映画「何が彼女をそうさせたか」    監督:鈴木重吉

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  昭和5年、1930年のサイレント映画。
  現存するフィルムは、残念ながら映画冒頭と結末の映像は欠けているが、この映画の素晴らしさを損なうものではない。
  巷では、うんざりするほどに能書きの多い作品だが、この映画、当時の現代ドラマ・商業映画である。
  映画に素で向かい合おう、素直に観よう。まずは楽しもう。楽しんでから映画史的なお勉強をしても遅くない。他人の評論で頭をいっぱいにしては、この作品の素晴らしさが見えてこないんじゃない?

  当時の先端的な画面の構図、斬新なカメラワーク。そしてサイレントだから、説明的映像になりがちなところを逆手にとって遊んでいる。鑑賞の機会がほとんど無いと思われるので、少し詳しく書いてみる。

< 導入部分 > (映像欠落・現存しない。以下、字幕を参考にした。)

  人生は歩みなり そは死に至るまでの いとも 苦しき歩みなり
  晩秋・・・
  見通しのよい風景のなかに一本、線路が向こうへと続く。
  この線路を伝って、ひとりの少女が歩いている。名は、すみ子。
  そこへ轟々と汽車が通り過ぎる。
  車窓から楽しげに手を振るのは、修学旅行へ行く少女たち。
  瞬く間に、汽車は彼方に消える。
  すみ子は、思い出したように、また歩き始めた。組10

< 彼女を救った車力の土井老人 >
  老人が作った質素な雑炊を、夢中でかき込む飢えたすみ子。
  それだけのシーンなんだが、その様子をアングルを素早く切りかえ、練ったポーズと構図で丁寧に仕上げている。
  時折り見せるすみ子の輝くひとみが、すべてを語る。
  (車力とは、馬車や大八車を引いて荷物を運搬することを稼業とする人。)
荷  これが、すみ子の荷物、風呂敷包み。中にはわずかな着替えと、父の写真と少々の現金、そして父から託された手紙。この荷物の中身が、これから展開するストーリーを担う。


組2 10
  老人の家に一泊させてもらった翌朝、すみ子は、叔父の家に向かう。老人は彼女を馬車に乗せ送っていく。
  草深い道から一転して、視界が広がる風景へ。送電線の鉄塔が当時の現代感を表現しているのだろうか?
  道端の小高いところから眺めやるすみ子のうしろで、「あれが叔父が住む新田という町だ」と指差す老人、。(右上の写真)
  稲穂が垂れる田んぼの一本道を、すみ子は心配と喜びが交差するこころを抑えて去っていく。馬車の向こうに二人を立たせての、馬車まわりのカットの絵がいい。




組3 10< 歓迎されない叔父の家 >
  あばら家に6人もの幼子を抱える叔父の家。すみ子の父親からの手紙を渡された叔父は、その手紙が「すみ子をよろしく」と書かれた遺書であることを知る。そして封筒に札が数枚入っていた。もちろん、すみ子には手紙の内容を知らせない。なぜなら、この夫婦、彼女を曲芸団に売ろうと企んでいた。
  封筒にあった現金が、夫婦どっちのものかで大ゲンカ。それを見て、子達はバンザイして大はしゃぎ。愚かな権威に対する批判表現なんだろうが、基本はスラップスティックだ。(左下の写真)
  ふすまいっぱいに書かれた墨文字を背に、すみ子の立ち姿。デザイン的。(右下の写真)



組4 10< 団員を搾取する横暴な曲芸団団長 >
  すみ子を買ったのは、曲芸団の団長だ。そして団長の出し物はナイフ投げ。すみ子は、その標的。ハラハラドキドキ、この団の人気の出し物。
  ピエロのおじさんに、すみ子は、父からの手紙を読んでもらい、父の死を初めて知る。
  彼女はそして、若い団員・新太郎と恋に落ち、密かにふたりは団を去る。そのころ、団結した団員は拳銃片手に団長を吊し上げていた。
  ふたりの逃避行中に、不幸にも新太郎は車に轢かれてしまい、彼はその車に乗せられ病院へ急行。それとは知らず、彼の帰りを道端で待つすみ子は、ひとり取り残されてしまった。(記事冒頭の写真)
  



