった。
と同時に、新吉は母が父親以外の男と親しい事を嫌い始める。
母と健次「母なれば女なれば 」だ。
戦死した夫のことはいつも思いつつも、健次に思いを寄せていく春枝。先生の健次もそう。健次の妹・幸子の仲介もあってふたりの思いは深まる。そんな場面を健次の教え子たちがみてしまう。その生徒のひとりが、こともあろうに長島の息子であったから、話は大きくなった。その上、新吉は教室でいじめに会い、ついには長島の息子と取っ組み合い怪我を負わせてしまう。校長は長島と一緒になって、新吉と健次を学校から追放しようとする。長島の狙いは、春枝を健次から引き離し我が物にする、新吉を自身の店で丁稚として働かせる、というはかりごと。
さて、話の顛末はいかに・・・。

この映画の監督・亀井氏は、ドキュメンタリー映画に通じていたらしく、戦後直後の実写シーンが挿入されていて、映画にリアリティな厚みを出している。また、野外シーンの奥では、大型軍用トラックが何台も隊を組んで疾走している様子が映っている。1952年だ、朝鮮戦争でざわつく世相が活写されている。さらには、少年院のシーンは劇映画仕立てだが、監督は当時の戦争孤児の扱いに言及している。この問題は今もって大きく取り上げられないようだ。

女性の生き方はこの映画の主題だ。妻は戦死した夫を思い続け、長男をたてて長男に尽くす、再婚は子にとって不幸だしあってはならない、といったことが世間体の時代。北林谷栄が演じるアパートのおばさんが、これを代弁するシーンがある。一方、若い後家さんというまわりの男たちの視線にさらされる。春枝が持つこんな前近代的な考えを、健次が徐々に変えていくストーリー。ただ、健次が春枝に諭すセリフで、言葉がこなれていなくて、監督はじめ当時の製作者の、考えの若さが見え隠れする。
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監督:亀井文夫|1952年|100分|
原作:徳永直|脚本:棚田吾郎|撮影:瀬川順一|
出演:安川春枝 (山田五十鈴)|安川新吉 (二口信一)|安川清 (伊藤延雄)|安川フミ子 (小松原良子)|高瀬健次 (神田隆)|高瀬幸子 (岸旗江)|長島 (三島雅夫)|校長(加藤嘉)|久保寺 (沼崎勳)|ひで (北林谷栄)|

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