組5 10< スリの手先、養護施設入所、県会議員の屋敷で小間使い、新太郎との再会、そして・・・ >
  放浪の末に、いつのまにかスリの手先にさせられていた。警察の世話で、老人と浮浪者向けの養護施設に入所。施設の紹介で、県会議員の屋敷の小間使いに雇われる。地元じゃ大金持ち。
  その屋敷には、夫の名声をカサにする、小心で意地悪な奥様とバカ娘。娘は、魚の小骨を嫌う。小間使いが台所で、毛抜きを使って小骨を懸命に取っている。その様を見て、すみ子は小間使いたちに言った 「まぁ、ずいぶん ご不自由ですわね」 これが大うけ! 大笑いの小間使いたち。
怒り  その直後、すみ子は奥様から即、解雇。「お前は不幸せな女だってね。こんな高価な魚を養育院じゃ食べた事ないだろ」 断固、言い返す、すみ子 「こんな食べ残し、この屋敷じゃ小間使いが食べてるけれど、養育院では犬の餌よ!」 そう言って、彼女は魚の皿を、ガラス戸に投げつけた。

  そんなわけで、すみ子は養育院に逆戻り。彼女の落ち込んだシーン、彼女の前のクレーンカメラが引いて行って、曇るガラス戸を過ぎて雪の降る寒い外へ。

  しばらくして、なんとか琵琶の師匠の家に住込みすることになった。そんなある日、どしゃ降りの雨、窓の格子の間から、ぼんやり外を見ている、すみ子。そこへ、あの新太郎が通りかかる。急いで玄関に呼び込んで、ふたりはそれまでの状況を伝えあった。
組6 10  そして、一緒に住み始める。貸家の二階の一間、御ままごとのような生活。しかし幸せは続かない。新太郎が職を失う。もう、にっちもさっちもいかない、そんな時代だった。心中するため海に行く。が、すみ子だけが、漁師に助けられる。
  心中するふたりが立つ砂浜シーンは白昼夢のよう。捜索の漁船がたく多くの発煙筒が幻想的。

< 天使園 >
園  キリスト教会の天使園というところ。女性だけの慈善施設、女子修道院で駆け込み寺のよう。この園主は表向きの顔と裏腹に、女子修道院という閉ざされた世界の独裁者。こんなところとは知らずに、すみ子は身を預ける。
  ある日、新太郎が生きている、そんな噂を聞いて、彼女は密かに手紙を書いた。その手紙を見つけて読んだ園主は、未だに男に未練のある罪深い女として、責めに責められる。その夜・・・。

  (ラストのここからが映像が欠落している。以下、字幕から一部を転載。)
  凄まじい紅蓮の炎、散乱する火の粉、半鐘の叫び、焼け落ちる物音、逃げ惑う人の叫び
  凄惨たる火事場に、髪をっ振り乱し、狂気のごとく、歓喜して、踊り回っている、すみ子。 (後略)
  (警察に捕われ連行される すみ子のラストシーンと、次の字幕で終わる。) 

  「何が彼女をそうさせたか」 

  
  左翼運動が展開した時代。同時に、左翼的なムードが広くブームとなっていた。時代背景は、種々の社会的不満が市井に鬱積していた。 だから、この映画のラスト、弁士が「何が彼女をそうさせたか」と叫ぶと、観客は声をそろえて「資本家」などと言ったそうだ。

  この作品は、「傾向映画」と称される。当時、左翼運動弾圧のため、官憲による検閲制度があった。それでも表現したい監督たちは、検閲を回避すべく、暗喩を駆使した。
  また本作は、フィルムもポジも存在しないと思われていたが、1992年にロシアで上映プリントが見つかり修復・復元された。
  映画の発見と復元 (外部のサイトwikiにリンクしています。)
  http://ja.wikipedia.org/wiki/何が彼女をさうさせたか  こちらから、どうぞ。


新太郎とすみ子。曲芸団のテントの中。
下監督:鈴木重吉|1930年(昭和5年)|110分|
原作:藤森成吉|脚色:鈴木重吉|撮影:塚越成治|
出演:高津慶子:中村すみ子|二條玉子:県会議員秋山秀子|園千枝子:山田の女房お定|尾崎静子:天使園主矢沢梅子|間英子:島村おかく|
藤間林太郎:琵琶師長谷川旭光|浜田格:曲芸団長小川鉄蔵|小島洋々:スリの親分の佐平|浅野節:すみ子の伯父・山田勘太|大野三郎:山下巡査部長|
中村翫暁:質屋の主人|牧英勝:養育院人事院原|海野龍人:市川新太郎|片岡好右衛門:土井老人|




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